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コラム■グローバルカルチャーと宗教派生因子(Life style, Identity, Ideology)

グローバルカルチャーと宗教派生因子(Life style, Identity, Ideology)
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ほんの少しだけ真面目な原稿になるので興味が持てる御仁だけがお付き合い頂ければ良いでしょう。本稿は私の根が三十数年に渡って張ってきた場所であると同時に、CosmopolitanでありTourismという根っこに関連したコラムとなります。

7/22 15:00のこと。私が管理する本家ブログにお一人で45ページもの原稿を読んでおられる読者の足跡が残されていた。三、四年前であれば特段珍しいことではなかったが、ここに来てこのような読み方をしてくれる読者は減っていることから、その足跡を有難く眺めさせていただいたのですが。
 さて、この読者。読んでいる原稿が凡て、ハラールに関連した原稿であったところが興味深い。ハラールとは、イスラーム教のルールの一つでもあり、即ち、信仰を持たれた人々の財産の一つと呼べる教えのことである。

本家ブログには、概ね8~9年に渡って書き上げられた330本のハラールに関連した原稿がある。まぁ、その中から一時間弱に渡って45本の原稿をサルベージしていただいたようなのだ。
どの様な目的をお持ちになって読んでおられるのかは興味深いところなのだが、精々、僅かばかりでもお役立ていただけたことを願うばかりである。
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私がこのような宗教から派生した因子であり、 国際社会における、Life style, Identity, Ideology、そしてCosmopolitanismでありTourismの原稿を書くときに最も気を付けていることを紹介申し上げると、全方向的耐性という言葉に尽きるのだが、この言葉自体、人によっては玉虫色、要はご都合主義の成れの果てではないか~と読む御仁が居ても不思議はない。しかし折角だ、ここで「誰一人として取りこぼすことなく」と読み方を修正して欲しい。
これが国際社会80億人のグローバルカルチャーに向き合う上でのベーシックであることを頭に置いてほしいのである。

例えば先に紹介したイスラーム教という宗教から派生したルールであるところの「ハラール」にしろ、ユダヤ教の教義から派生した「コーシャ」にしろ、ヒンズー教、ジャイナ教、仏教をはじめとする様々な宗教から派生したルール、また選択機能が働いた結果のライフスタイル派生型のベジタリアンであり、イデオロギーがベースとして息づいているエシカルヴィーガンという選択にしろ、この世界には様々なルールをライフスタイルの中に落とし込みながら生活を営む人たちが存在している。それらは一人一人の中、アイデンティーでもあり、イデオロギーとしても存在させながらそれぞれのコミュニティーで独自のカルチャーを形成している。

インバウンドを呼び込み取り込もうとする以上、当該市場への取り組みは、それらルールを持たれた人々を尊重する姿勢が求められるのは当然のことと申し上げられるだろう。即ち「誰一人として取りこぼすことなく」という考え方が基本となって然るべきなだ。
 と、ここまで書くと「分かるけど綺麗ごとではないか」と感じる人たちが出てくる。「いや、云っていることはわかるが無理でしょ」「そんなことしたって無駄でしょう」…………さて、こういう人達には何て言うんでしたっけ?
「あなたが面倒くさくても世界は進むのです。そのように」そう云えばよい
概ね、現状認識が出来ていない人々なのだから。
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さて現状認識といえば、東京オリンピックの開催が決定したころ。水面下で日本はとんでもない重責を担っていたことを知る人は多くはない。分かりやすい処「食」の問題なのだが、オリンピックの選手村で提供される食材の凡ては「国際規格」に準拠したものしか使うことが出来なかったのである。

 例えば野菜だが、日本がオリンピック開催地として選ばれた際、国際市場に輸出可能な国際認証を取得していた生産者は日本中の生産者全体の1%に満たなかった経緯がある。残念ながら日本の場合、食糧自給率が低いまま来ていたこともあり、国際社会に向けて野菜などを輸出するという土壌を育てぬままだったことはご存知のところだろう。また、食肉に関しては「ハラール」、「コーシャ」という宗教派生による"と畜・と体加工"のインテリジェンスの落とし込みが遅れていたこともあり、輸出市場向けの取り組みの遅れが顕著だった。

 さてここで少しだけ我が手柄の話しを書かせてもらうのだが、皆さんはTPPという言葉をご存じだろう。環太平洋経済連携協定である。
ご承知のようにアメリカ合衆国は加盟を見送っている。
 公式に、日本政府は発表していないのだが、アメリカ通商代表部は2016年か17年(ここでは記憶が曖昧)にTPPに関しての懸案を態度表明している。
 実は、これを何処よりも早く誰よりも早くみつけ、国家行政機関が発表する以前にリリースしたのが私なのである。 (私ね、得意なのよこういうの見つけるの。ツボにはまったら寝ないで勉強するので)

ではなぜ合衆国はTPP参加への懸案を持つに至ったのか。それが「ハラール」だった。私の本家ブログでは早くから書かせて頂いていることなのだが、TPPとは実は「環太平洋ハラール協定」に他ならないのである。
加盟国の殆どはASEANと経済的に密接なかかわりを持った国々であり、輸出輸入の取引が強固な国ばかり。また、ASEANの国々はイスラーム教を国教としている国もあり、また、イスラーム教徒人口が多いのもASEANの国に集中している。なかでも、マレーシアはイスラーム教国でもありTPPにおいても主幹事的役割を担っている。
 ではなぜインドネシアがTPPに加盟していないかという考え方が出てくるのも当然なのだが、これには「複雑な力関係」が機能しているのである。中国も関わってくるのだが、ここでは先に進む。

2017年アメリカ通商代表部は、TPPにおける、マレーシアスタンダードといわれる「厳格なハラール運用」姿勢に懸案を表明したのである。
ハラールは、食だけではない。生活インフラ全般にわたって存在する。例えばロジスティック。運送もである。
 豚やアルコールなどを配送したトラックで、ハラールのサプライを配送することは出来ない。それはハラーム(禁忌・許容されない)になるのである。

合衆国の国土面積の広さを考えたとき、国際社会で存在感を高めるマレーシアスタンダードと云われる厳格なハラール汎用のためのインフラ整備は非現実的であり、これが実現不可能のままTPPに加盟することはリスクが大きすぎたのである。合衆国は「対抗措置」として、自国内に既に存在したユダヤ教のルールであるコーシャの認証システムの拡大に舵を切ったのだが、ユダヤ教徒の人口と、イスラーム教徒の人口を比較した際のスケールメリットは火を見るよりも明らかであり、結果、TPP参加を断念した経緯が存在している。
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さて、話を少し小さくし、国内に目をむてみよう。
私が10年にわたり申し上げてきたことは簡単なのだ。

様々なルールを持った人たちのために取り組むことはグローバリゼーションの時代においては当然必要である。
グローバルカルチャーへの取り組みは進めなければならない。
しかし、そのことによって自国民が不利益を被ることは本末転倒となり、国際社会がこれまで辿った不幸を自国内で再現することに通じるということはしっかり覚えておく必要があるだろう。

日本国内の中にも様々なルールを持った人たちがいる。様々な宗教や信仰を持った人たちがいる。そういう人々が、イスラーム教のルールであるところのハラールや、ユダヤ教のルールであるところのコーシャを間違って選択することの無い「汎用プットフォーム」の構築こそが是であり、急務なのである。創価学会の人々や、天理教を信仰する人々が、他の宗教が定めるルールを知らずに手にすることの無いトレサビリティーは機能させなければならない。
インバウンドを呼び込むために、トレサビリティーの機能がしないサプライを流通させ、鹿児島県産の「う〇ぎ」と書いた中国産が流通するようなものを放っておくべきではないのである。

有体に申し上げれば、一つの宗教やルールに対して取り組むことを選択するのであれば、凡ての信仰や宗教、ルールについて心砕く必要があり、そのことによって想定される不利益をブラッシュアップし、プラットフォームに盛り込むことが国民の利益に通じてくるのである。

私はこの国にハラールが入り始めた頃から勉強する機会があり、他人様の信仰を飯のタネにしなかったからこれが云えるしこれが書けるのだが、そういう根っこを張らなければ、制度構築の是非すらもブワブワなものになってしまうのである。

Cosmopolitanismの根本は「世界中の人々、誰一人として取りこぼすことなく」と云うところに尽きるのだ。世界市民という言葉では伝わりきらぬだろう。ボーダレスな社会の考え方の基本は、誰一人として取りこぼすことなくということに尽きるのだが__________この国、政府も民間も経済団体も、ワッショイを有難がるのである。国造りの本流が「あるべき姿」を尊ぶ国であってほしいものである。

文責 飛鳥世一  

 ※細かな修正をいれるかもしれません。


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