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娘が生まれるまでの不思議な話



このツイートがきっかけで、娘が産まれてくるまでの事を久しぶりに思い出しました。

そういえば、私も娘を授かったその瞬間に【異変】を感じた1人です🐣

私の場合は優しいエネルギーの流れを感じるのではなく、突然お腹の中が熱く痛くなり「何が起きてるんだ??」と少しパニックになりました。

その年の夏にちょっと体調を崩すようなことがあったので、再来かな??と思ったのもあり、印象に残っています。


子供を授かるというその時、人生は大きく動くので、多くの人が何年経っても鮮明にその時のことを思い出せるものだと思います。


私も娘を授かった時の様々な出来事が、バラバラだった点と点をつなぐように少し不思議で面白い流れだったので、今回はここにそれを書き残しておこうと思います。

長いので、お時間がある時にどうぞ。


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祖母の死

時間は娘を授かるよりも1年程遡って、2015年の3月。

春分の日の翌日、木蓮が綺麗に咲く日に大好きだった祖母が他界しました。


私にとって祖母は、何だか不思議と安らぐ存在で、それは子供の頃よりも大人になってからの方が強く感じるようになっていました。

成人してから私が心を壊した時も、しばらく祖父母の元へ身を寄せて居たので、祖母との時間は濃厚だったと思います。


その後私が元気になり働き出しても、同じ市内に住んでいた時は母と共に毎週会いに行きましたし、入院をすれば必ずお見舞いにも行って居ました。

仕事の合間に、自分が働く百貨店でぬいぐるみを買い、病院へひょっこり渡しに行った事もあります。

自分で言うのも変ですが、孫の中で1番祖母に会いに行った(理由も用事もなく)孫だと思っています。

(ちなみに今もお墓参りは気軽に、特に何はなくとも行きます。笑)


亡くなった知らせを受けた時、私は主人と一緒に他県に住んでいたので、なんとなく「私の居場所がわかるように」とベランダに黄色いリボンを括りつけておきました。

翌日、葬儀の為に実家へ向かう途中、私の持っていた手提げの持ち手のリボンが、解けたことなどないのに解けてしまい「そうかーこの世でのご縁は1度終わりか〜」なんて思ったのも覚えています。

葬儀の時間はとてもあたたかく、不謹慎ですが、私は何故か笑顔でいる時間が長かったように感じます。

祖母はきっと、沢山の親戚や大好きな人たちが一気にその場に集まったので、なんの事かは気にせずにとっても楽しそうにしていたと思います。

あちらこちらで祖母が一緒に笑っている、そんな空気でした。


祖母の夢

そこから1ヶ月半後。

今思うと丁度四十九日前後かな。

私はある時不思議な夢を見ました。


亡くなった祖母が私に、キラキラと黄金に輝く細い針のような、または水晶クラスターのようなものを見せて言うのです。

「あゆちゃん、こればぁちゃんにちょうだい。あゆちゃんには、これあげるから。ね。お願い。これはばぁちゃんが持ってくから、これあげるね。」

と。

私はただ黙って頷くしか出来ませんでした。


翌日飛び起きて、母にその情景を描いて見せると「じゃあ、貴女にはこれをあげるね。」と祖母の使っていた金のネックレスを形見分けしてくれました。

そのネックレスは、母から貰ったダイヤのネックレスと共に、その日から毎日私の首元にあります。

ちなみに金色に輝くものは、祖母が私に渡したものでは無く、私から持ち去って行ったものでした。そして受け取ったものは、掌に2つか3つの小さな何かでした。


祖母が夢に出てきたのはその時ともう一度。

ちなみにもう1回の時も確かとても大事な事を教えてくれて、何かが変化したのですが。私はそれがなんだったかを今思い出すことが出来ません(忘れてしまった...!!)


腹痛

話は戻ってその夢を見た数日後。

私は食事後に、強い腹痛に耐えかねて、救急車で病院へ運ばれる事となりました。


原因は不明で、弱かった腎臓、婦人科、消化器科全てを2ヶ月かけて大学病院で総点検する事になりました。

多分私が思うに、当時は祖母のこと以外にも様々な事が一気に起こっていたので、疲労があったのだと思います。

検査した結果、身体は至って健康でした。(何度か経験あるんですが、これ本当に恥ずかしいんですよ......💦💦)


節目の誕生日

そして時間は10月へ。

私の誕生日がやって来ました。

主人が私に「30歳、節目だけど何したい??」と聞いてくれたので

私は「墓参りと静岡のおばあちゃんに会いに行きたい」と答えました。


30歳まで生きられたこと(至って健康なのですけれどね)それが何より嬉しくて、この命を繋いでくれた人達に感謝を伝えたいと思ったので、連れて行って欲しいとお願いをしました。

翌日、私と主人は家を出て、祖母のお墓参りをして祖父に会い、そのまま静岡へ行きました。


静岡では、もう1人の祖母が温かく迎えてくれました。こちらの祖母も、私にとってはとても大事な存在です。幼い頃一緒に暮らしていて、私の人格形成に大きな影響をくれた人なのです。

私にとって「母親」という人達は、人生においてあらゆる場面で重要な存在になっていました。


静岡で祖母と共に食事をし、私はずっと行きたかった静岡観光を楽しみました。

大好きな登呂遺跡。三保の松原。

久能山東照宮。

久能山東照宮は、とにかく美しい場所でした。2人で笑いながら頂上まで階段を駆け上がって、天から海を見下ろし、改めて命に感謝したのでした。

大好きな富士山にお礼をして、再び日常へ戻っていきました。(ちなみに仕事があるので埼玉から日帰りでがんばりました。笑)


こうして私の「いつもとは違う出来事」はさらに増えていきます。


個展

11月。

学生時代の恩師に紹介して頂いて、ずっと描いていた絵の個展を開くことが決まりました。

場所は可愛い表参道のパンケーキカフェでした。

私は絵を描くことは好きでしたが、絵の世界については無知だったので、個展をするなんていうことは夢のまた夢のような出来事だったのです。


「夢が叶う」


とにかく感謝しました。一緒にいてくれる人たち、紹介してくれた人。更には自分が壊れかけたような経験にですら感謝しました。


全て自分の"今"に繋がっているのだと強く実感し、真っ直ぐ絵と向き合う日々を送りました。

そして私は絵と向き合う中で、過去の自分とも向き合い続けました。

その時間は、人生の反省、感謝、喜び、痛み、何もかもが愛おしくあらゆる感情が全て吹き出した時間だったと思います。


そして新年。

個展が始まりました。

人に絵を見てもらうのは初めてで、不思議な感覚でした。物心ついた時から、ずっとずっと描いてきた絵。誰にも見られずにきた絵。

癖の強い作品ばかりですが、それはそれは誇らしげに飾られていました。

夢が叶ったと思いましたし、人生が報われたような気がしました。辛い思いも苦しい思いも、ここに繋がってたのかと。

ですが、本当に繋がっていたのは、もう一個先の出来事だったようです。


再び腹痛

個展も中盤に差し掛かった頃。

夕食を笑って食べていた夜、私は再び強い腹痛に襲われ、動けなくなりました。

ですが今度はお腹がとても熱く、とにかく熱く、苦しいという感覚で、私は吐き気を感じて一気にパニックになりました。

「何かが起きてるけれど、何なのかがわからない。」

いつもとは違う不調に、その日はすぐに布団に入り、温かくして眠りました。


翌日、痛みはすっかり治り、何事も無かったかのように元気でした。(またか...!)


母とカードの予言

その頃、母がやたらと「もしあなたに子供が出来たら」という話を繰り返していて、更にはカードを引けば子宝のカードが出たりしていました。

ですが私には「母になる人を尊敬するし大好きだけれど、恐れ多く、自分では肉体的にも母になることが出来ない。」という思いが強く、親になるということは、思ってもみないことでした。

主人とも子供欲しいねとは言っていましたが「無理なんだろうね」と互いに思っていました。

母だって、私は子供を産めないだろうと思っていたのに、何故そんな話をするのかが本当に不思議で。


でも実際は、母の予感は的中していました。

個展の終盤でわかったのですが、私は、新しい命を授かって居ました。

安定期前でわからないから親にはまだ言えないなと思っていたら、母から電話があり「夢であなたに赤ちゃんが出来て」と言われました。

新しい時計の時間が動き出したような感覚がしました。


数えてみるとあの腹痛は、丁度赤ちゃんがお腹に来た時と同じでタイミングでした。


そして実は妊娠がわかった時は、私が働いていたアパレルショップの閉店も決まっていて(個展が終了するのと同じタイミング)自分の未来の予定がすっぽりと空白になっていたのです。

なんだか、まるで全て決まっていたかのような流れで、私は我が子を授かったのでした。


生きるその隣には常に死が

そこから私は、25歳の時に大きく人生を変えたのと同じように、再び人生を一気に変えていきました。

私は子供を宿している時も、産んだ直後も、ずっとずっと、死を身近に感じて過ごしました。

(出産時も娘の心拍が止まったり、お産に41時間かかったりと、命の境が確かにありました。)

肉体的にも精神的にも、とても、とても辛く、怖いと感じる時さえありました。そして同時に、感じたことの無い強い力も感じていたのでした。


死の隣には生が。

生の隣には死があるのです。


それは私が25歳の時「今の人生を終わらせる」為に新しく生きたのと同じ事にように感じるのです。生まれるという事は、生きるという事は、つまりそれは常に死と共にあるという事なのだと思います。

どちらかに触れる時、その扉は開いているのです。

常に隣り合わせの世界で、私たちは日々を生き続けます。昨日の自分を終わらせ、どんどん生まれ変わっていく。

命が尊いのは、だからなのだと思うのです。

死と生はつながっています。

だからこその命なのでしょう。



娘と出会うまでの道のりは、私は祖母の死から始まりました。

もしかすると、祖母は私からまるで病のような何かを受け取り、新しい可能性を受け渡してくれたのかもしれません。

祖母なのか、誰かなのか💐

夢で会ったその後に丁度よく(?)、不調によって身体の総点検を行い、自分のルーツをお参りし、感謝を伝えに行ったその後に、人生の夢が叶いました。

そして全てが終わると同時に、私の人生は子を育てる時間へとハッキリと切り替わりました。


2月は丁度その切り替わりがあった時期なのです。

(因みに毎年2月は切り替わりの時期)

そして私の人生は5年毎に切り替わりがあるので、今年はその5年毎のタイミングでもあります。

過去について思い出すツイートを見て、この記事を書こうと思いました。

きっと振り返ることが必要だったのでしょう。

水星逆行の力を借り、まとめることが出来ました。


ちなみに命が宿ってからすぐに、子供は「女の子」だと確信して、性別がわかる前から色々なものを女の子用に作っていました。

あの頃から、そういった見えないことに対する感覚は更に研ぎ澄まされていきました。

やはり肉体や命が、その境界線を曖昧にする時。

私たちは大事な事を学び身につけていくのでしょう。


その力に自らが溺れてしまわないように、わからなくならないように、日々成長していきたいですね。


今日も、ここに自分の命があること。大事な人がいてくれる事、世界があることに感謝して。



Ayura

















様々な出来事が絡んで来るので、今回は

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