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わたしの世界は「なんで?」で出来ている

「なんで?」
もしかしたらこの一言が、今までの人生で1番多く発した言葉だと思います。
例えば、病院の待合室に飾ってある花はどうしてこの花の色を選んだんだろうとか、先生の部屋の本棚に置いてある絵はなんでこの絵なんだろう、などなど。
日常生活も同じようなもので、それでたまに頭がパンクしそうになります。
人の感情についても、なんでそういうことをしたんだろう。その疑問ばかり。

ヒューマンドラマや映画を全く観ないのは、意味が分からないし、それを説明してくれる人がいないからです。

数学が苦手なのもそうです。方程式を出されて、なんでこの方程式になるんだろうって考えてしまいます。分かりやすく言えば、2から1を引くとなんで1になるの?、そういう疑問です。いやいや、2から1を引くと1になるんだよって言われても「なんで?」としか思えない。

ついでにスポーツが苦手なのも同じ理由。
例えばバスケで言うと「なんで3歩以上歩いちゃいけないの?」です。いやいや、そういうルールだからそれがバスケなんだよって言われても「なんで?」としか思えず、それが理由でルールを覚えることが困難なのです。

昨日やった検査でも、その疑問で頭がいっぱいになり、答えるよりも理由について考え込んでしまって、何も言うことができないという場面がけっこうありました。
なんでこの模様なんだろう、なんでこの形なんだろう、なんでこの色なんだろう。
頭の中が常に?だらけなのです。

そしてタチが悪いのが、理由が分かったとしても「へーそうなんだ」で終わって、それをすぐに忘れてしまうこと。前向きに言えば1粒で2度美味しい。
自分で思った癖に、けっきょく最後は他人事。

小さい子がよくママに「なんでなんで?」って聞いてますよね。それで聞かれたママが困る。恥ずかしながら、それと同じようです・・・。ガックリ。

でも唯一、芸術に対しては疑問に思うことが少ないんですよね。
この色を選ぶ人なんだな、この形が好きな人なんだなって分かるからです。
芸術は、観た人の受け取り方が違うもので、他人の理由なんてどうでもいいって心のどこかで確信しているから??

曖昧な線引き。

小学校の頃、心理学者になりたいと思ったことがあります。
もしかしたら前に書いたことがあるかもしれないのですが、一時期いじめられていたことがあったんですね。
とは言っても、最近のように陰湿ないじめではないです。
せいぜい、上履きを隠されるとか給食の時間は1人で食べるとか、脅迫めいた手紙をもらうとか、そういった類のものです。

それで1週間ほど登校拒否したのですが(わたしにとっては行きたくないという堂々とした理由ができてラッキー!って思っていました。ドラクエ進めたかったし)、ある日、クラス全員からの手紙が家に届いたのです。
要するに「学校に来いよ」といった手紙がクラス全員一人一人から。それを冊子にまとめたものです。
その時にわたしが思ったのは、男子と女子で見方がこんなにも違うんだっていうこと。書いてある文章の方向性(?)が見事に全く違うので、それがとても面白かったんですよね。
そんな体験から、心理学者になりたいって思ってました。

今となってはもう叶わない夢だし、逆に診察を受けている側なので、小学生のわたしが見たら「そっちかい!」って思うだろうなぁ。

理由が分からないから怖くなる。自分の気持ちも相手の気持ちも。
これがわたしを構築しているうちの大切な1つだと思いました。
また他人事のように見ている気がしますけどね。

「なんで?なんで?」
理由が分からないからそれを補填するために自分で「予想」する。
だから空想や妄想といった一人遊びが楽しいのかもしれません。

・・・っていうことを、次の診察で先生に話してみよう。
その世界観を飛び超えて外に出て行くことはできるのかなー。どうなんだろう、何が正解で不正解かなんて、分からないんだけど知ってる人教えて。