東京路地紀行 14 杉並区和泉(代田橋)
杉並区と世田谷区の境界に位置する代田橋。東西に走る甲州街道と南北に走る環七通りを軸にして4象限でそれぞれに見どころのある町。今回はそのうちの左上に位置する水道道路そばの路地を歩いてみました。
そもそもなぜここに路地がひろがるのか?
和泉給水所あたりを水源とする暗渠が西から東へ向かってのびています。井ノ頭通りが水道道路として尾根道になっているのでここから低くなったあたりから水が湧いていたのかもしれません。この暗渠のまわりに家々が建ち並んだことが路地が広がるもとになったようです。
1.源流部分から沖縄タウンまで
冒頭の通り、京王線代田橋駅と明大前駅のあいだの井ノ頭通りに面するように設置されている和泉給水所。このそばが水源となります。行ってみるとたしかにボワットした窪地感があり、言われてみればこのあたりがかつて湿地で水が湧いていたかもという印象。
ここから少し歩くと川跡を感じさせてくれる小径が始まります。下流方向(新宿へ向かって)へ歩いていきます。左手は玉川上水の土手、右手は甲州街道に挟まれた谷になっていることがわかります。
そんな小径が車道とぶつかり四つ角になっている場所。そこに大吉市場と書かれた古い建物と日本のガウディとも呼ばれている梵寿鋼(ぼん じゅこう)氏の手になるマンション、ラポルタイズミの2つが向き合っているレトロと芸術的白亜の建物、なんともカオスな空間が目の前に。
ちなみにラポルタ→La Porta は、ポルトガル語でドア、門。つまり「和泉の門」。芸術的な外観、いいですね。
小径は続き、次は沖縄タウンの裏路地へ。その手前、ガンタ積みの路地。この裏感がとても好きです。
2.沖縄タウンと裏路地
暗渠を進んでいくと、昭和感満載の建物の裏に出ます。ここが沖縄タウンのなかでも中心的な存在のめんそーれ大都市場。アーケードの中にはいると店はやってないのかと思ったら、昼から営業している飲食店がありました。家族連れで食事、友達同士で昼呑みなどの人たちで混んでいます。
なぜ杉並区のこの場所に沖縄があるのか?
調べてみると、この沖縄タウンは自然発生ではなく、杉並区には沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷(いは ふゆう ・・・ なかなか読めない(^-^;))など沖縄研究の学者たちが23区内でも特に多く住んでいたことから町の活性化を狙って沖縄タウンがつくられたとのことです。
3.マンホールの天の川の路地へ
さて、沖縄タウンをあとにして再び暗渠の路地をたどります。ここにあるのは小川の跡らしい小径とその上に無数のマンホール。まるでマンホールが天の川のように連なっています。100メートルあるかくらいの距離にこの数。なぜこんなことになったのか。きっといろいろ経緯があったのでしょう。そして路地の片側には昭和の香りたっぷりのトタンの家々が建ち並んでいます。こんなにたくさんのトタンの家々、そして23区とは思えないガスボンベ…
なぜこのような光景が生まれたのか。それはぜひ現地に足を運んで確認してみてください。きっとその光景に驚くことでしょう。
そして、マンホールだらけの裏路地を抜けて表通りにでると、遠くに
西新宿の超高層ビル街がかすんで見えています。
このまっすぐな道は水道道路。明治以降に都心(当時は東京市ですね)に飲料水を供給するために玉川上水に代わって、和泉給水所から淀橋浄水場まで水道管を通し、その上にひかれた道路です。いまはその役目をおえて。。。ただのまっすぐな道??
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