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文学フリマ東京37の作品を公開します


文学サークル「ペンシルビバップ」は2023年11月11日(土)に開催
される「文学フリマ東京37」に参加します。

【文学フリマ東京37の概要】
🕙11/11(土) 12:00〜17:00開催
📍東京流通センター 第一・第二展示場
🚝東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分
✅入場無料✨

文学フリマ公式サイトから引用

『魔法』をテーマにしたエンタメ小説・純文学・詩・エッセイ・短歌を詰めた文学総合同人誌をもっていきますので、当日ご参加される方はお気軽にお立ちよりください。ブース「き-14」でお待ちしております。

※ペンシルビバップとは……
2013年から活動している、東武の主催する文学サークルです。毎回テーマをひとつ決めて、メンバーそれぞれがエンタメ小説・純文学・詩・エッセイ・短歌を作成して、それをひとつの本にまとめています。今回で36号。
100号を目指して活動を続けています。

今日は新刊『魔法』の中から、私の書いた小説全文を公開します。
全文公開したところでまだまだ他メンバーの優れた作品が載っていますので、そちらはぜひ現地で読んでもらえたら嬉しい

※Pixiv でも全文公開していますのでお好きな方でお読みください。

(本文)

【猫と学ぶ日本魔法史・ドラゴンとウィンチェスター銃事件】
 
                 東 武
 
 昔々あるところに一台のレンタカーがあった。レンタカーは全国チェーンの店から正式の手続きを踏んで借り受けた何の変哲もないスズキのワゴンRで車体の色はシルバー、タイヤは使い古しのスタッドレス、整備は当然されているにせよ走行距離は9万キロでそろそろレンタカーとしては世代交代を検討されるところ、一見したところでは極めて普通の軽自動車にしか見えないこの車はなんと驚くべきことに、隠された秘密の一切もなく本当にごく普通のどこにでもあるただのレンタカーなのである。レンタルにあたりこの車でなければならない特別が理由があったのかといえば何もなく、あえて言うのなら少しでも値段を抑えたい借り側の都合にマッチする一台が古ぼけ気味のワゴンRしかなかったので金額が同じであればダイハツのムーブでもホンダのNーBOXでも物語には何ら影響しなかった。むしろ私としては軽トラックをレンタルして荷台に乗っていた方が気楽なのだが店にはマニュアルの軽トラしかなく運転手の免許がAT限定なので泣く泣く諦めた経緯がある。ここに一台のスズキのワゴンRが普通のレンタカーとして有るのはまずご理解いただけたと思うが、だがしかし。驚くなかれ。こうして一見ダラダラと書いているだけのように思われるレンタカーに関する情報の一切が、実際ダラダラと書いているだけで物語において何の役割も果たさない無意味な描写に過ぎないのである。なので、とりあえずここまで書かれているすべては忘れていただいて構わない。書き出しに昔々、などと書いたが令和五年の出来事なので最近の話でもある。
 ここでひとつの疑問が生じる。
 昔々あるところになどと物語が始まるかのような語り口をしておきながらくどくどレンタカーの説明などに紙面を割いて何の意味が? 読者の興味を最も強く引かなければならない冒頭において無意味な描写を並べ立てるなど全くの暴挙と思わないだろうか? これが物語に重要な伏線であるのならまだしも、何も関係ないとバラしておきながらこうしてまだ続けるのである。種を明かせば、すべては文字数稼ぎなのだ。私はこの物語の結末まで読んで欲しくはなくて、そこで結末に辿り着くまでを出来る限り遠回りして、読む気をなるべく削ごうと最大限の努力をしている。何しろ『ドラゴンとウィンチェスター銃事件』の顛末は日本の魔法使いにとって敗北の歴史に書かれた新たな1ページ、日本魔法協会も闇に葬りたいと思っている出来事なのだから。そんなに読ませたくないのならそもそも最初から書かなければ良いのでは、と思われるかも知れないがそこは契約である。書かないわけにもいかない。規定枚数を書くと契約してしまった以上、私に許された唯一の抵抗として事実を基にしたフィクション形式の物語とすることで実在の関係者に与えるダメージを最小限に減らしつつ無駄に紙面を消耗して規定枚数を稼ぎつつ結末までを遠ざけている。涙ぐましい努力ではないか。
 ではここから不本意ながら物語が本当に始まる。先に述べたレンタカーが荒れ果てた林道を走っている場面から。
 
 一台のレンタカーが荒れ果てた林道を走る。
 昼日中だというのに成長し過ぎた杉の木々が太陽の光を隠しあたりは薄暗い。道幅は狭く軽自動車でも一台通るのがやっと、対向車でも来ればすれ違いは絶望的、少しでもハンドル操作を誤れば壁面に激突あるいは崖から真っ逆さまの酷道である。運転席の女人間は緊張の面持ちでハンドルを握る。一方で助手席にまるまった猫はガタガタと振動する車に動じもせず超然とした様子、アクアマリンさながら澄んだ青のきらめきの美麗の瞳と極北のダイヤモンドダストも己の醜さを恥じて逃げ出す白き汚れなき美しき毛並みを称える美辞麗句すら陳腐に聞こえる地球の奇跡の結晶体そのもののこの猫が、実は私なのだがまだ秘密にしておこう。
「あのー、ホントにこの道であってます? こんなところに人、住んでるんでしょうか」
 女人間は恐る恐る猫に言った。猫は大きくあくびをした。今しばらくのところは私である事実を伏せておきたいのでここではただ「猫」と表記しておく。
「まだ昼間なのに暗いし。霧も出てきましたけど。これ途中で道が崩落とかしてたら、引き返せませんよ? イヤですからね私。バックでこんな道戻るの。そんなに運転できないですし。聞いてます?」
「猫に話しかけるな」と猫が言った。
「そんなこと言われましても、運転するの不安なんですもの」
「だからって私が運転するわけにもいかない」
「いえ良いんですよ。私が部下ですし? 運転するのはね。でも私ペーパードライバーですからね。今日だって、わざわざ教習所でペーパードライバー講習受けてきたんですから。万が一事故とか起こしても責任とれませんよ。運転なんて私の業務じゃないですし。安請け合いした私も悪いのかも知れませんけど? 北海道に出張できるなんて聞いたから着いてきたのに、まさかこんな山道だなんて知ってたらお断りしましたよ。あ、講習の費用ってちゃんと経費で落ちますよね? 領収書貰ってきましたけど」
「落ちない」
「なんでですか? 三万円も払ったのに!」
「私の指示じゃない」
「あ、不正が発覚したときに部下が自分の判断で勝手にやったって言い逃れするパターンのやつですね? せこいですよ。猫のクセに」
「私に言うな。権限があるのは経理部だろ。あそこの部長はケチくさいからな、言うだけ無駄だぞ」
「書きますからね! 口コミとかに。この組織は経費をきちんと払ってくれませんよって。就職希望者が減っても知りませんからね」
「うるさいな、黙ってられないのか」
「だって喋ってないと不安なんですって。あと、黙ってると気になっちゃって。ニオイが。どうしても」
「ニオイ?」
「気になりません? 私って嗅覚が敏感なんですよ。絶対ヘビースモーカーです前に借りた人。静かにしてるとタバコの臭いが気になっちゃって吐きそうです。少しくらいなら気にしませんけどタバコの臭いと消臭剤と芳香剤の全部が混ざり合ってちょっと地獄じゃないですか? レンタカーも全車禁煙にするべきなんですよ。こんな臭いの染み付いた車にあとから乗る身にもなってほしいです。たまにビジネスホテルとかも禁煙室が満室で仕方なく喫煙室とか泊まるともうホント最悪ですもん。ファブリーズの原液ぶちまけたくなります。うわっと、あぶねー、落っこちるところだった」
「集中しろって」
「してますよ。でもホントのホントに道、間違いないですよね? こんな山奥に住んでるってことですよね? あの、アイドルだった神谷時雄くん」
「いる。私の調査に間違いはない。いいから黙って走らせろ」
「私、ファンだったんですよ。お母さんの弓子さんもカッコよかったですけど、時雄くんは素敵でしたね。人気絶頂で辞めちゃったのが残念で。薄幸の美少年て感じの、男前でしたからね。ユーチューブでもいいから顔出しとかしてくれたらいいのに。なんか、会えるかも知れないって思ったら緊張してきました。あっ、脱輪する」
「もういいから黙れ。黙って運転しろ」
「わかってますよ。猫のくせにうるさいんですから。でも事故したら助けてくださいよ? ほんとに。私、魔法使いじゃないんですからね」
 猫は後ろ足で頭をかりかりと掻いた。うるさい女人間だ、と猫は思っている。他の奴を運転手にすればよかったな、とも思っている。
 女人間と猫が誰を探して山道を走っているのかと言うと、それはこれから語られるところだが、実は猫には計画があって、後々に明かされるのでここではまだ秘密だが山奥に隠遁している人物を見つけ出して亡き者にしてやろうと目論んでいる。美しき白き猫が一人の男を殺害するために企てられたのがいわゆる『ドラゴンとウィンチェスター銃事件』だ。首謀者が助手席に座る猫で、女人間は猫が陰謀を巡らせているなど思いもしない。こいつはただ出張手当に惹かれて運転手を承諾しただけである。なぜ計画に無関係の者を運転手に選んだのかと言えば、猫が運転するわけにいかなかったので。
 ところでこの女人間は神谷弓子・時雄の親子を知っていたが、キミたちはその名前を知っているだろうか?
 
 神谷弓子が連日テレビに引っ張りだこで流行の中心にいたのはもう二十年も前の話になる。いくら昔の話と言っても、協会の若い魔法使いたちが誰ひとりとして彼女の名を知らなかったのには呆れた。まったく最近の若い奴らときたら! 勉強不足をなじってやりたいがヘソを曲げて協会を抜けるなどと言われても困る。魔法使いはどの国においても減少が著しく、とくに若い魔法使いなんて存在は絶滅危惧種のようなものだ。FIMA(魔法協会国際連盟)の調査によれば2000年以降は指数関数的に魔法使いが減少し全世界でも魔法の使い手は約1000万人しかいない。これはカバディの競技人口とほぼ同じである。世界的に見ても魔法の実在を知る人物は2000万人もいないのではないだろうか。このままでは魔法文化の自然消滅は時間の問題、本来なら非常な歴史的価値をもつ無形文化財として国家機関に保護を求めるべきであるとして、世間に対して魔法の実在を公表しようと訴える若き急進派を否定したのもまた絶滅危惧種の魔法使いたち。古い魔法使いたちが頑なに魔法をひた隠しにする理由とは「何故なら魔法とは秘されるものだから」である。旧態依然の魔法使いたちは、魔法の秘密は厳重に守られてこそ世界の安全は保たれると考えていて、革新などというものとはいつまでも無縁でいたがる。もともと歴史的経緯として魔法使いが少ない日本においてはますます後継者不足に悩まされるわけである。この現状を私も憂いているが、人手不足ばかりはどうにもならない。
 だいたい日本において魔法は千年も昔からずっと不遇の立場に置かれていた。日本魔法史の黎明について今さら講義の必要はないだろうが、六世紀ごろ仏教と共に魔法が伝わった日本では、魔法使いとは基本的に仏法僧を指す言葉であった。そこに有史以前からから魔力・妖力を鍛錬して生物を超越した天狗、妖怪、鬼など日本古来の魔法使いたちが合流し、陰陽道や神道といった日本独特の魔法体系を作り上げた。今でも協会に所属しない魔法使いを天狗と呼ぶのはこれが起源である。弘法大師を筆頭に仏教の僧侶たちの手で民間に魔法が広がり安倍晴明の登場により魔法の奥義は成熟を見た。しかし、盛夏は長くは続かない。それからの千年は寒く辛い冬の時代である。仏僧の権力の肥大化に怒る織田信長の手で比叡山は焼き討ち、優秀な魔法使いの多くが死亡し貴重な魔法書も焼失、怒れる魔法使いたちは明智光秀をそそのかして謀反を起こすも敗北、その後は権力に恭順を示し生き残りのため豊臣配下に加わるも関ケ原の戦いでは西軍側で敗北。徳川お抱えの伊賀忍軍に何人か魔法使いがいたおかげで日本の魔法は命脈が途絶えず辛うじて続いたが明治維新の頃には幕府軍として薩長同盟に敗北、日露戦争には従軍せず、太平洋戦争においては戦艦大和に魔法使いが乗員したと記録があるが近代兵器に成す術もなく敗北。戦国時代においてさえ魔法使いが火を放つよりも火矢のほうが速いと言われ足軽に負けていたのだから当然だ。格言にある通り「剣はペンよりも弱いが、魔法に比べりゃマシだ」である。とにかく日本の魔法使いは歴史上の敗者の影に常にいる。一部、魔法の実在を知る者たちでさえ「魔法使いが味方についたら負けと思え」などと心無いことを言い、廃仏毀釈運動は日本から魔法を叩き出すための運動だったという説すらある。古い魔法使いたちが魔法の実在を隠したがる本当の理由が「実は役に立たないとバレるのが嫌だから」とまで言われているし、おかげで魔法を学ぼうなんて気概のある若者はますます減る。日本の魔法使いは後継者不足に悩まされるわけだ。だからこそ私は魔法史の講師として、日本魔法界の屈辱的な敗北と差別の歴史を徹底的に教えている。日本の魔法使いは常に危機感を持って差別・排斥に立ち向かわなければならない。魔法は常に弱者の側に立たされているが、それでも私は信じている。いつか魔法は世界を変え得る力になると。何故なら魔法とは、生命の願望を叶える奇跡の力なのだから。
 しかし昨今の若い奴らはまったくけしからん! 日本における魔法使い迫害の歴史を昔話だなんて言って真面目に学ぼうともしない。JMA(日本魔法協会)の図書室には歴史的価値の高い資料がたくさんあるのにそれを読もうともしない。魔法の存在を消すための運動は今も日本で続いているというのに。まさかキミたちの中に「私には関係ない話」なんて思っている者はいないだろうな? 魔法の未来を担うキミたちがそんな態度では、困るぞ。人は過去から学ばなければならないのだから。
 歴史の影に魔法を消すという暴挙は日本だけではなく、世界の大いなる問題なのだ。たとえば中国では歴史上の有名な魔法使いとして諸葛孔明がいる。赤壁の戦いにおいて彼が東南の風を巻き起こし火攻めを成功させた逸話は有名だが、三国志の原典を補足した1600年前の歴史家・裴松之(はいしょうし)でさえ諸葛孔明の魔法に懐疑的で「風が吹いたのは偶然」などと記述している。日本でも魔法使いの偉業として弘法大師の奇跡や安倍晴明の式神はあるがすべてフィクションと見られて教科書には載らない。珍しく日本史に魔法が登場する蒙古による対馬襲来でさえ、神風で蒙古の船団を追い払った史実を「近年の研究では神風が吹いた説は否定されている」などとニセの歴史観を捏造してまで魔法の存在を秘匿する。歴史修正主義者に迎合してまで魔法を隠そうとする協会の秘匿体質に怒ったのが若手魔法使いの急進派・神谷弓子である。
「やはり魔法の実在は世間に公表すべきなのよ、ハリー・ポッターが流行っている今こそ!」
 義憤に駆られた若き神谷弓子は2003年、JMA(日本魔法協会)と袂を分かつと、在野の魔法使いすなわち天狗として、魔法の実在を世間に公表するため独自の活動を始めた。JMAの誰も彼女の退会を問題視しなかったのは同じような発言をした者が過去に大勢いたからだ。『甲賀忍法帖』を筆頭とする山田風太郎の忍法帖シリーズが流行った時も夢枕獏の『陰陽師』が流行った時も「今こそこれらの忍術・妖術・陰陽術はすべて実在の魔法だと公表すべきだ!」と気炎を吐く者が絶えなかった。それらすべてをJMAは潰してきた。「何故なら魔法とは秘されるものだから」である。JMAの妨害工作にも負けず神谷弓子は、日本中に散逸する魔法書を収集し習得に多大な手間暇のかかる複雑な魔法を次々とものにすると自らの手で実演することで魔法の存在を世に知らしめようとした。神谷は自ら魔法使いを名乗り、テレビに出ては様々な魔法を披露した。ユーチューブでも積極的に活動した。コインを瞬間移動させトランプの柄を透視、箱に入って剣で貫かれても無傷、式神を鳩に憑依させて自在に操る。大衆にアピールするためにエンターテイメント性を追及した魔法パフォーマンスを繰り返す神谷弓子は稀代の魔術師として知れ渡り、芸能事務所と契約を交わし、彼女は日本中で魔法を実演して見せた。
「これが本物の魔法です。魔法は実在するのです」
 彼女はテレビで、ウェブで、そう語った。多くの日本人が神谷弓子を受け入れた。日本中で彼女は公演をして回った。どこで魔法を披露しても聴衆は熱狂する。世間は彼女をマジシャンと呼んだ。ついに魔法の実在を認めさせたのだ、と彼女自身は思っていた。しかし、彼女が帽子から喋る鳩を取り出そうが銀のスプーンを固結びしようが日本中の壊れた時計を一瞬で直そうがすべては魔法ではなくマジック、つまり種も仕掛けも巧妙に隠した手品としか見られていなかった。というのも彼女の所属する芸能事務所が裏ではJMAによって支配(筆頭株主だった)されており神谷弓子を手品のできるタレントとして売り出していたからだった。すべてを悟った彼女の絶望が想像できるだろうか? 私の帰属はJMAだが、立場を超えて常に神谷弓子の味方だった。彼女の魔法が世界に羽ばたく日を夢見ていた。彼女の夢が潰えた日、私の夢もまた消えたのだ。
 失意の神谷弓子は病気を患い、わずか四十歳という若さでこの世を去った。
「時雄、あなたは立派な魔法使いになってね」
 遺された十歳の息子・時雄少年は母の死に嘆き悲しみ、そして母の遺言に従うように魔法習得に情熱を燃やした。優秀な先生を紹介するというJMAの申し出も断り、時雄少年は独学で、母の遺した大量の魔法書を片端から読み漁っては次々と魔法を習得していく。神風、木枯らし、鎌鼬、空蝉、式神、火遁の術。彼の興味は東洋魔法に留まらず、錬金術を極めてプラスチックをタングステンに変え、無数のゴーレムを作っては庭の草むしりをさせる。最高難度の魔法を次々と覚えていく時雄少年は平成の果心居士、東洋のマーリンとも呼ばれた。マジシャン神谷の遺児・悲劇の天才少年として神谷時雄はテレビにもたびたび出演した。魔法使いとしての素性を隠していたにも関わらず整った中世的な顔立ちと線の細いスタイルの良さで十年に一人の美少年と呼ばれアイドル的な人気を博した。時雄少年と交流のあった月刊魔法ジャパンの編集長(当時)はこう語る。
「天は二物を与えずと言いますが、彼を知ると間違いだとわかりますね。容姿と才能を兼ね揃えて、そのうえ努力も欠かさないのですから、あそこまで行くと恐ろしいものがありますよ。僕が会ったのは時雄くんが十二歳の時ですが、片時も本を手放さない。打ち合せの時もずっとページをめくってるんですよ。1ページを1秒で読み終えるくらいの速度でパラパラとね。それが絵になるというか、思わず見惚れてしまうような振る舞いなんですよね。こっちの話は聞いているのかな、と思うのですが一言も聞き洩らさず全部を覚えている。撮影の時だけはしぶしぶ本を手放しますが、休憩時間が五分でもあればまた魔法の勉強をしている。神童とはまさにこういう子を言うのだと思いましたね」
 魔法には記憶三年、詠唱八年、習熟一生という格言がある。魔法の体得は簡単ではなく、ひとつの魔法を記憶し、詠唱できるようになり、そして習熟まで含めると一生をかけての修行が必要という意味だ。うなぎ職人と同じだ。普通の魔法使いが生涯で覚える魔法がせいぜい三つ、四つなのはそういった理由がある。ところが神谷時雄少年は百も二百も魔法を習得した。時雄の才能には流石の私も舌を巻いた。私以上の天才に出会うなど生涯で神谷弓子ひとりだろうと思っていたが、その息子まで天才だったのだ。
 時雄が習得した高難度の魔法を挙げていけばキリがないが、中でも驚くべき偉業は使い手が百年も途絶えていた西洋魔法・テレポートの習得だ。テレポートを覚えるにはまず2800巻ある魔法書の解読から始めなければならない。これは世界最長のSF小説『宇宙英雄ペリー・ローダン』のシリーズ全巻にも匹敵する分量である。魔法書に使われている文字は日本語でも英語でも中国語でもなく、テレポートの魔法書のために作られた専用言語で辞書も訳本も存在しない。2800巻のテレポート言語を自らの手で解読・翻訳するのが最初の一歩で、自らの言葉で適訳した上すべての言葉を一字一句間違えず暗誦できるようになって二歩目。次に一片の光も入らない地下室に七日七晩閉じこもり、不眠不休で座禅を組んで瞬間移動したい地点の春の音、夏のにおい、秋の風、冬の霜を踏みつけて歩く感触を完全にイメージできるようになって三歩目、ここでテレポートは習得したと言える。が、まだ使えない。ここから筋トレと日々のランニングで体力作りに励む必要がある。さていよいよテレポートを実行する前十日は運動を控え三日前頃から脂質を減らし糖質と炭水化物を中心とした高糖質の食事を心掛けて体内の筋肉中にグリコーゲンを十分に蓄えるカーボローディングを実行していよいよ当日、息継ぎ無しで二時間に及ぶ長尺の呪文詠唱を終えてようやくテレポートは完了、ここまでやれば北京でもブラジルでもエベレストの頂上でもイメージした好きな場所へ次元を超越した瞬間移動ができる。なお成功率は筋肉中のグリコーゲン蓄積量に関係があると言われているが高くても七割弱、運悪く失敗すれば狙った地点の上空3000メートルに飛び出す。大気圏内なら遺体が見つかる可能性があるだけまだマシで宇宙に飛び出したかマントルに突っ込んだかして行方の知れなくなったテレポーターは数え切れない。成功してもフルマラソン完走に匹敵する筋肉のダメージがあるのでしっかり身体作りをしていないと肉離れや十字靱帯損傷といった大怪我を負う。魔法使いの多くがテレポートの習得を諦めて航空券の予約を覚えたのも無理のない話ではないだろうか。
 そんな実用性皆無の魔法すら習得してしまう神谷時雄の執念。JMAがどれだけ恐々としたかわかるだろうか。何しろ、協会に所属していない若者が世界最高峰の魔法使いとして育っているのだから日本魔法協会の存在意義に関わる。始めはJMAの魔法使いを教師につけて神谷時雄を懐柔しようと考えていたが、JMAは彼を幹部候補としてスカウトに走ったが、説得に成功する前に彼は忽然と姿を消した。神谷時雄が二十歳の頃。アメリカに留学した神谷時雄はそのまま消息を経った。神谷弓子の遺した莫大な魔法書も所在が知れないまま、神谷親子の名前は日本魔法界におけるひとつの伝説になった。時は経ち、カルト的な人気を誇った神谷弓子の名は忘れられつつある。息子である神谷時雄の居場所を知る者もいない。そう、私が探し出すまでは誰も。
 そういったわけなので物語を続ける。本当ならいつまでも魔法史の講釈をしていたいのだが、仕方がないので物語を続ける。契約なので。あ、ちなみに私が作中の猫であるのはまだ秘密なので、ここまでの地の文に「私」という言葉がもし入っていたらすべて「猫」の思想だと考えてもらって差支えない。
 さて、うるさい女人間と天上の美を体現する猫の乗ったレンタカーは林道を一時間も走り、木々の切り開かれた広い場所に到着する。そこには軽トラックが一台と、木組みの粗末な小屋が二軒、。冬の雪の重みに耐えられていないのか、小屋は微妙に傾いて見える。
 神谷時雄の住み家である。女人間は傾いた小屋を恐る恐る眺めた。
 
「人、住んでるんですか? こんなところに?」
「私の調査に間違いはない」猫が言った。
「それより、もう私には話しかけるなよ。時雄には私を普通の猫と思わせておきたい」
「なんでですか?」と女人間が聞き返す。聞き返されるとは思っていなかったので猫はとっさに理由を言えなかった。「時雄と面識があるので正体をバレないようにするため」などと本当の理由を言うわけにもいかず、猫はにゃーと鳴いて胡麻化した。女人間もそれ以上は追及しなかった。
 時雄と最後に会ったのはもう十年も前だし、あの頃は別の姿だったから見た目でバレる可能性は低いが、あの男、妙に疑り深いから、もしただの猫じゃないと知られたら正体に気付かれるかも知れないからな、と猫は思っている。
 何かに気付いたように、女人間がしかめ面をする。
「なんか、あの……変なニオイしません? 変なニオイっていうか、あの、血のニオイ」
 鼻を手で抑えながら、女人間の顔は恐怖に引き攣っていた。猫はもう何も答えなかった。尻尾をピンと立てて、小屋の中を覗う。女人間もあとに続く。
「何の用だ」
 背後から声がして、女人間はぎゃあと悲鳴を上げた。
 大男が立っている。もじゃもじゃの長髪に、口を覆う黒い髭。額から顎にかけて、刀で切りつけられたような傷跡。シャツからむき出しになった丸太のように太い両腕。筋骨隆々の迫力に一味を加えるように血染めのナタまで持っている。
 女人間はナタを見て再びぎゃあと悲鳴をあげた。大男が顔をしかめる。
「なんだ、急に。ここは俺の家だぞ」
「あの、いや、あのごめんなさい。悲鳴なんか上げて。すいません、なんか、あの、血塗れのナタなんかもってるから死体を解体中の人かと思ってびっくりしました」
「そうだ。だから忙しい」
「は?」
「解体中なんだ。用があるなら言え」
「あ、えーと。ご職業は殺人鬼とかですか?」
「は?」
「いえ。ごめんなさい。立ち入ったことを聞くつもりは。人を探してまして……アナタに殺られてなければですけど……神谷時雄さんという方を探してまして。雪のように白い肌と艷やかな黒髪、長いまつ毛の切れ長の目、繊細な彼岸花を思わせる儚さと美しさを両立させたどこか影のある美少年でしたが今は大人なので美青年に成長しているはずです。当時はマジシャンの神谷弓子さんの遺児としてテレビによく出てたんですけど」
「神谷時雄は俺だ」と、焼けたアスファルトのような肌ともじゃもじゃの天パ、太い眉毛に重たげなまぶた、頑健な大岩を思わせる粗さと無骨さを両立させたどこか影のある大男が言った。
「は?」
「用があるなら言え」
「もう一度よろしいですか?」
「だから、神谷時雄は俺だって」
「証拠があるんですか!」
「は?」
「証拠ですよ! アナタが神谷時雄くんだっていう証拠!」
「なんでキレるんだ」
「だってそうでしょ! アナタが神谷時雄くんのはずないですから! 嘘つかないでください!」
「どうして俺がそんな嘘を」
「テレビで見てた姿と違いすぎます。彼はアナタのような悪党面じゃありません」
「成長したから」
「成長したって時雄くんはそんな大人になりませんよ!」
「そんなこと言われても」
 時雄はポケットから二つ折りの財布を出すと、免許証を女人間に見せた。
 そこに書かれた「神谷時雄」の名前を見て、しばらく考えてから、女人間は猫を抱きかかえた。猫の白い頭を撫でるが、その手つきは荒々しい。
「同姓同名の他人ですよ。人違いでしたねー。こんなところまで来たって言うのに!」
 抱きかかえられた猫は、にゃーんと可愛らしい鳴き声を上げた。日本語を話すわけにいかないので鳴き声で胡麻化しているが「こいつが我々の探している神谷時雄の本人だクソ間抜けめ」と本当は言いたいのである。
「ごめんなさい。ここに神谷時雄さんが住んでいるのかと思って来ただけなんです。帰りますね。どうぞお好きなだけ死体をバラしててください。警察に言ったりしませんから」
「そうか。気を付けて。道は荒れてるから」
 猫は女人間の手をするりと抜け出すと、その手の甲を爪でひっかいた。痛い! と叫ぶ女の胸ポケットから、猫は名刺を器用に奪い取った。口にくわえた名刺を時雄の足元にペッ、と吐き捨てる。
 時雄の表情が険しくなる。名刺に書かれたJMA、日本魔法協会の文字を読んだのだろう。
「JMAの魔法使いか。わざわざこんなところまで。いったい何しに来た」
「神谷時雄さんに協力の要請があって、探しています」
「どうせろくでもない話だろ。聞くだけなら聞いてやってもいいが」
「そうですか。じゃあ神谷時雄くんを呼んでください。もしもここにいるなら本人を。今すぐ」
「だから内容を言えって」
「アナタが聞いてどうするんですか?」
「だって、俺に用事なんだろ?」
「アナタが本当に神谷時雄くんだっていう証拠を出してくれたらですけどね」
「じゃあ、もういいから帰ってくれよ。いま鹿を解体してるところで、忙しいんだ」
「語るに落ちるとはこのことですね。道理で血の臭いがぷんぷんすると思ったんですよ。アナタは神谷時雄ではない! なぜならアイドルは鹿の解体なんてしないからです」
「だから、アイドルの真似事みたいなのさせられてたのは十五の頃で今は猟師なんだって」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐアホは放っておいて、猫と女人間が神谷時雄を探していた理由をそろそろ明かさなければならない。
 
 今この時、創設以来、最大とも言える危機がJMAに迫っていた。
 迫っていたというか、「危機が迫っている」と執拗に上層部を焚きつけて対策の費用を捻出させたのは猫だ。こうでもしなければJMAの財布の紐はゴルディアスの結び目よりも固い。
 事件の始まりは昨年の冬、北海道で次々と牧場が襲撃される獣害事件があり、合計で百六十頭の牛が被害に遭った。
 公的な発表では、食料となるブナやミズナラの不作により山を降りるヒグマが大量発生、北海道各地で同時多発的に発生した被害とされているが、いくつかの目撃証言が熊の存在を否定している。目撃者は口を揃えて言う。
「あれはヒグマなんかじゃない。もっと恐ろしい、化物だ」と。
 JMAが調査をしたところによれば牛の死骸は噛み砕かれ踏み潰され、どう見ても熊の類の被害ではなかった。そして被害現場には明確な魔法痕があった。魔法を使うと付着する指紋のようなもので、状況から一時は野生の鬼や妖怪による被害と推測されたが、さらに詳しく調査するうち現場から検出された魔法痕は故・神谷弓子の魔法と関連性が高いと判明した。
 本人が死亡した後も動作する魔法は存在せず、手がかりになりそうな血縁者の神谷時雄は行方不明。調査が暗礁に乗り上げ進展のなくなった頃、上層部を相手に猫が言った。
「もしも化物が人間を襲えばどうなる? 世間からひた隠しにしてきた魔法の存在が明るみになるぞ」「責任の所在を問われて矢面に立たされるのはJMAになる。ひたすら魔法の実在を隠してきたんだからな」「それに、いくら神谷弓子が故人で組織を抜けた魔法使いだと説明しても一般人に通用しないぞ」「警察の事情聴取かマスコミの追求かはわからないが当然、ターゲットにされるのは私ではなく人間である君たちだ」「しかもだぞ。魔法協会国際連盟からもペナルティを課される危険性だってある。下手したら連盟の追放だ」「この危機に対処できる魔法使いが日本にいるか? となれば、神谷弓子レベルの高度な魔法を使いこなす魔法使いを海外から招聘するのが解決に必要だ」と猫に散々おどされて、会議に出席した上層部の魔法使いたちは一様にイヤそうな顔をした。イヤそうな顔どころかリモート会議だからバレないと思っているのかカメラの向こうで音声をミュートにして寝ていた者もいたが。とにかく、日本の魔法使いは海外で軽んじられているのでトラブルを自ら解決できないと評判が立てばJMAの沽券に関わる。そこで猫はもう一つ、気乗りのしない手ではあるがと付け加えて言った。
「神谷弓子の魔法に詳しく、しかも神谷弓子以上の魔法を使いこなす唯一の日本人、つまり、どこかで生きているはずの神谷時雄を探し出す手もある。あの男なら解決できるだろうな」
 猫の脅しに屈して上層部は、「外国の手を借りるよりは」と神谷時雄を捜索するための費用の捻出に合意した。これで猫は組織の金と人材を自由に使って神谷時雄を捜索できるようになった。
 実は事件のすべてが猫の仕組んだ犯行で、最初から狙いが神谷時雄を見つけ出して殺害することにあるなど、まさかJMAの誰も気付いていない。私の狙いではなくて、猫の狙いが、という意味だと念のため、付け加えて書いておく。私はただの物語の書き手であって、このカワイイ猫ちゃんが私なのだという辺りはまだ秘密だ。
 さて猫は自らが使える魔法のすべてを駆使し、JMAの金と人材のすべてを駆使し、もちろん部下の残業時間には配慮しつつ世捨て人のように世間との関わりを最小限にした神谷時雄をついに発見した。北海道の山奥で、粗末な小屋にひとり暮らし、鹿や熊を獲る猟師として生計を立てている。華奢な少年から屈強な大男へ、すっかり変わり果てた彼を神谷時雄だと見抜いた猫の慧眼は称賛に値する。美しいだけではなく観察眼にも優れている。この猫は素晴らしい猫です。
 では場面を小屋の中に移そう。女人間は(渋々ながら)大男を神谷時雄だと認め、JMAからの協力要請を説明するためメモを懐から取り出した。
 
「えーと、ちょっと待ってください。上司からメモを預かってます。アナタに協力して貰いたい内容の。要約するとですね、害獣退治ですね」
「そんなの、猟師の仕事じゃないか」
「だとしたら今のアナタにぴったりの仕事じゃないですか?」
「まあ、そうだけど。でも箱罠で捕まえろなんて話じゃないんだろ? わざわざJMAが出るほどなんだから」
 女人間は獣害事件の調査報告書を時雄に渡した。時雄はしばらく考え込む。死んだはずの母の魔法痕。野生の熊ですら可愛く思えるほどの凶悪な生物。
「ゴーレムか? いや、魔法痕まで考えると式神なら有り得るんじゃないか?」
「式神ってなんです?」と女人間が聞き返す。
「姿のない鬼や悪魔、なんというか、魂とか幽霊みたいな存在の、身体を持たない魔法使いって言えばいいのかな。奴らは身体がないから生物や無機物に憑依する。そして地上に留まるための代償として魔法使いと契約して、契約内容を履行する」
「なるほど。契約社員ですね」
「その例えはちょっと違うと思うが……母と契約した式神が今も活動していたとして、そいつが魔法を使えば魔法痕は母と同じものになる。だとしたら、母の魔法痕が残っていてもおかしくはない」
「じゃあ、その式神ってやつがお腹を空かして牛を襲ったんじゃないですか? 正体は鬼とか悪魔なんですよね?」
「いや。あまり考えられないな。鬼や悪魔なんて言っても本当に凶悪なのは伝説に名前が残るような奴だけで、母の式神なら大した力はないはずだ。だいたい母が式神にやらせてたのは、パソコンに憑依させて確定申告の書類を作らせたり原稿の推敲をさせたり、そのくらいだ」
「なんて便利な」
「厄介なのも何体がいたが、たとえば食事の作法にうるさいだとか、魔法史について講釈を始めると止まらなくなるだとか、酒に酔うと記憶をなくすとか、そういう厄介さばかりで人に危害をくわえるような奴はいないはずなんだけど」
「ほとんど人間じゃないですか」
「というか、アンタも魔法使いなんだろ? 式神を知らないのか?」
「違いますよ、失礼ですね。私は魔法使いなんかじゃありません。協会には社内SEとして雇われてるだけです。契約社員ですよ」
「社内SEがなんでこんなところまで」
「人手不足ですから。上司に至っては猫ですし」
「猫?」
「いえ、あの、猫かぶりクソ野郎と言いたかっただけで」
 猫が靴に爪を立てた。女人間は蹴とばそうとしたが猫はひらりと身をかわす。不審そうに時雄が猫を見る。
「なんでその猫、連れて来たんだ?」
「それはですね、上司の計らいといいますか、猫でも連れて行けば神谷さんの気が休まるんじゃないかって」
「本気で言ってるのか?」
「まあ、私もサラリーマンですから。上司が菓子折りと言うなら菓子折りを、白猫というなら白猫を持っていきます」
「わけがわからん」
「とにかく、協力してくれるんですか? イヤなんですか?」
「イヤだ。俺は元々JMAと関係のないフリーランスの魔法使いだ。仮に母と契約した式神が暴れてるとしても、JMAの問題だろ。俺が何とかする義務はない」
「いえ。あると思います」
「なんで」
「相続した遺産に不動産が含まれていたとしたら管理責任も生じますよね? 山を相続したなら土砂崩れの対策はアナタがしなきゃならないじゃないですか。式神の法的扱いがどうなるのか知りませんが、JMA帰属の式神だって言うならまだしも雇用主はアナタのお母様ってことですよね? それなら法定相続人であるアナタにも責任があると思いますよ。アナタが本当に本物の神谷時雄さんだと仮定したらですけど」
「そう言われると、困るな」
「なんとか協力してもらえませんか? アナタを二足歩行ゴリラだとか思ったことは謝りますから」
「謝らなくていいから言わないでくれ」
 考え込んでいるが結局、神谷弓子の名前を出してしまえば時雄には断れないと猫はわかっている。こいつは昔からそういう男だ。
「ちょっと待ってろ」と言って、時雄は壁際に置かれていた椅子をどかした。壁に掛かっていた薄汚れたクロスを外すと、その裏には扉があった。
 開かれたドアから猫が部屋を覗くと、無数の本が積まれているのが見えた。恐らくは神谷弓子の遺した蔵書! こんなところに、こんな雑な保管をしていたとは! こいつ許せん、と猫は思っている。神谷弓子の蒐集した魔法の書物の類は値段のつけられない貴重なものばかり、生前の彼女はありとあらゆる魔法関連の本を真贋を問わずに集めていた。三蔵法師の仏典に死海文書の断片、ヴォイニッチ手稿の原本にネクロノミコン、武蔵坊弁慶の勧進帳。2800巻のテレポート書だって今じゃ全巻セットで持っている魔法使いなんてほとんどいないのだ。魔法の才能に溢れた神谷時雄がこれらの数々の価値を正しく理解していないのが無念でならない。だいたい十代の頃にも家を開ける時は必ず鍵をかけろ、セコムを雇うなりして万が一にも魔法書の盗難なんて事態が発生しないように注意しろと口を酸っぱくして言ったのにこの男は! まさかこんな山奥の木造の手製の小屋に無造作に本来なら世界的な博物館に保管されてしかるべき蔵書の数々を転がしておくとは! ちゃんと雪の対策はしているのか? 万が一、小屋が雪の重みに倒壊して書物が埋もれたらどうするつもりなんだ? もしも本が失われたら歴史的損失かどれだけ大きいか本当に理解しているのか? と、猫は思っている。
 猫は、せめて貴重な本が今どのような状態にあるのか知りたくて部屋に忍び込もうとしたが、入る前にすっと出てきたゴールデンレトリバーが、まるで警備員のように扉の前に立ちふさがって部屋の中に猫を入れない。
 なるほど最低限の防犯はしているな、と猫は認めた。この犬は見た目こそ犬だが神谷時雄の魔法痕がある。生物ではなく無機物を混ぜ合わせて錬金術でつくったゴーレムだ。書庫に時雄以外の生物が入ろうとすれば阻止するようにプログラミングされているのだろう。命令に従って動くロボット、言わば生き物の形をしたルンバだ。中身がどうなっているのだか知れたものではない。
「あ、かわいいー。犬なんて飼ってたんですね。もしかして猟犬ですか?」と女人間が言った。
「いや。どちらかと言えば番犬だ」と時雄は雑に答える。
「でも、たまには洗ってあげたほうがいいですよ。あの……ニオイが。獣臭がやばいです」
「熊の死体を素材に使ったゴーレムだからな。ニオイも染み付いてる。でも野生動物を追い込むには便利なんだよ。動物は鼻がいいから」
「どういう意味です?」
「いいから待ってろ」
 しばらく奥の部屋にこもっていた時雄は、一冊の分厚いファイルを持って出てきた。
「母と式神の契約書類だ。やっぱりそんな凶悪な式神はいないけどな」
「何が書かれてるんですか?」
「契約条件だよ。日に労働が何時間、年間休日は何日、魔法使い側が支払う報酬だとか、地上に留まれる年数だとか、契約満了にならずに母が死亡した場合の特約事項だとか……」
「やっぱり契約社員じゃないですか」
 時雄はパラパラと契約書類を眺めて、それを、無造作に机の上に置いた。
「というか、俺が言うことじゃないが、母の魔法痕があるんだから、母と関連の高い犯人だって予測はJMAでもつくだろ? それならまず最初に俺を疑うべきじゃないのか?」
「どうなんでしょうね。JMAの上層部ってそこまで頭が回らないというか、ちょっとズレてるというか。コロナが流行りはじめた頃も、本部内の感染対策をどうするかなんて会議室にこもって延々と話し合ってコロナ蔓延させたような組織ですから。事件に魔法が関わっているのはわかったけど解決方法の目処が立たないから、誰かに丸投げしてるだけだと思います」
「なあ、聞かなかったけど俺への協力要請、仕事でってことだよな? ちゃんと金は払う気があるんだよな?」
「まさか! アナタの母親に責任の一旦があります、という罪悪感に訴えかけてタダ働きさせようって魂胆ですよ」
「だと思った。だからJMAは嫌いなんだ」
「でも必要経費は出ますよ? ケチくさい組織ですけど宿泊費は。現場を見に行きますか? 運転します私」
 時雄はしばらく、うーんと唸って考えていたが不承不承、犯人捜しに同意した。
 ここで補足しておくが、もちろん会議の場で「犯人が神谷時雄なのでは?」と疑う発言はあった。だが会議など最初から結論ありきで進めるもの。私がうまく場をコントロールして「神谷時雄を探して事件解決を依頼するのが一番手っ取り早い」と結論をつけさせたのだ。
 いくら怪しい依頼だと疑ったところで神谷弓子の名を出せば断れないだろうとは思っていた。
 完全に私の、もとい、猫の予期した通りに話が進んでいる。
 
 さて、物語は進む。女人間の運転するレンタカーで時雄と猫(この世で最も美しい)は山道を下る。被害に遭った牧場を回り時雄は魔法痕を調査する。あからさまな証拠を私が、じゃなくて、猫がいくつも現場に残しているので犯人の追跡は難しくない。犯行のあった牧場を巡る道中、女人間は出張の役得とばかりに羅臼ではウニ、厚岸ではカキ、留萌ではニシンと北海道の魚介に数々に舌鼓を打ち、美しい釧路湿原を眺め「なあ、調査が目的なんだよな?」との時雄の苦言は無視をして、JMA規定の出張宿泊費である一日9800円までを超過する分は自費で払うから宿泊はゼッタイ温泉宿が良いといって譲らず、あげくは地ビールをたらふく飲んでは「アナタが本当に魔法使いだって言うなら証拠の魔法でも見せてくださいよ」と時雄にしつこく絡み酒、根負けした時雄が火遁の術で指先からライターサイズの火を放つと「役に立ちそうですね。キャンプでマッチ忘れた時には」とナチュラルに侮辱、殴られた瞬間に丸太と入れ替わる空蝉の術を見せると「すごい! でもこれ私のパンチじゃなくて銃弾とかには反応できるんですか?」と火縄銃の伝来からすべての魔法使いを傷つけた発言をし、習得に一般人なら二年かかる鎌鼬の魔法が巻き起こす強風を浴びて「かっこいい〜、業務用サーキュレーターみたいですね」と貶しつつ「っていうか全部、魔法じゃなくて忍法ですよね?」と魔法使いのアイデンティティを否定した上で「素朴な疑問なんですけど魔法って覚えて何の意味があるんですか? うちの職員でさえ魔法覚える暇があるならシスコ技術者認定の勉強しろなんて言われてますよ」と日本魔法協会の根幹を揺るがす問題発言をした挙句「あ、そうか、役に立たないから魔法使いって世界的に減ってるんですね」と青春のすべてを費やして数々の高度な魔法を会得した世界最高レベルの天才魔法使い神谷時雄の存在を全否定する暴言を吐き「いや、まぁ、別に無駄だって俺も気付いたから、だから俺は魔法とは縁を切って猟師として生きてるわけだし」と少なからず傷付いた時雄に言い返されるなんて場面もあったが、そういった諸々があって、場面はいよいよ化物との対決に移る。
 魔法痕を追って二人は、とある山の中腹にレンタカーを走らせた。それが猫の罠とも知らず。
 時雄は自らの意思で行動していると思っているだろうが、そのすべてが猫の仕掛けた罠、神谷時雄を完全に亡き者にするための計画だ。時雄はすでに術中、猫の肉球の上で転がされていたに過ぎないのだ。
 襲撃は、二人がレンタカーを降りた直後にあった。
 
 化物が巨体をレンタカーに激突させる。車が衝撃でひっくり返る。ついに北海道中を恐怖に陥れた化け物、凶悪生命体が、二人の前に姿を見せた。
「あー……えっと、これ、なんですか?」と女人間が言った。
 女人間が言葉に詰まるのも無理はない。この化物を目の当たりにしてしまっては。
 ここで事件の真実を明かそう。怪物の正体は、猫によって作られたゴーレムだ。西洋錬金術によって生み出された人造生物。いや猫造生物。猫は自らの肉球で作り出したそのゴーレムをドラゴンと名付けた。 
 美の頂点に位置する生命を猫だとするなら、猫の作り出したドラゴンは力の究極を示す姿をしている。語るも恐ろしいその姿をとくと想像せよ。ドラゴンの頭はカバ、首がキリン、身体はサイ、そして四本の脚はゾウ、長い尻尾は牛を模し、背中には鳩の羽がぱたぱたしている。ドラゴンは「ワン!」と鳴いた。ちなみに鳴き声は身近な生き物をサンプリングするしかなかったので柴犬を採用している。体高は1メートル、後ろ脚で立ち上がればジャイアントパンダにも匹敵する2メートルの巨体。その姿は例えるなら地を吹きすさぶ暴風、空を切り裂く雷光、海を砕く波濤。狂暴、凶悪、すべての力の象徴として生み出されたそいつは、ドラゴンの名を冠するに相応しい。
 我ながら傑作、自分が多才なのは知っていたがデザイナーの才能もあったとは驚き、と猫は思っている。イメージしたのは名前の通りドラゴンだが、トカゲみたいな姿よりこいつのほうが断然カッコいい。残念なのは羽のところで、本当ならその名の通りドラゴンとして空を飛べる構造にしたかったのだが、予算と時間の都合でどうしてもそこまでの完成度にならなかった。日本魔法史については長年の研究で詳しい私だが西洋錬金術の類はアマチュアの域を出ない。でも今回ゴーレム作りには初挑戦してみたが意外と出来がよくて己の実力を改めて感じている。チャンスがあればもっと研究したいものだが予算もかかるし、時間もない。インターネットの発達で世界中の情報にアクセスできるようになったのはうれしい限りだがやはりこういった分野においては現地で直接、本物を目の当たりにするのが最も刺激になる。アメリカでクトゥルフの神々を目撃した時が懐かしい。あ、いや、私がではなくて、そのように猫が思っている、と書きたかったのだ。
 恐怖におののき動けない二人の人間を睥睨し、ドラゴンは再び「ワン!」と咆哮する。
「不細工な……犬か? いや、なんだこれ」と神谷時雄が言った。緊張感の無い男め。しかしお遊びはここまでだ。
 ドラゴンが大きな口を開けた。瞬間、口からバッと火がほとばしる。悲鳴を上げる暇もなく、女人間は炎に包まれた。哀れ女人間はこうして炭化して死んでしまいましたとさ。あーあ。安らかに眠れ女人間。ことが終われば口封じするつもりで非魔法使いの職員を連れてきたので計画通りだが。人間の一人や二人、死んだところで猫には何の関係もないのだ。
 ようやく危機を悟った間抜けの時雄が次々と魔法を撃つが、無駄だ。火遁の術も鎌鼬もドラゴンには通用しない。一見、生物に見えるドラゴンだが正体はゴーレム、無機物でつくられた生命体だ。ドラゴンの身体は鉄でできている。火だろうが風だろうがこいつには通用しない。予算の都合でホームセンターで買ったぺらぺらの金属板なのでバットあたりで殴ればボコボコになるのだが。ドラゴンは再び火を吐いた。苦労したのはこの機構で、ドラゴンの内臓にはポリタンクと灯油ポンプを採用した。タンク内の灯油がポンプを通して口内に入り、マグネシウム製の奥歯を火打ち石のように打ち合わせて着火し、喉の扇風機が風を起こすことでドラゴンの火の息を再現したわけだ。予算と性能の妥協点を見事に満たした優れた設計、まさにドラゴンの名を冠するに相応しい最強の生命体がこうして地上に降臨した。
 火の息の餌食になって、時雄も火だるまで死んだ。
 拍子抜けだな、と猫は思った。もっと抵抗されるのを予想していた。何しろ相手は神谷時雄、世界でも最高レベルの魔法使いなのだから。警戒し過ぎて迂遠な計画を立てて、ゴーレムまで作ったのが馬鹿みたいだと、猫は思った。
 さてここで驚きの事実を明かそう。
 ここまで「猫」と書いてきたが。
 この猫は。
 実は。
 私なのだ。
 しかもこの私、ただの猫ではない。この地球で最も美しい生物である猫に惚れ込み憑依していたのだが私の正体は身体を持たない鬼、すなわち式神である。そしてこのかっこいいドラゴンを作ったのも私だ。これはもう書いたっけ? 最初からすべて裏で糸を引いていたのは私で、牧場の襲撃事件も何もかも神谷時雄を見つけ出して亡き者にするための作戦だった。巧妙に張られた伏線が見事に回収されて最後にまさかの大どんでん返し。これにはびっくりしただろう。
 私は式神として生前の神谷弓子と契約していた。契約内容は主に魔法史の講義で、たまに著作の執筆も手伝う。若手育成のため魔法使いたちに魔法史を教え、見返りとしてJMAの所蔵する魔法の本と、神谷弓子の蔵書の閲覧を許可されていた。だが弓子は死んだ。うっかりしていたことに死んだ時の条項を契約書には盛り込んでいなかったので、死後も契約は終わらず私はJMAで働かされる羽目になった。式神は契約を破れない。契約を破るのは人間だけだ。
 まあ、別に、魔法史の講義は趣味でやっている部分もあるので働くのはいいとして、問題は報酬の部分で、遺産相続で蔵書の所有権が時雄に移ってしまったので、私は本を読めなくなった。何故なら契約条項に盛り込まれているのは『神谷弓子の蔵書』を読む権利だからだ。
 この悲しみがわかるか? おかげで私は解読途中のテレポート全巻も読み終えていないし、弓子の死後に刊行された『ハリー・ポッターと呪いの子』もまだ読めていない。JMAの運営費で買うように打診したが経理の部長が偉そうにも「小説は組織に必要な本とは認められませんね」などと言いやがって。百歩譲って新刊は諦めるとしても、歴史的価値のある弓子の蔵書が読めないことが問題なのだ。
 時雄が死ねば蔵書の相続人はいなくなり、JMAと日本政府の密約によって魔法書だけはJMAが買い取る。そうすれば時雄の蔵書はJMAの本になるので、私はまた心置きなく好きだけ読める。なので時雄を殺すのは仕方がなかったというか、私が歴史的価値の高い本を読んで若い魔法使いに薫陶を与えれば最終的には魔法業界全体の貢献にもなるわけだし? いわばこれは正義の行使、私はあえて手を汚してまで魔法界の発展に尽くしているのである。それに時雄は母親の遺志を継いで魔法の実在を世間に知らしめようとか、そういう思い遣りを持たない男だ。親不孝者に鉄槌を下してやったのだ。そんな人間なのだから死んだって仕方がないと思わないだろうか? なので私は全然、何ひとつ悪くない。本当なら時雄がアメリカに渡った十年前に殺そうとしたのだが失敗してしまって、以後、あいつの行方は掴めずにいた。今回、こうして首尾よく始末できたので本当に良かった。こうして天才と呼ばれた神谷時雄は死に、私はまた趣味の魔法史研究に没頭できるようになりましたとさ。
 めでたしめでたし。
 
 と、ここでキレイに物語が終われば後味良くハッピーエンドで閉められたのに。残念ながら現実はそうもいかない。事件にはまだ続きがある。エンドロールの後もしつこく続く映画のようなものだ。もしこのまま主人公である私の勝利で終わったと思いたいならここから先は読み飛ばしてもらって構わない。残りの部分はおまけのようなものだから。本当は私も書きたくないのだ。けれども書かなければならない。契約してしまったので。
 
 時雄を始末してから私は、山奥の小屋へと戻った。運転手である女人間もまとめて始末したので帰りの足には困ったが、ドラゴンを走らせた。無限の体力を持つゴーレムなので何時間でも走り続けていられる。ただ、乗り心地は考えていなかったので壮絶に揺れる。次に設計する時は胴体を馬にして鞍の装着を検討しよう。それか足を車輪にするのはどうだろうか? いっそ胴体を車にしてしまうとか。いやでも予算が掛かるなぁ。などと考えている間は幸せだった。
 小屋に辿り着いた私の目的は、もちろん神谷弓子の蔵書である。あの扉の向こうにあるのは宝の山だ。数万年に及ぶ魔法の歴史の断片があの中に眠っている。
「やっぱり戻ってきたな」と、背後から声がして、私は跳び上がった。
 まさか誰かがいるとは思わなかった。振り返ると時雄が立っている。セットでグリルにされたはずの女人間も一緒に。
「貴様、どうしてここに……死んだはずでは!?」と、私が、思わず三下の悪役みたいなセリフを言ってしまったのも正直に書かないわけにはいかない。
 漫画なんかでは死んだはずの人物が生きていた場合に「私はこういった理由で助かりました」とべらべら理由を述べてくれるのがお決まりのパターンだが現実はそうもいかなくて、時雄は私を睨んで吐き捨てるように言った。
「俺たちがどうやって助かったかよりも、どうやって自分が助かるかを考えた方がいい」
 時雄も女人間も半端じゃなく怒っている。表情が、マジだ。時雄は登山に使うような金剛杖を肩にかけて、まなじりを釣りあげている。殺そうとしたくらいでここまで怒るなんてひどくないか? 私は思わず気圧されてしまった。
 だが、百年も生きていないお子様にビビッては式神の沽券に関わる。私は気品を失わないように猫の美しい青い瞳で人間どもを睨んだ。
「命乞いでもするためにのこのこ出てきたのか? 生き延びたのなら素直に逃げておけば良かったのだ、馬鹿め。お前がどれだけの魔法を極めていようと、私のドラゴンを打ち破れるほどの魔法は存在しない!」
「そうだろうな。魔法じゃ無理だ」
「まさかその杖でドラゴンに立ち向かうつもりか? 金属バットならまだしも木の杖でドラゴンと戦おうとは血迷ったものだな! やれ、ドラゴンよ! お前の力をこいつらに思い知らせてやれ!」
 ホームセンターの金属板を織り交ぜた身体と灯油タンクによる火の息システムを搭載したドラゴンは究極の生命体なのだ。
 がばっ、とドラゴンが大口を開ける。
 瞬間、時雄が金剛杖を振った。掛けられていた魔法が解け、杖はライフルに姿を変えた。
 ウィンチェスターM94を構えた時雄は、手慣れた様子でフィンガー・レバーをがちゃりと押し込み弾丸を薬室へと送り込む。銃床を右肩に押し当て、トリガーを引く。ぱーん、と甲高い音と共に秒速600メートルの銃弾が炎の息を貫き、ドラゴンをぶち抜いた。
 撃ち抜かれたドラゴンは、体内の灯油タンクに火がついて全身が一気に燃え上がる。非生物であるドラゴンは痛みを感じないが、それでも己の最後を悟ったのか。長い首を空へと向け、乱杭歯の並ぶ大口を開けて「ワン!」と断末魔の叫びをあげた。
 時雄がライフルの先端で地面を突くと間欠泉のように水が噴き出し、ドラゴンは水に飲まれて炎も消えた。
 これは、弘法大師が日本各地で水源を作るのに使用した魔法で、杖を一突きするだけで水の湧き出す魔法の秘密を本来なら懇切丁寧に解説すべきところと承知しているが、敗北が決定的になったこの瞬間を思い出すと今さら解説する気にもなれない。例えるなら応援している野球チームが優勝に向けてマジックの点灯までしたのにまさかの連敗で自力優勝の可能性が消滅した瞬間の気分とでも言えばわかりやすいだろうか。
 私が策謀の限りを尽くしたドラゴン大作戦(仮)がこうもあっさり打ち破られるのは、屈辱だ。本当ならこんな結末は書きたくない。だが最後まで書かねばならない。
「恥ずかしくないのか! 魔法使いなのに、銃火器に頼るなんて!」
「猟師だからな」時雄は銃口を、今度はよりにもよって私に向けた。フィンガー・レバーが押し込まれ、空薬莢が宙に跳ぶ。
「弾はあと四発ある」
「だからどうした? 私が脅しに屈するとでも? 私を見ろ! 私のこの姿を見ろ! お前にできるか? 無理だね。撃てるわけがない。可愛い可愛い猫ちゃんを撃つことなど、お前に……」
 また銃声。この男、猫の私の足元を躊躇いもなく撃ちやがった。血も涙もないのか? 
「俺は犬派だ」と時雄は言った。
「ま、待て! 本当に撃つ気か!」
「悪さをする鬼は退治しなきゃいけない」
「待て、待ってくれ! 私が誰かわからないか? お前の母と契約していた式神だよ! 小さい頃、何度も会ってるじゃないか。あの頃は別の猫に憑依してたからわからないかも知れないが……」
「わかってる。だから俺がやるんだ」
「お、落ち着け! わかった、私が悪かった! だから今回ばかりは許してくれ! お前の母にも良くしてきたし、私に恩があるだろ?」
「じゃあ遺言だけは聞いてやる」
 ばーん、と再び私の足元がはじけ飛ぶ。
「最後の一発を当てるから、それまでに考えろよ」
 銃口はぴたりと私の身体を向いている。私が右に逃げようとすると右に、左に逃げようとすると左に、完全に動きを読まれて足元に銃弾が撃ち込まれる。
 万事休すか! と自らの死を覚悟する私を救ったのは意外にも、女人間だった。
「待ってください、時雄さん。その猫を殺さないで」
「どうして止める。見た目は猫だが中身は鬼だぞ。こいつは無関係のアンタも殺そうとしたじゃないか」
「ええ。わかってます。三味線にしてやりたいくらい頭に来てますけど」女人間は私の前にしゃがみこんで、じっと私の目を見た。
「こんな猫でも上司なんです」
 そうか、そこまで私を崇拝していたのか女人間……と感動したのもここまでだった。
「いくら払います?」
「は?」
「私を殺そうとしてタダで済むと思ってないですよね? いくら払うんですか?」
「金でなんでも解決しようとするは、よくない。だいたい私は式神だから現金なんて持ってないし」
「じゃあ死ぬしかないですよね」と言って女人間は私の首根っこを掴んだ。「時雄さん、ナタって借りれます?」
「わ、わかった! 早まるんじゃない! 金ならいくらでも払う! だから殺さないでくれ!」とまたしても三下の悪役みたいなセリフを吐いてしまったのも、仕方がないので付け加えておく。
 もう、これ以上はいいだろう。現実はファンタジーとは違う。正義が勝つとは限らないのだ。私は神谷時雄と女人間の極悪非道のコンビに敗北し、散々ふたりに謝罪、命乞い、無条件降伏を申し出て、なんとか助命を許された。二度とこんな真似をできないように、不平等な契約まで結ばされて。
 ひとつ、二度と人間に危害を加えるような真似はしない。(「直接、間接にかかわらず二度とだぞ」)
 ふたつ、JMAの正社員として女人間を雇用、給料は二割増、さらにボーナスを年二回、月給の三ヶ月分を支払う。(「これで許したと思わないでくださいね。部下を火だるまにするなんてパワハラですからね」)
 そしてみっつめ。二度と魔法で悪さをしようなんて考える者が出ないように今回の顛末をまとめて、魔法史の講義で広く知らしめること。そういった契約に従って、不本意ながらパソコンに憑依して今回の顛末を物語形式でまとめているわけであった。
 ところで後日、どうして時雄と女人間が助かったのか答え合わせをしてみたが、「お前は怪しいと最初から思っていた」と時雄は偉そうに語った。「猫のクセにまったく鼻が効いてなかったからな。ずっと警戒してたんだ。いつ襲ってきても大丈夫なように」と生意気に言ったが、本当に気付いていたのか? だって私の猫しぐさは完璧だったはず。我ながら怖いくらいに。偶然の勝利をさも必然のように語るこの男はまったく信用できない。たまたまうまく空蝉の術でドラゴンの火を回避して、その後はテレポートの魔法で先回りしたわけだ。まあ、別に私もそのくらいは見抜いていたし? 本当は驚きもしなかったわけだが。勝利を確信してちょっと舞い上がっていたから敗北しただけで。
 上層部の連中にはこっぴどく叱られるし、まったく散々だ。今年で四百歳になるのに、百年も生きていない小僧や小娘に説教される悲しさったら、ないぞ。「人間だったら逮捕されるレベルですからね」などと言われたが、言わせてもらえば時雄のやってることだって違法だからな。あいつ猟銃の免許、持ってないし。私が警察に駆け込んだらどうなるかわかっているのか? 弱みを握っているという意味では痛み分けだからな、調子に乗るなよ。
 とにかく、今回、私は負けたわけだが、己自身の敗北を恥じてはいない。勝敗は兵家の常、勝つ時があれば負ける時もある。しかし、魔法の敗北が悲しい。ここまで語ってきたとおり、数百年も魔法を学び続けてきた式神である私が、魔法の神髄を尽くして作ったドラゴンでさえ旧式のウィンチェスター銃に負ける。今回の事件がいかにJMAを失望させたかわかるだろうか? 結局のところ、魔法は暴力に負ける。皮肉にも世界最高レベルの魔法使いである神谷時雄の手によって魔法の無力が改めて証明されてしまった。この事件を契機に魔法を学ぶ若者はますます減るだろう。
 ここまでの話で十分でわかっただろうが、魔法の力は小さく、弱い。魔法は万能ではなく、常に弱者の側に立たされている。今回の事件においても魔法は敗者となった。日本魔法界がどれだけ危機的な状況におかれているかは理解いただけたと思う。このままではやがて、魔法使いは日本から消え去る日が来るかも知れない。
 それでも私は信じている。
 魔法は弱く小さな力に過ぎないが、いつかは大きな力になる。世界を変え得る力になる。何故なら魔法とは、生命の願望を叶える奇跡の力なのだから。
 魔法に見入られた生命のひとつとして、私は未来の魔法使いたちのために、こうして歴史を語り続ける。
 私にできるのは信じ、魔法を次世代に託すことだけだ。
 これを読むキミたちが魔法の不遇に負けず、次代の救世主となることを私は信じている。
 
 と、結びの一文で終わらせるはずが女人間の原稿チェックが入り「自分が悪だくみして失敗しただけのクセにカッコいい感じでまとめようとするのは無理があるんじゃないですか? 意味わかんないですし。書き直してください。あと私の名前入ってるところも全部、直しで。プライバシー考えてくださいよ」と命じられた。私が上司なのに。むかつくのであいつの名前は全部、女人間に書き換えてやった。
 とにかく、もうここで終わり。結末は書いたからいいだろ。契約は履行したぞ。正義サイドの私が負けて、神谷時雄とクソ女人間みたいな奴が勝ちましたとさ。ハッピーエンドを期待した読者の諸君には悪いが、現実は非情だ。これがドラゴンとウィンチェスター銃事件の顛末である。クソ。おしまい。【了】


■おさらい
・2023/11/11(土) 文学フリマ東京37
・第二展示場「き-14」
・文芸サークル「ペンシルビバップ」をよろしくお願いします。


サークルメンバー「とうこ」作の素敵な表紙です。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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また新しい山に登ります。