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感情に辿り着く自分だけのルート

明日は2週間に1度の通院の日です。
だいたいいつもの診察時間は10分もいかない程度で、ほとんど5分そこらで終わります。
その短い診察時間の中で、調子がどうだったのかということを効率的に、そして的確に表現するのってわたしにとってはとても難しいのです。

結局いっつもモゴモゴして終わってしまいます。それでもS先生はきちんと話を聞こうとしてくれるので、診察に対してのモヤッと感は全くありません。ただ、もうちょっとうまく表現できれば、実りある診察(?)になることは確かだと思うんですよね。

気分が複雑に絡まっているからこそ、こうなっているわけで、それを紐解きながら他人に説明するというのは、もう至難の業です・・・。成せる気がしない!
そんなに深く考えることではなく、思っていることをそのまま素直に言えばいいだけなんですけどね。
どうしても「S先生が診察しやすいようにしないと」って思ってしまい、わたしの必殺技『本末転倒』が、こういうところで顔を出します。

まず、
「最近は調子どうですか?」
に上手く答えられません。うーんと・・・ってなってしまいます。
語彙力の問題。なんていうかもっと情緒的に、

「川のせせらぎを聞いているような気持ちでした」
「オオワシの背中に乗って世界中を旅しているような2週間でした」
「すりおろしたリンゴを食べたら大根おろしだった、みたいな毎日でした」
「知らない子供にお母さんと間違えられて、こっちも一緒に恥ずかしくなるような気分でした」

とか、そういう表現方法の方がいいのかな。
ふんわりしたところから初めて、徐々に感情表現の範囲を狭めていく、みたいな感じで。S先生が会話の中で範囲を狭めていってくれると期待したいところです。

でも考えてみると、表現方法ってそういうことかもしれないですね。
嬉しい、頭にくる、悲しい、楽しい。喜怒哀楽。
たくさんの感情を大まかに4つに分け、その次になぜそう感じるのか、度合いはどれくらいなのか、などなどそこから細かく分けたりくっつけたりして、たどり着いた最後の一つが、的確な自分の気持ち。

ただ、ゴールに辿り着く方法をあらかじめ自分で知っておかないと、できないことですよね。他人と同じルートを辿っても、ゴールには行けないと思うんです。自分と他人は違うのだから。

ゴールに辿り着く自分だけのルート。これはいつどのタイミングで、記憶に刻まれるのか・・・。そのルートをしっかり開拓できている人が、コミュ力高いってことなのかな。

そして世界的な規模で有名になるアーティストの方々は、そのルートがぶっ飛んでいるのかもしれないですね。一気にワープでもしてしまうような。

この話を自分に当てはめてみると、わたしのルートは魑魅魍魎、酒血肉林、地獄絵図、阿鼻叫喚、疲労困憊、無味無臭、こんな感じですかね・・・。
いろんなものに邪魔されて素直に進めずゴール手前で棄権。そして最近は加齢も加わり、記憶力にも邪魔されてますますたどり着けずに、ペタッと地面に座り込んで途方に暮れている感覚です。

語彙力、迎えに来い。


とにかく、内容は別として、こうやっていろいろ考えて遊ぶことができているのだから、調子が悪いわけではないみたいです。
もしかしたら調子が良すぎるのかもしれない・・・。それもまた、良くないのです。
「平穏です」
そう言えるのが、1番幸せだなー。