怒り
2023年11月。
『怒り』という映画を見た。
※冒頭、残虐なシーンがあるので注意
2016年の作品。
「Amazonプライムビデオ 泣ける邦画」で調べたら、『怒り』と出てきた。
あらすじだけ見ると泣ける感じではなさそうだ。
だけど、“信じて見てみる”ことにした。
“信じて見てみる”と思って移した行動は正解だった。
結果泣くことはできなかったが、メッセージがすごく強い映画だった。
あらすじ
東京で夫婦が惨殺される事件が起きた。
壁には大きく「怒」と残されていた。
事件は未解決のまま1年が過ぎようとしていた。
【千葉】
漁港で働く慎洋平には愛子という娘がいる。
愛子は家出をし、新宿歌舞伎町の風俗で働いていたが、身も心もボロボロになり、洋平に連れられて千葉へ帰った。
愛子が不在の間、漁港には「田代」と名乗る男が働くようになっていた。
2人は惹かれ合い、恋人となった。
しかし田代には"何か"隠していることがあった。
【東京】
ゲイが集まる店で、藤田優馬は「直人」と名乗る男と出会った。
生活感がまったくない直人。
優馬は直人と関係をもちながらも不信感もっていたが、徐々に直人に心を許していった。
しかし、直人はどこか優馬に心を許してはいなかった。
優馬にもまた、"何か"隠していることがあった。
【沖縄】
沖縄に越してきた高校生・小宮山泉。
同級生の知念辰哉が運転する船で、近くの無人島を訪れた。
誰もいないはずの無人島で、泉は「田中」と名乗る男と出会った。
怪しい「田中」に最初は不信感しかなかったが、田中の人の良さに、泉と辰哉と田中の距離は縮まっていく。
ただ、「自分が離島にいることは誰にも言わないで欲しい」と、田中もまた"何か"隠していることがあった。
ありきたりな日常に馴染んでいく隠し事をのある3人の男。
もしかするとあの痛ましい夫婦殺人事件の犯人なのか。それとも…。
怒りの根源
身元がはっきりしない3人の男たち。
3人とも犯人に見えて仕方なかったが、私には「この人が犯人じゃなかったら誰が犯人?」と思う人がいた。
しかし、話が進むにつれ、残りの2人も疑わしくなってきた。
終わりまで、誰が犯人かとハラハラしながら見るのは楽しかった。
犯人だとわかった時。犯人じゃないとわかった時。
登場人物の感情の溢れ方がすごかった。
それは人間の感情が生々しく溢れる姿だった。
怒り。
怒りから出てくる狂気、後悔、絶望。
怒りには色んな種類がある。
いや、その逆だ。
狂気、後悔、絶望が怒りへ変わるのだ。
信じてたからこそ、裏切られた時の相手への怒り
信じることよりも疑ってしまった時の自分への怒り
信じることと疑うこと、この境目、基準とは一体何なのだろう。
“信じる”と“疑う”はいたちごっこ
個人的な話になるが、私は信じることより疑うことが多いと思う。
それは信じていて裏切られた経験があるから。
親、友達、恋人…。
信じてたものが崩れ落ちるのはとても簡単だ。
そんな容易いものを、“何”をもって信じていたのか。
例えば親の場合。
私は親から勘当をされた。
親だから、血が繋がってるから、“絶対”だと思ってたのに。
"絶対"なんてものはなかった。
子どもの頃、親は“絶対”的存在だった。
私は親の“何”を“絶対”だと思って信じていたのだろう。
私だけじゃない。
みんな“何”を信じて生きているのだろう。
“信じる”って何?
【信じる】
疑わずに本当だと思う。
【疑う】
信じない。不安に思う。
“信じる”と“疑う”はいたちごっこみたいなもの。
信じるかどうかはもう思い。
愛だ。
そう言えば映画の中でも、「相手を思うからこそ」というシーンが幾つもあった。
無機質な世の中
今私たちは無機質な世界で生きている。
テレビから流れてくるニュースは、感情の抑制のきかなくなった人間が起こす事件が多い。
世の中便利になり、大量生産されたものにはあたたかみない。
また、スマホを使った電子的な言葉のやり取りからも言葉のあたたかさが失われつつあり、隣の芝生を妬み、隣の芝生よりも青くなろうと殺伐としている。
そんな世界で生きていれば、自分の感情へのアクセスは鈍感になり、感情はより爆発しやすくなる。
発散しきれず隠されてしまった感情、それが狂気として、凶器となった。
それがこの映画の犯人の姿。
そしてこれは物語でも、他人事でもない。
身近でいつ起こってもおかしくないことだと思う。
お正月休み向けの映画ではないが、「怒り」から溢れる感情、「怒り」の根源について、深く考えるきっかけになる映画になると思う。