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フィギュアスケートという芸術

おはようございます、アユミです。

本日のお話はフィギュアスケートという芸術について。

少し前にお話しした、フィギュアスケート評論とかぶる部分があるかもしれませんが、どうぞお付き合いくださいませ。

わたしがフィギュアスケートを知ったのは7歳の時トリノオリンピックでの荒川選手の快挙から、スケートというものの存在は知っていましたが初めてじっくりと見たのはその時でした。ジャンプのダイナミックさではなく、手先まで行き届いた美しさ、その芸術性に虜になりました。何よりも初めて見た演技が荒川さんだったのが私に影響を与えたと思います。

そこで初めてスケートに行くと、30分程で自力で滑れるようになり、あっという間に時間がたったのを覚えています。

スケートが大好きになった私は、そのままスケート教室に入ることに。それから少し時間がたちスケーティングがある程度身についたところで、とあるクラブに入りました。そこからは本格的なジャンプ・スピン、バッジテストと呼ばれるスケートの試験の練習や大会のプログラムの練習をしました。練習にのめりこむ毎日でしたが、中学に入学すると家から遠いリンクに通う負担や部活動(私たちの中学は強制加入)によってスケートをやめることになりました。

大好きで見ていたスケートがある時から、見て研究するものに。ジャンプ・スピンが上手な選手はもちろん素晴らしかったけれど、この時はジョニーウィアーさんやレイチェルフラットさんなど個性を上手に生かして滑る、演者のようなスケーターさんが好きでした。

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技術は基準に沿ってジャッジされる、いくら歴史に残る演技をしても心に残らないプログラムはあります。私は個人的に歴史に残らなくても人の心に長く残るそんなプログラムが好きです。ここ最近のスケートを見ていると技術点に頼るスケートばかり、美しいスケーティングや身のこなしは遠くに行ってしまったように感じます。

その一瞬一瞬の感情を表現する美しさと、そしてそれがその場で消えてしまう儚さ、後に残るかすかな余韻。フィギュアスケートでしか感じられないもの、そしてそれが今もフィギュアスケートが大好きな理由だと思います。

そして今のバレエのバリエーションのように、○○さんのドンキホーテのキトリは元気でかわいらしいけど、○○さんの大人っぽい情熱的なキトリもいい。

そんなふうに○○選手のジュリエットは儚く感情的、でも○○選手も独自の物語の解釈で演じる強い意志を持つジュリエットもいい。なんて同じ選手が同じプログラムをそれぞれの物語や音楽の解釈で滑る日が来たらどんなに楽しいことかと夢見る日です。


アユミ

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