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番外編 教訓として学んだ事

こんにちは。あいも変わらずKENと僕の写真から失礼致します。

ちょいくどいので今回は番外編ね。
※ビールの次はハイボール的な。俺お酒弱いけど。

改めまして、まずこんなよう分からない男のバンド人生(回想シーン含む)にお付き合い頂きありがとうございます。

※※ビュー数も平均50回以上あり、有難い事に記憶の整理兼オーストラリアのトリビア発信に利用させてもろてます

___さて先日転職先の面接にて「ゆたチャンさんは何故わざわざオーストラリアへ?またなぜ英語を学ぼうと?」と聞かれまして、まあ真っ当な感じの社交辞令で交わしたんですね。

ただそれをキッカケにどのようにして語学に携わったのか?と回想してみたので自身の整理も兼ねて書いていきたいと思います。_______長いけど読んでみてね!


先ず家族構成として、
私の家族は母、叔母(母の妹)が英語に携わっており、叔母においてはアメリカの大学を出て、
現地はバージニア州でアメリカ人の夫と暮らしてます。

多分幼少期からそんな感じの環境だったから自然と英語に関心が行ったのだと思います(これしか思い当たらない)

時は経ち中学2年の秋、教師に
「英語の弁論大会があるから出てみないか?」
と言われ出場しました。

何となーく出た弁論大会、結果は準優勝で市内のテレビにも出て周りからはもてはやされました。

でも、自分の中で一つ不思議だった事がありました。

これは俺が本当に好きでやってる訳ではなくて 
誰かに認めてもらいたいから、やってるのかな?

と、なんか冷めてしまったんです。

そんな事もあってか翌年は3位。
(今思えば市内で3位は凄いんですが)
しかし、もう英語はつまらないただの記号に見えてきたのです。

高校はそのまま推薦で国際コースに。当然ながら周りは英語できる人だらけ。
……と言うわけでもなく結構みんなノリで進学していました。
砕けていてエリート感出さず、とてもいいクラスメイトに恵まれました。 

小〜高校生まではあだ名はジョニーでした!

音楽については、高校時代からはバンドにハマり、ひたすら色々なコピバンを始めました。レッチリやボンジョヴィにハマり始めたのもこの辺りです。
今みたいなバリエーションもなく、ただ音楽聴くのが好きな普通の学生でした。

で、す、が!

肝心の英語は、どうも全く好きになれなかったのです
何も楽しくない。ただの記号でした。

今でもアリーさんやKEN(AZNIGファンはご存知)とバンドの件で打ち合わせしても、英語話してる〜!なんて楽しさは皆無です。

  • なので英語を楽しいと思った事は、人生で一度もありません。

…まあそんな調子で高校卒業後はシドニーで前記事の通り過ごし、
就活もせずに帰国し、暗黒時代に足を突っ込みます。

★そうです、無気力ニート(1年だけ)です★

こんなイメージ

何なんでしょうね。
今考えたらとんでもねークズだし本当親には迷惑ばかりかけてたんですけど、当時は


「バンドで売れるからいい」

って考えてたんですよ。マジ甘すぎだっての。
更にニート時代は貢いでもらって生活してました。
(いや、いただき男子ゆたチャンじゃないんだから。)

__ここまでクソな人間になったのは何故か。
今考えると一つの答えが出るんです。それは

人生の決断を自分でしなかった事

これにつきます。

人間誰しも自分と他人がありますが、私の学生時代は変に注目されて教師からは(いい意味で)期待されまくっていたんです。

私の後に中学を出た弟からは
「〜先生、私がゆたを育てたのよ!あなたのお兄ちゃんは凄かったんだからってうるせーよ笑」

と言われたりもしました。そんなレベルです。

ぶっちゃけきつかったです。

まあきっとここで自分が強い意志を持っていればこんな事にはならなかったのかも知れないけど、冷静にプレイバックできる今は、きっと周りの人に強く言えない環境だったんだなって思います。

寄ってブレブレゆうたの完成です。

まあ結局バンドは対して売れず解散、2012年に第二新卒で就職し今に至ります。

という簡単な人生回想です。
はい。人生回想は終わり。


_さて、次のKENとの出会いシリーズ後編で詳しく述べますが、

私は去年KENから
「必ず成功する道は作るから、勝てる道に乗らないか?いかなる海外のコネも最大限使うし、邪魔する連中は海外のコネで叩き潰す」

とKENにしては珍しく強い言葉で言われ
まあ、一応会社員はしてますが、バンド生活に片足を突っ込んでます。

⭕️ここで先程述べた

自分の人生を自分で決められなかった後悔から

それをちゃんと自分で決める事🙆‍♂️

は活かせたような気がしています。

その点に関してはまあOK。

まだ言えない事多数ですしビッグマウスは良くないですが

僕はAZNIGは「勝てる道」と捉え名刺も作りやってます。

メンバーもまだ会社員や学生で辛い事あるかもしれませんが僕と同じコンセプトで、ブレずに最大限協力し、ついて来て欲しいと考えてます。

名刺交換の機会が増えるため作成。


長くなりましたが、結論

「ブレずに他人の意見を聞かなすぎるのも問題だけど、
ある程度の軸がないと致命的な結末になるよ。」

と、冴えないオッサンの回想でした。


他人は人生について何の保証もしてくれないよ!
気をつけよう。


〜次回からはまた音楽やオーストラリアについて書いていきます!読んでくれてありがとう!

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