不登校だった娘がロシアでバレリーナになった話#5(夢の実現への一歩)
こうして、中学2年生の冬に教室を移籍することになった長女。
最後の発表会を終えて、ようやく本格的に”ワガノワメソッド”を習うことができるんだ!という期待にあふれていました。
そして、そこから先のロシア留学への夢もより具体的に考えるようになりました。
この時、学校への復学の思いは一ミリもなかったと思います(笑)
中学3年生で出会った恩人
次女の中学入学式に参列していた私は、式典の後で声をかけられました。
「長女ちゃんのお母さんですか?私、今年担任になりました〇〇です。」
若い女性の先生がにこやかに話しかけてくださいました。
1.若い先生を侮ってはいけない
また若い先生か~と思いましたが、間髪入れずその先生は
「今後のことを話ししたいのですが」
と切り出しました。
そして
出席は無理ならしなくていいこと
お便りだけは定期的に渡したいので日時を決めたいこと
を伝えられました。
ただ、長女の顔を見たいのでお便りを渡すときは一緒に会いましょうという提案もありました。
しかも、
「学校まで来なくていいですよ~私が近くまで出ますから~」
とのことでした。
2.圧がない
中学1~2年の時の担任はそれぞれものすごい圧をかけてきました。
特に中2の担任は、やはり若い女性で体育の先生だったせいか熱意にあふれていたのでしょう…不登校児にはその熱意は余計に空回りになったりするんですよね。
毎日のように電話をかけてきました。
私がいいかげん
「先生、お電話大変でしょうからもういいですよ。電話いただいても長女が学校に行けるようにはなりませんから」
とお伝えしたくらいです。
ところが、この中3の担任は同じく若い女性の先生なのですがそういった圧を感じず、かといってやる気がないという雰囲気でもなく、とても穏やかで余裕がある先生でした。
後から知ったのですが、お若いけれど”主幹”という教員のなかでも指導的なキャリアをすでに持っている先生でしたので、納得です。
3.不登校を受け入れられた
こう言ったら語弊があるかもしれませんが、何事も認められてから気持ちが楽になりませんか(笑)
ずっと心に引っかかっていたある”事象”について、自分で認めてあげて楽になることもあるし人から認められて楽になることもある。
心理学的にありそうですよね(笑)
心理学、少し勉強したんですがもう忘れちゃったのでわかりませんがそういう心の動きが、長女にあったと思うんです。
先生が提案した
「定期的に会う」
ことも、前の長女なら拒絶一択だったと思いますが、先生は自分を否定しないし認めてくれているから安心、という気持ちがあったのでしょう。
その気持ちは、バレエともシンクロしていました。
バレエはそもそも自分が大好きで続けてきたことでしたが、新しい教室に移ってうまくいかないことも当然起こりました。
「自分を認める」っていう気持ちや
「自分は認められている」っていう気持ちによって
何よりも力が湧くのかな、とこの時期に漠然と母娘で感じていました。
そはいっても、思春期ですからまだまだ大波小波と押し寄せていましたし、不安定ではありました。
それでも、このきっかけを与えてくれたのは担任の先生だったかもしれません。
そう考えると、恩人ですよね。
コンクールは惨敗続き
さて、バレエの話に変わります。
ワガノワメソッドを習い始め、身体の使い方を根本から見直していたこの時期に、コンクールに出てもいいの?と思っていました。
教室の先生は、”舞台慣れ”も必要という考えでおすすめしていました。
ただ、踊りが完成されているとは言い難い状態なのに高い参加費を払って出場するっていうのもなぁ…とため息が出る私でした。
1.経験はお金で買うしかない
移籍した教室は規模が小さく発表会を行わないので、いわゆる”舞台”で踊る機会がほぼなくなるわけです。
バレエはそもそも、”舞台芸術”なんですが…
バレエのレッスンは、職人のようです。
一つ一つの動き(身体)を正確に仕上げていくという作業。
そしてその先に、華やかな世界が広がっています。
華やかな世界…ここまでがある程度セットじゃないとタダの”職人“で終わるバレリーナにはいないですよね。
例えがちょっと無理があったかもしれませんが💦
そんなわけで、やはりコンクールという舞台経験は多少無理してでも定期的に経験していき、レッスンをアウトプットする機会にもしていかなくては!となりました。
2.移籍後2回目のコンクール
舞台経験くらいの気持ちで出場したコンクールでしたが、もちろん出るからにはいい成績を残したいと思うのは当然です。
ですが、そもそも芸術のバレエに点数をつけるコンクールはどうも好きじゃなかったんですよね。
なので、自分がどんなコンクールに出たいのかを選んで出ることも重要です。
そこで、夏に行われたコンクールに出ることを決めたのですが、これは舞台上の踊りだけではなくレッスン審査もあるコンクールでした。
長女は順位が付かず、総合的な成績は良くなかったはずなんですが、このコンクールで流れがガラッと変わりました。
ロシアへの研修生
コンクールの副賞が発表されたのは、コンクールが終わって1週間くらいたっていたと思います。
教室の先生からの連絡で知ったくらいのんびりしていました。
「長女ちゃん、ロシアに行く研修生に選ばれたよ!」
先生の方が興奮していて喜んでくれました。
1.嬉しいけれどお金がない!
中3の夏に訪れた、初めての本場ロシアでのバレエ研修というチャンス!
長女にとって夢みたいな話でした。
海外も初めてのことなので、パスポートやスーツケースなど準備することがたくさんありました。
しかも、その発表から3週間後には出発というおそろしくタイトなスケジュールだったので本当にバタバタでした。
中でも一番の難問は、「参加費用」をどう捻出するかという問題でした。
往復航空機代、研修費、宿泊費込みで30万円。
現地に行けばお土産を買ったりお小遣いも必要となると…
しかし、もうここまで私のnoteを読んでくださっていればお分かりの通り
「お金がないから行かせてあげられない」
という選択肢はありませんでした。
2.借金生活の始まり
この時、頼ったのは自治体の”教育資金貸付”でした。
最大30万円まで無利子、返済期間は3年だったと思います。
役所に行くと、とても親身に相談に乗ってくれた職員さんのおかげで何とか教育資金という名目でお金を借りることができました。
そして、ここから先の私の借金生活がいよいよ始まるわけです(笑)
シングルマザーがバレリーナを育てるのに使ったお金の総まとめは、どこかのタイミングで発表したいと思います。
興味があればご覧ください。
エグいです(笑)
3.いざロシア
約2週間という研修旅行でしたが、初めて憧れの地ロシアの大地で過ごす時間が、どれほど長女の五感を刺激したかわかりません。
相変わらず知らない子達との集団生活には疲れを感じていたようで、メソメソとLINEしてくることもありましたが、ロシアでのバレエレッスンや有名な劇場でのバレエ鑑賞など、経験に勝るものはなかったことでしょう。
街ではロシア人の洗礼も受けたようで
「ロシア人のおばちゃんめっちゃ怖い!」
なんて言ってました。
それでも、ロシアという国がますます好きになって帰国しました。
当然ながら、
「ロシアに留学する」
という決意があらためて固まり、ここから具体的なことがどんどん決まって話が進んで行きます。
帰国して3ケ月後には、ロシアの国立バレエ学校のオーディションを受けることになりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?