持続可能な介護と持続可能な夫婦について考える。
なるべく気楽に考えるタチではあるが、相当ストレスが溜まってきているらしい。
自分自身の事を、呑気で楽観的でメンタルはそんなに弱くない方と思っていたが、そういう変な自信を持っている奴が一番危ういのかも知れない。
だんだん嫌になってきた。
おばあちゃんが、認知症と診断されてもう介護が始まったなという時、夫は下の世話が必要になったら施設に入れると断言した。私は、そうなっても動じないように介護初任者研修を受け、今ではヘルパーとしてよそのお家で下の世話もしている。私を全面的にあてにされても困るので、その決断は妥当だと思うし、正直ありがたいと思った。
だが、義母の認知症は進み、判断力理解力は低下、塞ぎこみ、僻みっぽく、疑り深く、当然物忘れをし、話しが通じず怒りだし、強く言うといじめられたとメソメソし、そっとしておくと誰も相手にしてくれないといじける。みんながアレコレやってくれている事は全部忘れて、そんな事してもらった事がない。もう死んだ方がマシだ。デイサービスなんか行きたくない。風呂は今日は入りたくないとかなんとかキリがない。とんでも困ったさんだ。
認知症という病気なんだからしょうがない。いちいち間に受けないで聞き流せ。本人が一番辛いのだから。などと自分に言い聞かせるが、ダメージが累積していく。時々、「いい加減にしてください!悪い様にはしないから、言うこと聞いてください。」と言ってしまい、自己嫌悪でまたダメージが累積する。
夫も呑気なタチだが、口下手だし、話の通じない母親を相手に大声で怒鳴る事もあり、それを耳にするのもまたダメージ。
自分を棚に上げて、怒鳴る夫にそれはダメだと言うと言い合いになり、またそこでエネルギーを使いダメージが増える。今では、ちょっと大声出したくらいはスルーするようになった。
夕食は必ず三人で食べているが、耳が遠く、理解力もなく、みんなの話題にも関心ないしわからないおばあちゃんとは会話も困難。食べながら楽しくお話しすることは、結構難しい事なのだ。
という訳で、当たり障りのないテレビ番組をつけ、食事が終わるとお茶を入れて飲みながら、その続きをみる。または、息子夫婦がアップしてくれている孫の写真や動画を見せて、可愛いね。と言う。
今日は暑かったね、寒かったね、〇〇ちゃん、可愛いね!これしか会話はない。おばあちゃんそっちのけで夫婦で話す会話も特にあるわけもない。おばあちゃんが、「じゃあご馳走でした。お休み。」言って退室するまで、おばあちゃんモードに合わせている。おばあちゃんの方もちょっと頑張って私達に合わせてくれているかも知れない。だけど、去り際にブツブツ文句言いながら出ていく。以前は、なんて言ったのかな?と私が気にし、夫が「いいよ、ほっとけ」と言うが、どうしたんだろうかと気にかけていた。しかし今では、「またなんか文句言いながら出て行ったよ。」「いいよ、ほっとけ。」終了。義母は心の中の不平不満を私達に聞かせようとは思っていないと思う。でも、ちょっと早めに思考がダダ漏れしているようだ。
認知症の介護は、色々してあげても、全く感謝されないのがなかなか辛い所と聞いた事があるけど、ホントにその通り。なので、色々してあげようと思わなくて良いどうせ忘れるしという塩対応が正解なのか、してあげようと言うのがそもそもおこがましいのです、修行ですという達人対応が正解なのか。親切にして感謝されようという事自体が間違っており、無償の愛を注ぐ聖人対応が正解なのか。
私はそんなに偉くもなく、正解がなんなのかはわからない。
そして、だんだん弱って下の世話も必要になるのだろうと予想していたが、全く下の世話は必要なく、オムツどころかリハビリパンツさえ必要ない。尿漏れパッドの類いも使用していない。92歳で立派なものだ。そう言う訳で、下の世話が必要になったら施設を検討というタイミングが全くやってこないのだ。なるべく長く家で過ごして欲しいと思っていたのに、いつのまにか一体いつまでこれが続くのかと思い始めている自分が‥。
そんな中、月1のケアマネージャーの訪問の後のふとした会話から介護方針その他色々で夫と激しく衝突。そして、冷戦状態。いや、正確には、私が夫に塩対応中。おばあちゃんの面倒をみて、その後多分、自分の父親の面倒をみて、最後にあなたの面倒までみる自信が私にはない!おばあちゃんの介護は最後までするが、その後このまま夫婦でいるかどうかは一旦考え直す!場合によっては、この家出ていく!とまで宣言。夫は私より13歳年上なので、まあ夫が死んだ後私が呑気に長生きするだろうから、夫看取るのは私。というのが、なんとなくの共通認識。なので、夫的には「ばーさんの面倒は見るけど、その後は、ワシの面倒よろしく」と思っているのがありありで、それに腹が立つ。しかも、私の父の遠距離介護が始まれば、まさか邪魔するまいとは思うが、何の戦力にもおそらくならないだろうし、最初から期待はしてない。なんで私が三人分面倒見なきゃいけないんだ。そして、私自身もなるべく子供に迷惑かけたくないから自分の最期についても人任せに出来ない。
ここまで読んでくださった方、興奮しすぎてすみません。全く読み苦しい限りですが、これが現時点の偽らざる心境。
でも、noteに書きながら気づいた。
みっともねえし、ちっちぇな自分。(突然タフガイ風ですが、このまま続けます)
世の中には、もっと大変な人いくらでもいるんだぞ。一人で背負い込んでる気になってるんじゃねえよ。(最早キャラがよくわからないけど、このまま続けます)
それに、ベストな介護をしようなんて気負わなくても、失敗しながら三人分経験させてもらえりゃ、自分の時はちょっとはいい感じになるかも知れないじゃん。ならないかも知れないけど、やるだけやってみようぜ。(一体誰?)
はー、お付き合い頂きありがとうございました。ここに吐き出しているうち、謎のキャラが降臨してきて、元気が出ました。
これでもうちょっと、おばあちゃんのお世話も夫婦生活も持続可能な気がしてきました。
追記
ちょっと時間をおいて読み返してみて、我ながら浅はかでなんとも自分中心。修行が全く足りません。
記憶が途切れてなんだか分からなくて不安なおばあちゃんの気持ちは、自分がなってみないとその辛さはわからないものなのかも知れません。実の母親のそんな姿を見る夫も、平気ではない筈。しんどいのは私だけじゃなかったと反省。
とはいえ、なかなかよい対応も出来ず、もどかしい日々です。