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他者と自分の境界線~真面目な人が陥るフレネミー~


今回は他者と自分の境界線についてです。

このツイートには続きがあるので貼っていきます。

私には上記のような経験がありました。

私はこの方にとっていい人で居たかったのに間違いありません。

大好きだったのです。


「人にやさしくしましょう」

「自分は自分、相手は相手。」

いつの時代も親が子供に教える何気ない道徳。

私はこれを忠実に守って育ったと思います。

学生時代も、学校で友達に陰口(露骨だけどねw)を言われても、本当じゃない悪口を流されても、聞こえていても気にせず学校へ行き、陰口を言わない友人と笑い合い、自分は自分と思ってするべき事をして過ごして来ました。

私と似たこういう人、多いんじゃないかなと、そんな気がするのです。


「根が真面目」って言われたりする性格ですね。

そうやって言われたことのある方は、一度はツイートのようなこの悩みを経験されているのではないかな、と思います。


わたしが出会ったその方はちょっとだけ雰囲気が違いまして、確かに根は真っ直ぐだったのですが、思春期の時点では既に心が傷つきすぎてしまっていたのかもしれません。

わたしよりもずっと繊細だったのだと思います。

私が出会った時の10代後半には、「悪い事」をたくさん知っていたのですよね😊笑


そう、私にとってはとても刺激的な人でした。

「そんな事していいの?何してるの?」

こんな風にドキドキする経験が、私はとても心地よかったのですよね。その方と一緒に居ると自分の殻を破れるような気がしたのです。


今思うと、本当によくある思春期の成長そのものですよね。

当時の私も家族のことや、恋人とのことも相まって、どんどん自暴自棄になっていっていましたから。

でもその方は自暴自棄になっていても悪いことをしていても、楽しそうに笑って生きていて、私の中である種の希望のような存在になっていっていたんですね。


そして私は、あまり人を疑わない人でしたから。というよりは、嘘をつかれていても、事情があるのだろうと、気にしない人だったのですよね。

(なにも責任の取れない子供なのにね、相手を受け入れるようでいて、幼い私の責任逃れの術だったようです)


規則を破っても、誰かを傷つけてしまったとしても笑って居られるその方の悪意や意地悪が、私に向くことは当然有り得る事だったのに、そんな事は一切覚悟していなかったんです。

勿論厳しい一面は私にも向けられましたが、それでも私は「気にしすぎだろう」と自分の違和感や苦しみを無視しました。

その方を信じるという理由をつけて。

自分の痛みも現実も受け入れられない弱い人間だったのだと思います。


居場所を無くしたくない、離れたくない。

楽しい、一緒にいたい、安心する。

そういう気持ちがありました。


その居場所にいるために、私は無理をしたり、嫌なことをしたり、自分の信念をどんどん曲げていきました。勿論全て自分の責任です。

でも、確かに仲良く居たい、同じ価値観の世界で生きていたいと思ってしていました。

本当に互いをよく知り、支えあったり、笑いあったり、大事な人でした。


10年そうして過ごして、お互いに大事にしあっていたのですが、私はある時「本当の私の部分は激しく嫌われている」ということに、気付いたのです。

真面目なことを言ったり、私が成長しようとすると、明らかに冷たくされて意地悪な事もされるようになりました。

フレネミーという存在だったのかもしれません。

ですが実際それは、その時始まったことでは無かったんですね。


ずーっと繰り返されていたけれど、私が相手といるために無視し続けたのです。


私は私の人生の決定権をその方に譲っていました。

縁が切れた事によって、離れていく時が来ても、まだその方を選び、人生の成長を遅らせ続けました。


これは、全て私の責任です。

私は他者と自分の境界線を全く理解していなかったのです。


「自分は嫌なことをされても、人には優しくしましょう。」

この教えは、本当でしょうか?


自分が嫌な事をされるのと、誰かに優しくするのは別問題です。

別問題というこれが、重要なところです。

自分の意志は明確に持つべきですし、表明して良いものです。

その中で意見の相違はあっていい事です。ただ、人を故意に傷つけることがいけないのです。

人間関係では思いやりが確かに必要ですが、自分が常に無理をすることが思いやりでは無いのです。


この問題の区別ができていないと、他者と自分の境界線が曖昧になり、そして常に自分が嫌な思いをする事になるのです。

もしくはその逆も然り。

そしてそれは、やはり自分の責任になるのです。


他者と自分の境界線。

ゆっくりでもしっかりと学んでいきたい事ですね。


ちなみに私は、その方と離れていった事で切れたご縁がいくつかあります。

それは、切れるべくして切れたご縁。


幸せに暮らして居てくれたら良いですが、私には関係の無いことでもあります。

冷たく聞こえるかもしれませんが、生きる上ではとても大事な事だと思います。


人との関係は、常に生きているものですからね。


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