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100.文章を100コ書いて分かった事と、わたし達は一人じゃないという事

今回で100記事目です。
こんなに書けるとは自分でも思いませんでした。

最初は、双極性障害に至った経緯や、自分が思ったこと、たくさん考えたこと、それを記録したくて始めたことでしたが、今では書くこと自体が楽しくなり、生活に欠かせないものになりました。
楽しいと思える時間が増えて嬉しい。
書いてきたことは、間違いなくわたしの財産になりました。

頭の中で考えていることを、書くことで整理しながらあるべき場所へ戻していく作業が、わたしにはとても大事だったようで、書き始めてから一番変わったことは、人と話すときに自分の気持ちを素直に表現できるようになったことです。

誰かと話していて「今のこの気持ち伝えたい。あ、これって前にnoteに書いたことあるな」と思い出すことが増えていき、ゆっくりと時間をかけて整理した気持ちが、頭にポンッと浮かんでくるんです。
だから素直に話せるようになったし、この感覚がとてもおもしろい。

今まで、その場での感情的なことしか話せなかったわたしが、ゆっくりと気持ちを表現できるようになって、何十年もできなかったことができるようになった、それは人生観を変えてしまうほどの出来事でした。

感情的になった方がいい時もあります。
でもわたしの場合は、躁状態を招かねないし、怒りという感情には特に敏感に気をつけなければいけないのです。自分を守るためでもあるし、周りの人を守るためでもあります。

もし、わたしが父や母のように芸術家の血を引いているならば(残念ですがそれは母のお腹に置いてきたようです)、怒りは創るパワーに変換できたと思います。
良くも悪くも、怒りが発するエネルギー量はとてつもないと思うので、方向性を変えれば、才能や努力につながると思うんです。

だけどわたしの怒りは、自分も他人もただ傷つけるだけです。
せめて自分の方に矢印を向けられればいいのですが、それが難しいのが症状のひとつ。

あっ、だからといって常にギラギラ怒っているわけではないですよ。
アンパンマンみたいに僕の顔をお食べ、と差し出すこともあります(多分!)。だから怖い人と思わないで・・・。

他人に否定されることがとても怖くて、人の裏側にある優しさや思いやりに気づけないどころか、傷つくことから自分を守るために、怒りの力に頼るしかないという弱さと甘え。
そんな「怒り」は捨ててしまいたい。

今、家で休む時間をとっているのも、お薬を飲んで安定させようとしているのも、怒りを捨てるためです。怒りの元にある不安、それをかき消すこと。もちろん身体的な辛さをなくすためでもあります。


さて、200記事を書き終える頃には、怒りや不安がどう変化しているのでしょうか。
毎日更新を続けるとして、200日後は2021年4月1日です。
エ、エイプリルフールかい。

もしかしたら、期間的にまだお仕事は無理かもしれません。
双極性障害に限らず、精神疾患というものは、落ち着くまでとても時間がかかるものなのです。
焦れば焦るだけ、抱える必要のないものを抱えてしまうんです。

そして、まだ7ヶ月の初心者のわたしが言うのもおかしな話ですが、誰であっても一人じゃないということ。しんどい思いをしている方たちをあえて仲間と呼ぶならば、わたしたちは一人じゃないです。


ちなみに、そんな真面目な話をしている最中に、冷凍庫のドアが半開きだったことに気づきました。
これはヤバい!焦る!!わたしの貴重な食材たちがまだ解けたくないと助けを求めている。
こういう焦りは必要です。


そういえば意味なく記事にナンバリングをしてたのですが、これからはどうしよう。



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