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「こだわりがない」ことを薄々知っていたが、認めるとつまらない人間のようで嫌だったワケさ(私について④)

新しい勤務先に初出社する。
「早く仕事を覚えて一人前になろう」「よい人間関係を築けるだろうか」などなど、きっと期待と不安が入り混じっていると思います。

でも、当人の知らないところで、すでに評価が下されていたり、イメージが作られていたとしたら? ・・・私だったなら、何日持ち堪えられるだろうか。

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前回、勤務先の同じ班に、Z世代の新人クンがやってくるらしいことをお伝えしました。そして、「あじくんの班に本決まりになったよ」と、偉い人からの電話で知る。いくつかの「注意事項」とともに。

そんな「要注意人物」をふつう採用するものだろうか? 会社の採用基準がおかしくはないか? ならば、縁故くらいしか思い浮かばないのですが、果たしてその実態は? 

曰く、「面接で問題はなかったから、断る理由がなかった」という話でした。
慢性的な人手不足の解消は、現場仕事の会社では、喫緊の課題です。でも、マンパワーのパワーが、人工(にんく)の「数」で解決できたのは、いつの時代のことやら。


それで、偉い人をさらに追求してみたところ、ニュースソースは、なんと、噂話として耳に入ってきた、ある人物からの評価だったのです。

私個人としては、その評価の中身はともかく、話を鵜呑みにしたり、社内に広まるがままにしてしまう会社の対応には、納得ができかねます。こういう体質が原因で過去に退社に至ったケースもあり、居心地の悪さを感じる理由だったりします。

ちなみに、ある人物とは、ウチの会社に1年ちょっと勤務したひとでした。ただ、彼が評価した内容も、彼の行いも批判をしないことに決めています。単に聞かれたことに、答えただけなのかも知れないわけなので。私は彼の人間性を知らない。何より当事者ではないから、情報の精度を判断できないから。

新人クンの実際の評価は、一緒に働く同じ班の人や協力会社の人が、仕事ぶりから判断すればいいことです。なので、噂話や注意事項は、「一緒に働いている班のメンバーには話さないでおきます」と、会社の偉い人には伝えました。

しかし、私が社内のことを知らなかっただけで、、冒頭のように、すでに皆の知る状況となっていました。顔も知らない新人クンのことを、「そういう人って聞いちゃってるからなあ、とりあえず、イヤなやつなんでしょう?」などと、すでに悪い評価を下すひとすらいる。

ウチを辞めていった人の評価を元に。皆んなに信頼される人だと知らなかったのは、私だけなのだろうか。でも、環境が変われば人も変わる。そういうものだと、思うのですよ。

⚫︎確証バイアスにご用心
 ひとたび第一印象が形作られると、相手の行動にさまざまな特徴を見出そうとせず、自分の印象を確定する証拠ばかりを探してしまう傾向があります。
(中略)
確証バイアスによって、私たちは自分の仮説を証拠づける事実ばかりに目を向ける傾向があります

あなたはなぜ誤解されるのか だれも わかって くれない ハイディ・グラント・ハルヴァーソン著


好きだった人を嫌いになる過程で、嫌いな理由をどんどん発見できてしまうこと。その反対に、何か興味をもった時に、自然とその情報が目に飛び込んでくることで、確信に変わっていく。こんな例えで通じるだろうか。

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さて、前回の話は、私について掘り下げるはずだった回。

それは、私の性格が、自分が主体となって何かを達成するよりも、誰かの支援をすることの方に満足感を得やすいということです。その根拠には、東京で働いていたときに思いあたるエピソードがあるし、宮城で町の印刷会社に勤めた時に作った、私専用の仕事観を伝える販促資料にも、しっかりと表明されていたからです。

私について① 〜「思考を整理すること」がnoteを書く理由〜


▪️私には、こだわりがない。
言い切ってみたが、朝食を食べる順番は、まずお味噌汁から。洗濯物を干す手順なんて、日々、カイゼンを重ねて腕を磨いていたりします。


▪️こだわらないことに、こだわっている。 
そう言った方が意味が伝わるかもしれない。「何ごとも色眼鏡なしに見たい」と思うし、気をつけています。また「なるべく自分でやってみる」ことも信条にしている。あるモノやコトを好きな人の気持ち、苦労している人の心境など、当事者の目線での理解と思考ができるからです。

そして、「こだわらない」こととは? 
わたしの行動は、自分から湧き上がるというよりも、たいてい相手から始まることだと自覚をしていることに依ります。

自分でこうやりたい、ああやりたい、という意識が強くないからなのか。。誰かが叶えたい希望を、一緒に叶えてみたくなる。同じ方向に向かっていくことに、頑張ることなく、割とすんなり向かうことができます。流行りの「伴走」という言葉に近いというか。もちろん、その誰かの人柄や目的に共感できるかですが、そんな感じです。


こういう訳で、自分で自分のことを意思薄弱でつまらない人間だと、誰かに判断されてしまうのではないかと、少しだけ嫌悪してしまう原因なのも事実。

だから、新人クンの話で引用した「確証バイアス」の話の通り、本当につまらない人間なんだと、自分で自分を認めたようで、なんとも嫌な気分になってしまうのです。

以上が、タイトルの回収となります。

「こだわりがない」ことを薄々知っていたが、認めるとつまらない人間のようで嫌だったワケさ(私について④)

今回のタイトル                       

珍しく文章を書く前にタイトルが決まっていました。



長くなったけれど、更に掘り下げます。
私にとっては、今回は、そういう回です。

(自己分析は、今回で、一区切りかも?)


誰かがnoteで紹介していた本を、今朝、洗濯ものを干しながら音声アプリで聞いてみたら、「相手軸の自分でも良いのだ」と励されました。

はじめに
1 マーケターのように生きれば「やりたいこと」なんてなくても輝ける
 「人の期待に応える」ことで発揮される個性

(中略)
マーケティングは「生きる知恵」にもなる
 その思想を「生きる知恵」として仕事・キャリア・プライベートに活かそうというのが、本書『マーケターのように生きろ』の提案です。常に自分ではなく相手からスタートし、相手の求めるところを深く理解し、それを提供することで相手の役に立とうという考え方です。

マーケターのように生きろ 井上大輔 著

「自由主義」や「民主主義」のような思想には、それが正しいか間違っているかということはない。それに共感するか、しないかしかない。「マーケティング」を1つの思想として著者は考えている。いわゆる広告だけの話ではなく。

そして、1つの思想には、それと対立する思想があるとし、「小さな政府主義」に対して「大きな政府主義」。「革新主義」に対して「保守主義」のように。「マーケティングという思想」に対しては「芸術主義」だとし、そのことを「自分は誰かのためではなく、自分のために生まれてきた」という言葉で説明しています。

「マーケターのように生きる」に対して「芸術家のように生きる」は、図表1のように相反しています。あなたは、どちらの生き方をしていますか?

マーケターのように生きろ 井上大輔 著


私について言えば、ほぼ、出発点が「相手」である。

そして、今回のnoteを書くにあたって、参考にさせていただいたのは、こちら。

第三者の視点から分析する「エティック」、当事者の視点から分析する「イーミック」を、ご自身のインタビューや取材と文章に活かされていることを、わかりやすく書かれています。


勘違いかもしれないが、私には編集者の素質が、ほんのちっとだけはある、と思っています。前に働いていた会社で、編集タイアップ広告を作っていたとき、企画と構成について必死に考え抜き、書くことだけはライターさんにお願いしていました。過去にどうやって文章構成を考えていたかは、先日noteを通じて理解を進められました。だから、余計に自分がうまく書けないことを知っています。それでも、伝えたい人に伝わるような文章を、書けるかどうかはこれからだと、前向きです。


確証バイアスによって、私たちは自分の仮説を証拠づける事実ばかりに目を向ける傾向があります“

を、地で行っているナ。。


最後に、何度も紹介してしまった、印刷会社に勤めていた時に作った仕事観の資料を掲載して締めにします。私専用に自分のスタンスを明らかにするために作りました。会社の方針とは一切関係ありません。私がやりたかったこと、できることを載せたものです。

それは、私の性格が、自分が主体となって何かを達成するよりも、誰かの支援をすることの方に満足感を得やすいということです。その根拠には、東京で働いていたときに思いあたるエピソードがあるし、宮城で町の印刷会社に勤めた時に作った、私専用の仕事観を伝える販促資料にも、しっかりと表明されていたからです。

私について① 〜「思考を整理すること」がnoteを書く理由〜