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学校はどうだった?-言語習慣-

前回までとは変わり、今回は言語習慣に関する体験のお話です。

ワタクシの通っていた高校ではアメリカの学校からホームステイの受け入れをしていました。ワタクシの家にもそのうち一人がホームステイに来てくれていました。

そのお友達は日本に馴染みのある方だったので、カルチャーショックのようなものはありませんでしたが、色々な発見はありましたし、文化の違いを教えてもらうこともありました。

その中で印象に残っているものの一つが言語と習慣に関する出来事です。


その日は、それぞれ授業と観光とが終わり学校で合流して一緒に家に帰る、という流れでした。

さぁ帰ろうか、というところで、


「今日は学校はどうでしたか?」

と聞いてくれたんです。


こう書くと普通じゃないか、と思われます。

確かに正しいです。正しい日本語ですし、さり気ない気づかいもあり、会話を始めるのに適切でしょう。


でも、ワタクシはこの質問に対する答えに詰まってしまったのです。

なぜかというと、日本の友達とこのような会話をしたことはおそらく一度もなかったからです。

小さい子どもにおうちの人が「今日は幼稚園/小学校楽しかった?」と聞く場面はよく目にします。

しかし、友達同士や大人の親子間では極端に少なくなります。(「最近どうなの?」などはよく聞きますが)


ワタクシはおそらく英語で尋ねられていたら自然に答えることができたでしょう。なんの違和感も感じなかったと思います。

でもそれを日本語で聞かれるという習慣がなかったために動揺してしまいました。

数秒経ち、挨拶の役割としての言葉だと気付きました。

相手に自分の日本語がおかしいのかな、とは思ってほしくないので、どもりながらも「良かったよ、楽しかったよ」と言って笑いました。向こうは安心した様子でしたが、なぜ動揺していたのか疑問に思っていたかもしれません。


そのとき、他言語を学ぶって面白いなぁと思いました。


正す必要はないんです。正しい日本語なので。

ただ、我々のそういった母語が基盤となる習慣やものの見方、考え方は無意識のうちに言動に出ているのだろうなぁと思い、興味深いと感じました。


また、国や人種で人を判断するのは良くないことですが、

より良い関係をつくるため、その人の使う言語圏の文化、国の背景などを学び、それを踏まえた配慮をすることも必要だと言えます。


そして、自らの考えもそのようなものから少なからず影響を受けていることを自覚しておくことも大切であると思っています。







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