痛みの共感、喜びの共感、いい事と苦しむ事。
現実に起こることは、実にシンプルです。
計算され織り込まれたシステムによって、表現されるものは、結果シンプルな形になる。
私達人はいつも、そのシンプルな中に複雑さを見出しては、感情を大きく震わせているのかもしれません。
人の痛みというのは確かに複雑なものです。
人によって感じ方もそれによる反応も違うから。
けれど中身の形がどうであれ、そこに痛みが起きているという事実はとてもシンプルな話です。
このシンプルな事実という部分を、私たちはついつい忘れてしまいがち。
痛みの共感というのは大きな救いになります。
ですから私たちは積極的に痛みの共感をしようとするかもしれません。
というよりは、私達のように感じすぎてしまう人達は無意識の内に、相手の痛みを自分の痛みとして受け取ります。
目の前に苦しむ人が存在するだけで、自分にもただただ苦しみが流れ込んで来るのです。
怒りや、悔しさ、無念さ、不安、焦り。
こうして私たちは人の痛みを自分でも無意識で背負ってしまう時があって、その他者の痛みによって自分を傷つけてしまう事があります。
この共感は、良い事のように思われがちですが、実はそうではない事。
本当に必要なのは、相手に痛みが発生しているという事実を受け止めてあげることまでです。
できる範囲の事を相手に差し出すのは思いやり。
相手の痛みに触れて一緒に傷つく事を避けられないのも確かですが。
それは自分の中で認識し、しっかりと境界線を引くべき部分でもあります。
私たちのように、感じてしまう人達は、その区別をしっかりとつけなければ、誰かにも自分にも優しく強くある事が出来なくなってしまいます。
全ての痛みを変わってあげられないという、当たり前の事実に行き着き、共に痛みを背負ったにも関わらず、相手は自分とは違う答えを出すのです。
その痛みが消化されにくくなっていきます。
痛みに対しての共感は、そこにある事実と、相手の心の模様のみを受け止める方が優しいでしょう。
ただただ受け止める。
あとは相手がどうしたいか。
その痛みは自分の物ではないのだから。
克服の選択は本人が決める事。
私たちにとって、共感は簡単な事です。
何故なら自分の事のように既に感じるから。
意識などせずに自然と共感しあいます。
けれど、無意識だからこそその痛みや苦しみが自分のものでは無いと区別するのには1ステップ必要になります。
本当に自分のものかどうか、確認する必要がある感情や痛み。
自然と自分の中に溜まっているかもしれません。
物事はとてもシンプルなのです。
自分のものでは無い痛みはすぐに取り除きましょうね。
自分の意思に反する、自分の行動や、罪悪感、後ろめたさ。
自分のために、目の前の大事な人のために、自分に優しく、そしてスッキリと身軽にさせておくのが大切です。
大切な個性という力を思い切り解放する為に。
大事な人をいざと言う時に守れるように。
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喜びの共感はどうでしょうか?
喜びは一緒に共感しても害がありません。
害がないどころかいい事ばかり。
しかも人の喜びを不快に感じる事も、そうそう無いものです。
私たちはもっと喜びや達成についてシェアし合い、認め合い、称え合う事が必要です。
良い事を認め合えない世界では、負の感情の共感ばかりが表に出て、良い事のように扱われてしまう。
痛みを受けた人の癒しの最終段階として、喜びの共感が必要なのですから、それはとても重要なことに間違いありません。
そして良い事を喜びあえる世界なら、もっとみんな個性を発揮して力を伸ばしていけるはずです。
もたらされた個性は、この世界に絶対必要な力なのです。
もしも人の喜びに不快感を感じる事があるとすれば、それは自分の奥深くに眠る癒されない傷が疼いているサインなので、まずは自分を癒すことが必要です。
ですからあなたの喜びに不快感を持つ人が居たら、その人は人知れず苦しんでいることがあり、自分で解決し、癒すしかない状態にいるということ。
そんな人がもし居たら。
それはその相手に合わせて遠慮しすぎる必要はありません。
かといって相手の傷をえぐるように無神経に強くアプローチしていく必要もありません。
直接語る事には注意が必要になりますが、相手があなたの喜びに対して反感を持つからといって、活動や発言を控える必要は無いということです。
ただただそこにある、自分との違いを受け止めるだけ。
罪悪感を持つ必要も、責める必要もない。
その人には喜べない理由があるだけなのです。
もしくは喜んでいても、自分のことで手一杯になってしまっているとか.....共感する暇がない場合も正直あるかもしれません。
では自分が人の喜びに不快感を得てしまったらどうでしょうか?
それは正に内なる自分の声です。
自分のために、その声に耳を傾けてください。
妬みなのか、苦しみなのか
何故そんな気持ちが起こるのか?
何故喜びを共感できないのか。
何が痛むのか。
例えばコンディションが悪くて、1日位くさくさしてしまう日があってもそれは自然な事です。
でも常に人の喜びに、不快感を感じるのであれば、そこには共通点が必ずあります。
充たされない何かが、眠っているのかもしれません。
自分がクリアしたがっている課題かもしれません。
そういった課題、違和感、内なる声は、無視しないのが大切です。
何故ならそれを無視し続けていると、本当に強い個性や才能を縛って、発揮できなくなってしまうからです。
ブロックと呼ばれるものですね。
これを放っておくのも自由なのですが、こんがらがってしまって、シンプルな結果を引き起こします。
手詰まりのような感覚。
八方塞がり。
自分が自分でないような感覚と、現実逃避がはじまってしまいます。
せっかくもたらされたその力を
台無しにしては勿体ないのです。
もっと楽に自分を解放して
全てを上手く回していけるはずです。
その選択をしないのは
やっぱり勿体ない.....💦
そして自分にも人にも優しくないかもしれません。
時間はどれだけかかってもいいのです。
だから、開き直らずにその傷を癒してあげましょう。
人の喜びを喜べない時は
真剣に自分を大事にするべきタイミング。
周囲が合わせてくれるのを待っていたら
全ての事は上手くいかなくなってしまいます。
あなたの周りにいた輝く力を解放している人達も徐々に消えていってしまうかもしれません。
あなたの個性も、輝く才能も、必要とされている力も。
傷を持ち続けると、力を消費し続けるのですから、気をつけて欲しいのです。
私の中で、共感はとても繊細な話です。
共感ということに関しては二極化が進んでいます。
共感しすぎてしまう人と
共感しない人。
共感しすぎるのが辛くて
全てをシャットアウトしてしまう人もいるくらい。
でも共感する人々の共感能力は
常に上がり続けています。
それが大きな戸惑いを生んでいるのも事実です。
過去の私のように、その力が思い込みだと蓋をし続けた結果、自分の意見を飲み込んでしまう人もいっぱいいますし。
人の感覚に敏感で、自分を責めている人もいます。
そんな苦しみを持つ人が
減っていく時が今、やっとやってきたと思っています。
だから、共感力の強いひとにとって自分のケアはとても大切です。
そして、常に人と自分との違いをただただ認めるということも大切。
自分から人に喜びをシェアし続けることも大切。
人の喜びを認め合える世界を作りたいですね!
個性や違いを喜べる世界を。
そんな世界で、私達は羽ばたけるのですから。
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