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睡眠という名の逃避

春眠暁を覚えずという言葉がある。
春の夜は寝心地がいいため、ついつい寝過ごしがち、という季節あるあるをあらわした言葉だ。
最近の僕はこれを地で行っている。

今朝の惰眠ムーブ

今朝も一度は目覚めたが、俊敏な動きでアラームを消し、掛け布団を被ってしまった。
たまには早起きもいいかな?と考えて小細工はしていた。
テレビのアラームをつけて、消すためのリモコンを台所に置いていたのだ。これにより、アラームを消すために布団を出て歩くことになり、自然と起きられるのでは…?という狙いがあった。

しかし、寝起きの僕は天才的発想でテレビ本体の電源ボタンでアラームを消し、そのまま布団にもぐってしまった。
そしてスヌーズ機能も乗り越えた5度寝をかまし、昼前に起きたが調子が悪いのでさらに6度寝を決め込んだのである。
さすがにクソ人間ムーブすぎたと、ほんの少し反省している。

今朝だけに限らず、最近の僕はやたらと眠るようになった。
どんなに寝坊しても仕事前には絶対に一時間仮眠しているし、なんか一日が上手くいかないと思ったらすぐに布団を敷いてしまう。
(思えば高校時代もそうで、帰宅するとまずは寝ていた。)

眠りに眠り、眠りこけまくって薄々感じてきたのだが、どうも僕は逃避のために眠る癖があるようなので、概要をまとめておく。

寝すぎて罪悪感を持っている人は、この記事を読んで下には下がいるという圧倒的真実に気がついてほしい。

意識があるのが辛い

幸せな人には気づけない話だが、意識があるのが辛い人は一定数いる(はずだ)。
かくいう僕もそうで、起きている時間はほんのりと苦痛である。

なぜかというと、起きてると生きるためのことを考えなければならないからだ。
在宅ワークながらもいちおうは仕事について考えるし、家計のやりくりについても考える。食事の献立も考えないといけない。
過去の嫌な経験をいちいち思い出す悪癖もあって苦痛マシマシ状態なのだ。

『~しなきゃ』『~すべき』という思考の癖があるから苦しいという事はだいぶ前からわかっていた。
しかし、思考の癖は簡単に治るものではない。
なので考えるルートを変えてさらに突き詰める。
最後に行きつくのは、意識があるから苦しい、という身も蓋もない結論だ。
そして、その意識というやつに対抗しうる数少ない手段が睡眠なのである。

悪夢でも見ない限りは、睡眠中に苦痛な思考はやってこない。
それに、寝ると決めて布団にくるまっている間は、やらなければならない事を深く考えずに済む。
まぶたを閉じて体を休めていればいいのだから最高だ。
こんな思考回路ゆえに、最近はポケモンスリープのカビゴンに嫉妬する毎日である。

とまぁ、ここまでグダグダと語ってしまったが、意識が苦痛という状態に対する根本的解決策がないわけではない。

戦えばいいのである。
僕の場合で言えば、家事をしっかりやり、食事をとり、仕事をちゃんとする、という基本的な営為さえやれれば苦痛も軽減できるだろう。

動くのも大変だ

ところがどっこい、言い訳にするわけじゃないが僕は気分変調症だ。
気分変調症はうつ病のようなもので、ちゃんと生活するというのがかなり困難だ。
さらに気圧でおもしろいくらいに体調を崩す雑魚体質なので、うまく生活できる日はカレンダーの中でも本当に一握りである。

それゆえに、意識がある間の苦痛を軽減する現実的かつ合理的な手段、活動するという手段がなかなかとれないのだ。
体調不良&消化不良の日々で、自己嫌悪ゲージは溜まるばかりだ。

諦め

もう少し若い頃は、この消化不良と自己嫌悪にもう少し向き合っていたが、そんな気力も失せてきている。
代わりに湧いてきたのは、根本的解決に対する諦めである。

僕みたいな気分障害系中年男性が生活を整えて頑張ったところで、行きつくところはたかが知れている。
おまけに頑張る気力もあまりない。
体調に関してはさっき話した通りだ。

そんな中でもがいたところで、成果と苦しみが釣り合うことはないだろう。
実際、20代の僕はわずかな成果と引き換えに苦痛に耐えるような毎日を送っていた。
そして20代後半で限界を迎えた結果が今なのだ。

さすがに、20代の失敗を30代で繰り返して40代になったら、もういろいろと限界である。

諦めるのはよくないというのが一般的な認識だが、諦めるのがベターな選択肢になることもある。
20代後半で人並みの人生を諦めた事を僕はまったく後悔していないし、今後まともに生活する事を諦める事には大したためらいもない。

今後も積極的に寝ていく

最近の睡眠状況と人生への諦念を振り返って、ますます眠りへの欲求が強まってしまった。

メンタルヘルス的な意味でとにかく寝るべき時期なのかもしれないが、そんな理屈以上に、僕は寝て過ごしたいのだ。
暖かい毛布にくるまり、意識を現実から消してしまいたいのである。
自殺という究極の逃避手段は苦痛に満ちている。
一方で睡眠は逃避としては弱いが、眠る快楽は素晴らしい。

なので、今後も僕は積極的に寝ていくつもりだ。
みんなが青ざめた顔で身支度し、そそくさと出勤する時間も寝るし、嫌々ながら仕事している時間も寝る。
仕事終わりに酒を飲む時間とか、異性とホテルでハッスルする時間も、僕は寝て過ごす。

寝て寝て寝て寝て、ひたすらに寝まくってやるのだ。

しかし、嫌になるくらいに寝たら、もしかして何か気力めいたものが湧くんじゃないか、という希望を少しだけ持っている。
その希望がへし折れたらどうしようかとたまに考えるが、まぁそんな事は寝て忘れればいいのである。

みんなもガッツリ寝よう。

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