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柳原白蓮根団子

太宰府天満宮を歩いていると、鳥居にこんな名前を発見。


二の鳥居也。

大正や昭和初期に活躍した炭鉱王。
歌人として有名な柳原白蓮の二度目の夫。
ということで、主に伊藤伝右衛門と柳原白蓮の関わりを妄想した記録。



材料

蓮根  1本
卵   1個
醤油  大匙1
片栗粉 大匙1
塩   小匙半分

伊藤伝右衛門が生まれたのは幕末の万延元年(1861)筑前国穂波郡という現代では筑豊と呼ばれるエリアの出身。
貧しい目明しの子で寺子屋にも通えず、丁稚奉公や魚屋、石炭掘り等で生計。子供の頃からの働き詰めで文盲でした。
石炭を運ぶ船の船頭をするなど、幼い頃から石炭が身近にありました。
自らも採炭に携わり、やがて炭鉱経営。
見込みがないと言われた炭鉱も伝右衛門が手を付けると、良質な石炭が出たということから、山師と言うべきセンスもあった。
富国強兵、殖産興業の時代ですから石炭はどんどんと売れて財を成す。
旧士族の娘、辻ハルと最初の結婚。


蓮根を細かく刻む。

明治十八年(1885)東京に生まれた燁子(あきこ)が後に伝右衛門の妻となる柳原白蓮。
生家の柳原家は元々公家で華族。父親は伯爵。
しかし、実は出生に秘密あり。
父が柳橋の芸者、りょうとの間に設けた子。
りょうの父、つまり燁子の祖父は新見正興。幕臣であり、日米修好通商条約批准のために遣米使節の正使として太平洋を渡り亜米利加に行った人物。
副使だったのが小栗上野介。

江戸幕府がそのまま続いていれば、高級旗本の令嬢として然るべき大名や旗本の奥方に納まった人が芸者として売られる。世の移り変わりの無情さよ。
燁子が3歳の時にりょうは死亡。よって燁子は実母の存在を知らずに育つ。
やがて北大路家に養女に出される。これは北大路家当主といずれ結婚させるための措置。
養父に和歌を教わり、文学に興味があった燁子は学校に通わせてもらうが、北大路家の息子との結婚を急がされて、退学。
七歳年上だった最初の結婚相手は粗暴な所があり、更にその口から
「おまえなんか妾の子だ」と燁子は出生の秘密を知らされる。


卵と蓮根の半量をミキサーで攪拌。

嫌いな相手と結婚を余儀なくされ、子が生まれたものの結局は離婚。
実家というよりも主に兄夫婦の所で厄介になり、再び学校に通う。
女学校を卒業した明治四十三年(1910)に上野で見合いをさせられる。その相手が伊藤伝右衛門。
妻を亡くしたばかりの伝右衛門は50歳。白蓮は25歳と親子程の年の差。
東京や京都で生活してきた華族の令嬢と福岡で石炭掘りから成り上がった実業家。
燁子の兄は貴族院議員に出馬する予定があり、伝右衛門からの資金援助を期待。伝右衛門は名門との縁を求めた。という利害からの縁談。


攪拌した蓮根、刻んだままの蓮根、醤油、片栗粉を混ぜ合わせる。

世話になっている兄夫婦のために又、今度の結婚はうまくいくかもしれないという淡い期待を抱いて、燁子は伝右衛門に嫁いで福岡へ。
当時、
「華族の令嬢が売り物に出された」と話題に。
大正天皇の従兄弟に当たる燁子が成金の炭鉱王に買われたと見る人が多かったということ。これでは結婚というより人身売買。


丸めて油で揚げる。

女遊びが激しかった伝右衛門でしたが、燁子を迎えるに当たり、身辺整理。それでも家の取り仕切りに必要ということから、一人の妾を女中として残していた。その女中と燁子は対立。
和歌や文学に興味がある燁子と文字すら読めない伝衛門とでは趣味嗜好が合う筈もない。満たされない思いの中、燁子は短歌にのめり込んでいく。
私生活を詠う内容で差し障りがあるかもしれないという配慮から、師の佐佐木信綱は雅号の使用を勧めて、信仰していた日蓮に因んで白蓮と名乗る。


油を切る。

伝右衛門も夫婦間の溝を埋めるべく努力。
白蓮の歌集出版を後押しして、伊藤家の農園で歌会を開く。
歌心がない伝右衛門は客人の接待。
しかし、溝は埋められるどころか深くなっていたようです。
ついに起こったのが「白蓮事件」

油を切っている間に上に掛けるタレを作る。


材料

醤油   大匙2
出汁つゆ 大匙1
塩    小匙半分
葱    少々
生姜   半欠け
片栗粉  大匙1
水    大匙1

大正十年(1921)伝右衛門と共に東京に滞在していた白蓮は親族を訪問するという理由で東京に残る。
白蓮はそのまま愛人の宮崎龍介と駆け落ち。
大阪朝日新聞に伝右衛門への絶縁状を掲載。
不倫の末に縁切り状を新聞という公器に掲載。前代未聞とはこのことか。


片栗粉と水以外を煮る。

大阪毎日新聞が今度は伝右衛門の反論文を掲載。
全十回の予定でしたが、伝右衛門側からの申し出で四回で中止。
この反論は伝右衛門が書いたものではない。何しろ彼は読み書きが出来ないので記者の聞き書き。
当時は録音技術もないので、記憶違いもあるでしょうし、記者が面白おかしく誇張したこともあり、事実とは異なることも多かったのかもしれません。
こうした一連の騒動が「白蓮事件」


水溶き片栗粉を混ぜてとろみを付ける。

血気盛んな炭鉱の男達の中には、
「姦夫も姦婦も四つに折って叩き斬ってやる」と息巻く者も。
「一度は惚れた女だ。手出しは無用」と伝右衛門は一喝。
「一切の弁明や非難もするな」と伊藤一族にも厳命。
終戦までは「姦通罪」が存在。
つまり不倫は犯罪でした。
伝右衛門がその気になれば、白蓮を訴えることも可能。
それでも惚れた女が幸せになるならばと一切、口を噤んだ。
九州男児らしい男気を感じます。


柳原白蓮根団子

ペーストの滑らかさの中に混じる刻んだままの蓮根の食感がいいアクセント。
生姜醤油のタレが甘辛くてよく合う。葱のアリシンが食欲増進。
ビタミンCやカリウム豊富な蓮根。食物繊維も摂取出来ます。

江戸時代の庶民が言った。
「自分は生まれてよかったと思うことが二つある。大名に生まれなかったことと男に生まれたこと」
つまり上流階級に女として生まれるのは不幸と思っていたということ。
白蓮の母は旗本という上流階級に生まれたが、世が引っ繰り返ったために芸者として売られた。白蓮も兄の選挙資金作りのために伝右衛門との結婚を余儀なくされた。
文明開化となっても、女は売られる物という感覚は変わっていなかった。
現代は一応、恋愛も結婚も個人の自由。(中にはそうではないケースもあるでしょうが)
ずっとそうあって欲しいものです。

白蓮と離婚後、伝右衛門は妻を迎えることはなかった。
白蓮が伊藤家に持ち込んだ洋食や女中や使用人の言葉遣いの習慣はその後も伊藤家に遺った。夫婦として添えることは出来なかったものの、伝右衛門は白蓮を思い続けていたと思いたい。




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