【エッセイ】心を守ること~期待しない生き方~
なんや仰々しいタイトルやんか!と思ってサクッと次に行かんといて~笑
てか、タイトルっていつも悩むんですよね~
初見の方は大抵”タイトル”から入りますからね😅
例えばユー〇ューブのサムネイル!アレ、タイトルや最初のインパクトが大事ですからね~
「え?面白そう!」
「うわぁ~マジで!知りたい~」
そう思わせたらもうフライングゲットですわ!(なんのこっちゃw)
そう、期待するんですよね。
”面白そう” ”ためになりそう” って。
なかには本当に面白かったり、為になるものもあるけれど、ぶっちゃけ全然面白くもなんともないものって多くないですか?
・・・てか〇ーチューブにも〇ーチュー〇ーさんにも喧嘩売ってませんよ?😅
あくまでもわかりやすく説明するためであって。。。(言い訳すなw)
と本日も超絶長い前フリから入りましたが、皆さん暑い中いかがお過ごしですか?(季語も文法も自由過ぎやぞ!)
え、あゆさんはどうかって?
ま、それなりですわ!(なんやそれ!爆!)
理想の生き方なんて
よくSNSで見かけるんですが、”辛い時こそ笑顔で”みたいなドラクエのベホイミ的な最強回復系呪文のような言葉。
もちろん言っていること自体はごもっともな事、”理想”なんですよね。実際、辛い時に辛い顏しているのと、辛くても笑顔でいるのと、損得で考えたら笑顔でいる方が得するに決まってる。
でもそれが出来る人も、出来ない人もいるんですよね。
顔で笑って心で泣いて。
それが出来るって とってもすごいこと。
んじゃ、あゆさんはどうなん?って思いました?(あ、聞いてない?笑)
勝手に抱く期待
あゆさん、自分で考えても性格がややこしくてどれが本当の自分かもわからなくなるくらい 頭の中、混乱をきたしやすいんです、こう見えて。
以前記事にも書きましたがそんなややこしい性格や特性から、過去に心を病んでしまった事があります。
病んでしまった当時は自分の特性の事をまだ知る前だったので、それはそれは自分を責めて責め続けました。
でも、いい歳した大人が毎日悲しい顏して、辛い顔して仕事できませんよね。母親でいられませんよね。
そんな時、一番側にいた人は当時のパートナーでした。
自分の抱えてるものをたとえ少しでもいい、手を差し伸べて欲しかった、、。もしかしたら救い出してくれるのでは?と心のどこかで期待していたんだと思います。
「きっとこうしてくれる」
「きっとこう言ってくれる」
って。
でもそう期待すればするほど、そうならなかった時の絶望感ったらないんですよね。自分で勝手に期待値上げていただけ。
さっきのユー〇ューブの話(忘れかけてたのに蒸し返すな!笑)じゃないけど
勝手に「面白いはず!」と思い込んでいただけ。
例えば
「あの店のあのスイーツめっちゃ美味しそう」
「いつも行列出来るくらいだから絶対美味しいはず」
「入手困難!絶対外さないやつ!」
「あの人優しい!絶対いい人!」
いやはや、思い込み期待度勝手に上げまくりフェスですな(何それ?)
あゆさんもそんなとこありました。いまも多少はあります😅(学んどらんな、この女はw)
でも期待すればするほど、裏切られることが多いと知ったんです。正しく言えば裏切ったのではなく 裏切られたと思ってるのは勝手に期待していた自分に他ならないんですけどね。
心を守る為に
心って当たり前だけど目には見えないし形を持たないのに、苦しくなったり、締め付けられたりなぜ痛んだりするのでしょう…(まさか病気😨…なわけないw)
そして、それに効く薬など どこにもありません。(ガチ病気なら別だけど💦)
そんな辛い時でも”顔で笑って心で泣いて”日々を淡々と過ごす術を私たちはいつの間にか身に付けている。
それがもしかしたら”大人”ということなのかもしれません。
そうしていくうちに”痛み”に麻痺していく人もいる。
それはそれで悪くはないのかもしれない。
はたまた、痛みに耐えかね確実に心まで蝕まれてれてしまう人もいる。
では、見えない心を守る為にどうしたらいいのか。
何事においても
”期待しないこと”
だとあゆさんは思っているんです。
後ろ向きな思考に思えるかもしれませんが、むしろ自分にとってはそれがプラスに働くという事を過去の経験から学んだかなと思うんです。
期待するとは、こうなって欲しいというあくまでも自分の理想に過ぎない。
なのでそうならないと裏切られた気持ちになる。
だから、何事にも”期待しない”ことで逆に 思いもよらぬ”喜び”や”発見”や”感動”があったりする。
その方が自分の心を”守れる”のではないか、そう思うんです。
期待されること
ではその逆、期待されることをどう捉えるか。
これもやはり期待されて頑張れる人、プレッシャーになる人がいると思います。
あゆさんは期待されると俄然やる気が出るタイプなんですが、そりゃプレッシャーも人並みには感じます一応人間なので笑(妖怪ちゃうよ?w)
ただ、思うんですよね。
もし何も期待されなくなったら、自らのアイデンティティを否定されるような気持になってしまうだろうなって。
いやいや、ややこしや😅笑
例えばパートナーになんの期待もされなくなったら。
それは自分がその人にとってそれだけの人間という事なんでしょうね。
相性もありますし、仕方ないことなのかもしれません。
悲しくて辛くて苦しい気持ちになるかもしれません。
そんな時、自己肯定感もともと低めなあゆさんはかなりなダメージを負うかもしれない。
そんな時にふと浮かぶ
”辛い時こそ笑顔で”
と言う言葉。
ああ、こういう時にそのベホイミ的な呪文を使えばいいんんだなぁと頭ではわかっているものの、そうは問屋が卸さない。
だから…そんな時はやっぱり期待しないんです。
”自分に”
それこそ、昨日書いたエッセイのように”流されてみる”
「きっと私なら出来る」
「乗り越えてみせる」
そんな自分が自分を苦しめることを身をもって知っているから。
が。
あゆさんは流されたい自分と、抗いたい自分のなかで今日もややこしい自分と向き合いながら、時には流され、時には抗いながら生きています。
やっぱ ややこしや…だな笑
てか、これカッコよく〆られたのかな?笑笑🔥
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?