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めんどくさいことに価値がある

母からメールが来ました。
「そろそろ秋だね」
いや、もう秋だよ。母の季節感と体感温度、どーなってるの?

以前は季節感を感じるたびに落ち込んでいて、夏はセミの声を聞くたびに消えてなくなりたいと思っていました。
今は全く思わなくなり、これからもっと寒い冬が来るなーって準備するくらいです。
次の冬は雪降るのかな。そしたら近所のキッズ達は雪だるま作るのかしらん。

とは言っても、わたしの寒さの準備は、ベランダの窓側下にダンボールを立てかけることだけです。
これめちゃくちゃ大事でした。それだけで外からの冷気がシャットアウト。ダンボールって最強。来月半ばくらいになったら、ダンボールの出番です。

毎年寒くなってくると、こたつ欲との戦いを繰り広げています。
うちにはこたつがないので、毎年毎年買おうか悩むのですが、今のところ、こたつには屈せずに済んでいます。

なぜか。
管理がめんどくさいからです・・・。
掃除機をかける時にこたつ布団を上にあげなければいけないし、春になりしまうのも大変。わたしは食べる時によく口からポロポロこぼすので、こたつ布団の運命は目に見えています。
暖かいのと楽なのを天秤にかけて、楽な方を取って過ごしてきました。

要するに、めんどくさがり屋、なんです。

洗ったキャミソールやおパンツは畳まずに衣装ケースにポイ。
洗い物を減らすためにご飯は丼ものが多い。
ブラシを洗いたくないのでトイレは流せるブラシ一択。
お風呂に入る時電気をつけないのは、電球が切れた時に替えたくないからで、決して節約のためではない。
テレビ横の混線したコードを整理しようと思い続けて2年半。
新しいベッドを買って、組み立てようと思い続けて2年半。
財布やキーケースなど小物を赤で揃えているのは、買う時に色を選ぶのが煩わしいから。

そうしていると、どんどん暮らしの愛想がなくなっていくわけです。
迷ったり、考えたり、苦労したりすることをできるだけ省いていって、楽な方へ楽な方へと進んでいきます。
時間を使いたくないのではなく、動きたくない。そんな気持ちです。

そういえば前、友達にお兄ちゃんの話を聞かされたことがあります。
そのお兄ちゃんは恰幅がいいらしいのですが、周りの家族に痩せろ痩せろと言われる度に、
「お前らは無駄な動きが多いんだよ。俺は無駄な動きを省いてるからこうなっているだけで、お前らより俺の方が頭がいいんだぞ」
と言っていたそうです。
究極。頭が上がりません。

でも最近思ったのが、めんどくさい事に価値がある場合もあるなってことです。

前にテレビだかラジオだかでどっかの俳優さんが(ふんわり)、半年に一度、バスタオルを新品に交換すると言ってました。
それで気持ちがリセットされる、そんな話でした。

あと、朝起きた時に、ベッドメイキングをすることってとても良いことらしいのです。
自宅でベッドメイキングと言っても、せいぜいずれたシーツや掛け布団を元の場所に戻すとか、枕を整えるとか、そんなことしかできませんが、それだけで朝が変わり、そして寝る時の気分が全然違うからやってみる価値があるそうです。

料理もそうかもしれませんね。
ちゃんと出汁をとる、下ごしらえする、面取りするなど、めんどくさい工程を踏んだ方が、美味しく出来上がる時もあります。

ただ、時間に追われている方々には難しいことですが。
冷食やコンビニのお惣菜を否定しているわけではありません。
だって世のお母さん達はとても大変だもの。

シンプルな暮らし=めんどくさいことを省く、では決してないということです。
「あー電球切れちゃった」「こうすれば混線しないなー」「何色にしようかなー」
そういう迷いも、暮らしの必需品な気がします。
めんどくさいことに価値がある。暮らしていくということはめんどくさいことの連続。
「めんどくさいなぁ!」が、生活の彩りになる。

もう少し、めんどくさいことしてみようって思いました。

そんな事考えながら、今日もダンボールに入ったままのベッドを見つめています。
これは、これだけは・・・ごめん、めんどくさい!

あ、ちなみにいつの間にか毎日noteが100日超えてました。
これはめんどくさいと一度も思ったことないなぁ。楽しんでいる証拠。