感受性が強すぎると毒になる

きみのどーるちぇあーんどがっばーな!

昨日初めて知りました。聞くところによると、とても売れた(ている?)そうですね。
知人いわく「今どき幼稚園児でも歌ってるよー」とのことでした。
ほー、そうなのか。まぁ確かに「がっばーな!」の部分、小さい子は好きそう。

流行りに疎いなぁ。
こんなわたしが、YOASOBIとKing Gnuを知っているのは奇跡だと思います。
街に出かけることもたまにしかないから、今どんな服をみんなが着てるのかも分からないや。
裸でなければなんでも良し。
まぁ流行りを知らなくても、生きていける。

だけど、今みんなが何を好きなのか、知っていくのはおもしろいですよね。
インスタ?ついにインスタのアカウントを作る時がきたかな?
今度時間がある時に(時間がない時がないけど)、気持ちがのったらゆっくり始めてみよー。
ナオミワタナベと源さんのアカウントはすぐフォローしよう。

このnoteもそうですが、自分を発信できる場所、現実世界とは違うもう一つの自分の居場所。こういうものがあると、生きづらいなぁって思っている人たちの味方になってくれますね。
使い方を間違えてはいけないけれど。

noteに双極性障害のことを書き始めた時は、
「うわーーーん、誰か聞いてー」
って思いながら書いていたようなところもあったけど、今は共感の場として使っている時の方が多いです。同じように悩んでいる人たちの記事を読むと、その時のしんどさを風船にくくりつけて、プワーッて空に放てるんですよね。スーッと楽になれる時があります。共感できることって大事なんだなぁ。

そして、みんな繊細。繊細ゆえの孤独や(孤高と言いたい)、繊細だからこそ背負いすぎちゃう荷物とか。
わたしは小学校の通信簿には毎回必ず「感受性が強い」と書かれてきましたが、その感受性も強すぎると、自分にも周りにも毒になります。

そういえば幼稚園の時の連絡簿、前に実家の押し入れから発見し、読んだことがあったのですが、先生からの連絡ノートに、
「お友達から冗談で言われた些細なことを重く捉えて、大きい目に涙をためて必死にこらえていました。あゆみちゃんは感受性が強く、そういう場面をよく目にします」
みたいなことが書いてありましたが、小さい子なんてみんなそうじゃないんかい。
わたしだけじゃないでしょ。

病院ですぐ「ストレス」と言われるのと似た感覚で、幼稚園や小学生の頃は「また『感受性』かよ・・・」と感受性ウンザリ期がありました。
他に特筆すべきところがないから、感受性で誤魔化してるんでしょ、これだから大人は・・・っていう全然可愛くない子供時代でした。
なので、人の内面の特徴を捉える言葉の中で、1番最初に覚えたのがこの「感受性」でしたね。
もちろん今は、感受性というのは褒め言葉だと思って、言われたら素直に喜んでいます。


繊細な人って優しい人だと思うのです。
ただ、その繊細さと優しさと感受性の強さが、度を超えて飛び抜けていて、だから自分と他人の線引きが取るのが苦手。そしてその判断を下すときに、度を超えた優しさが顔を出すので、結局自分自身をゴリゴリ削ぎ落とす結果になってしまい、苦しくなるんだと思います。

十分頑張っているのに、それを自分で気づくことがあまり上手じゃない。そしてなぜだかその努力が人に伝わらないことが多く、頼まれごともされやすい。優しいからでしょうね。最後には真面目にやっている人が馬鹿みたいだなっていう喪失感だけが残って、自分と他人の線引きがまたガタガタになって、次に来るのが人間不信。

わたしの場合はその後に、
「それでもわたしはこんなことには負けずに生きていくんだ」←躁状態
「世の中なんてクソ」←鬱状態
を繰り返したのち、今現在は「がっばーな!」と口ずさみながら皿洗いをしています。

今、やっとなんとなく落ち着いてきて、今まで欲しかったけど手にできなかった時間が、有り余るほどあります。
なにか簡単なことでいいから、始めてみようと思う今日この頃。
いつかマトモなものができたら、ミンネデビューでもしてみようかしらん。
そして爆発的にヒットし、ブランド化され、百貨店などにお店を構えるようになり、海外にも進出。
そしたら「がっばーな!」みたいに誰かわたしのブランド名歌ってくれないかな。

そんな妄想であぁ忙しい忙しい。

楽しい。