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治りたければ「病み垢・闘病垢界隈」は卒業しよう。

こんにちは、あずねこ@社労士受験生です。

自己紹介にも書きましたが、私はメンタル疾患(双極性障害)を発症したことがあり、現在も治療を継続しています。

そんな時、SNSを通じて出会ったのが同じような病気を持つ不特定多数の人たちでした。

初めは顔も名前も知らない同士だった一部の方とは、次第に仲良くなるにつれて個人的にやりとりをさせていただく機会も増え、何気ない雑談をしたり、お互いの悩みを分かち合ったりと「友人」としての関係を築くまでになりました。

しかし、自分の病状が回復に向かうにつれて、こうした友人たちと知り合うきっかけとなったSNSの「病み垢・闘病垢界隈」に疑問を抱き始めました。

そこで、半年ほど前からは個人的に親しくなった方や、ネガティブな情報をあまり発信しない方を除き人間関係を整理、Twitterアカウントもツイートの「全消し」を行い、ユーザー名も変更。日々ツイートする内容も「メンタル疾患」をメインとしたものから、全く別のジャンルをつぶやくアカウントとして再出発しました。

今回は、こうした決断に至ったワケについて考察したいと思います。

そもそも”病み垢・病気垢界隈”とは何か?

名前からある程度は想像できると思いますが、主に自身のメンタル不全やメンタル疾患についての話題を中心にする、SNSアカウントの集まりのことです。

メンタル疾患に限らず、同じジャンルの話題を扱うアカウントや、同一のハッシュタグで繋がるアカウントのことを、Twitterでは英語の「群れ」や「集団」を意味する単語から「クラスタ」と呼ぶことがあります。「界隈」はそれに対応する日本語訳と思っていただくのが良いでしょう。

さらに、「病み垢」と「闘病垢」についての相違点についてですが、こちらは論争が絶えません。

簡単に説明すると「棲み分け」のようなもので、以下のような見解が一般的です。

・病み垢 - 自称メンタル不全を名乗っている人たち / リストカットなど、自傷行為と親和性が高い / 所謂「かまってちゃん」な人が多く、年齢層が低め
・闘病垢(または病気垢)- 医療機関で確定診断を受けて治療中の人たち / 自傷行為をネット上にアップロードすることに対しての嫌悪感が高め / 年齢層は様々

しかしながら、診断を受けながらも自傷行為を行ったり、病み垢ではあるが「かまってちゃん」ではない人も居るため、あくまで自己申告的な属性であることが多いです。

なお、本記事ではこの属性について論じるものではないことと、ネガティブな情報を発信することが多いと言う共通項がそれぞれにあるため、同列に扱うことにします。

”病み垢・闘病垢界隈”の投稿内容とは?

主に、病気や治療に関する投稿の割合が多くなる傾向があります。

例えば、治療の経過や処方されている薬の飲みごこちについて、発症のきっかけとなった出来事や生育歴について考察を加えたり、障害者支援施設などを利用している人はそこで起こった日常をつぶやく人もいます。

中でも特徴的なのはSNSのプロフィールの書き方で、限られた文字数の中に非常に詳細な「自分の取扱説明書」のようなものを書いている人が多い傾向にあります。

その他、仕事や趣味を持つ人はそれらの日常についても書くことがあり、一見すると一般的なアカウントと変わらない運用をしている人もいます。

当事者同士のつながりは大切だけど・・。

「病み垢・闘病垢」の問題点について論じる前に、ここで大事なことを書いておかなければなりません。

今回、記事のタイトルとして「治りたければ、病み垢・闘病垢は卒業しよう。」と付けさせていただきましたが、これはメンタル疾患を持つ人と誰ひとり関わるな。と言う意味ではありません。むしろ私自身こういったコミュニティを通じて、多くの人との出会いも経験させていただき、一部の人とは今でも親しい間柄を継続しています。

もちろん、当事者向けの自助グループや精神科デイケア等の医療施設、社会復帰を目的とした障害者支援施設の存在を否定するものでもありません。

ただ、私が問題にしたいのは以下の点についてです。

・インターネットと言う顔の見えないコミュニティ
・メンタル疾患を持つ不特定多数が繋がる状況
・情報の正確性や公平性・安全性が保証されていない

以上のシチュエーションを想像していただき、読み進めていただければ幸いです。

1.ネガティブすぎる大量の情報に悪影響を受けてしまう

「”病み垢・闘病垢界隈”の投稿内容」でも書きましたが、こうしたアカウントは自分の病気や治療に関する投稿がメインになります。

そこには当然「苦悩」も出てくるわけで、特にメンタル疾患の場合は発症のきっかけや生育歴について考察すると、そこには密接な関係があり、総じてそれらの体験は強烈な負のオーラを放つものが多かったりします。

例えば、虐待やDVなどの家庭問題・いじめや不登校などの学校問題・パワハラや過重労働などの労働問題などです。また、治療に関しても薬の副作用などがあるうえ、病気の症状の一つとして「希死念慮」や「自殺願望」が出てくることも少なくありません。

さらに厄介なのは、こうした疾患は季節や気温などの影響をも受けるため、ある朝SNSをチェックしようとすると、タイムラインに不調を訴える投稿が大量に並ぶことがあります。中には年中「自殺願望」と闘う人もおり、こういった人を中心にフォローすると、タイムラインがとんでもないことになります。

メンタル疾患は「心の病」だけに、外界から受ける情報にも人一倍敏感になるものです。そうした状況にある中で、こうした過激な情報にばかり曝されていては、療養の意味が無くなってしまうのではないでしょうか?

2.共感を得ることはできるが、有益な情報は出尽くしている

病み垢・闘病垢界隈で主に投稿しているのはもちろん、その病気の当事者たちです。

なので、最初のうちは自らの悩みを投稿し「いいね!」等のリアクションを得たり、他人の投稿を見ると大抵、自分と似たような境遇であることが多いため、非常に共感を得やすいコミュニティであると言えます。

しかし、主な投稿者が当事者で占められているということは別の側面もあります。それは何かというと

「当事者ゆえ、誰も解決の道を知らない」

ということです。「日々の悩みについては沢山の共感を得られるけれど、じゃあ結局その先はどう生きていけばいいのさ?」ということが分かりにくいのです。

また、病み垢・闘病垢界隈では、病気の治療法や社会資源の利用についての情報が盛んに語られることが多いのですが、それらの情報も一度得てしまえばそれほど目新しいものはなく、そのほとんどが医師やソーシャルワーカー、心理士、行政など専門の担当者に直接聞くか、インターネット検索を駆使すれば簡単に得られる情報だったりすることも多いのです。

インターネットの当事者界隈は発病間もない人が概要を知るための「取っ掛かり」としては有用ですが、ある程度情報を得る力を身に付けたら、無駄に長居するメリットはそれほどありません。

3.重症者ほどエライ・・?! 謎のマウンティング

私が病み垢・闘病垢界隈に身を置き続けることに最も疑問を持ったのがこれです。

治療が順調に進み、病気が治癒に向かい始めて社会生活を取り戻してゆく・・本来であればこれほど喜ばしいことはないのですが、どういうわけか、この界隈では「他人の回復を妬み、足を引っ張る人」が多いのです。

それどころか、治療の最中少しでも体調の良い日に「気晴らしに◯◯へ遊びに出掛けた」「趣味に打ち込んだ」「少し仕事をすることができた」と書こうものなら、「あなたは症状が軽いのですね」とか「私はこんなことすら出来ない」とか、ひどい人になると「気分が悪いので、そういう投稿はしないでもらえますか」なんてクレームを付けてくる人がいます。

また中には、精神科医が処方する処方薬や障害者福祉サービスに異常に詳しく、日々の治療の悩みを打ち明けると、「この薬よりも別の薬を飲んだ方がいい」等、医者まがいのアドバイスをしてくる人、精神障害者手帳や障害年金などの福祉サービスの申請について口を挟んでくる自称ソーシャルワーカーのような人、それらを総合して症状の軽重を決めつけては、マウントを取ってくる人まで様々です。

ちなみに、マウンティングの材料になりがちなのはこんな項目です。

・精神障害者保健福祉手帳 / 障害年金の等級
・処方されている薬の量や強さ
・趣味や仕事など社会生活の困難度
・自傷行為や自殺願望の深刻度

言うまでもなく治療の主役は貴方自身であり、治療行為や社会資源の利用についてはプロの判断を仰ぐのが鉄則です。はっきり言ってこういう人は治療の継続について人を惑わす厄介な存在でしかありませんし、そもそもメンタル疾患は判断力の低下も招く症状があるので、積極的に関わるべきではありません。

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回復に合わせて環境も変化させよう

以上これまで、病み垢・闘病垢界隈に長居することの問題点について書いてきましたが、もちろんその存在について真っ向から否定するものではありません。

先述したように、インターネットの当事者界隈は発病間もない人が概要を知るための「取っ掛かり」としては有用ですし、当事者同士で得られる共感は心の癒しにもなることでしょう。また、そこで得られた「個人的な」友人関係などは末長く大切にすることをお勧めします。

しかし、私は治療と回復が進めば、ネットの世界の中でも自分を置く「環境」を変化させることを提案したいと思います。

具体的にはこのような感じです。

・発病からしばらくの間 - 共感と情報が得られる当事者界隈に軸足を置く
・ある程度症状が安定した頃 - 上記の繋がりを縮小し、趣味や教養を扱うアカウントにも触れる
・回復期〜完治(寛解)までの間 - 家庭生活や仕事のスキルに関する繋がりも再構築し、ごく一般的なアカウントとして運用する

・・いかがでしょうか?
病状に合わせて環境も都度変えてゆく、これが「治りたければ「病み垢・闘病垢界隈」は卒業しよう。」とタイトルを付けた私の本意です。

もちろん、メンタル疾患の回復は一進一退でもあります。
ステップアップすることに疲れたら、以前の環境に戻ってみるのも全然ありです。

私も一当事者として、みなさんが充実した回復のステップを歩めることを願って止みません。


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