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いつものホームレスのおじさん

たしか最寄のビュットショーモン駅だったと思うのだけど、毎朝メトロの入口に立ってるホームレスのおじさんがいて、5歳のわたしは母からフランをもらってあげていた。(当時はまだユーロじゃなくてフランだった)

小さなコップのようなものをもっているので、「ボンジュール!」と声をかけて、お金をいれるのがわたしの係だった。

あの頃は、お家がないってどういうことなのか、よく分からなかったけれど、いつもおなじ場所にいるおじさんにあいさつをしているうちに、だんだんと親しみが湧いてきて、友だちになったような気がしていたのだ。

みんなのお金がちょっとずつ集まれば、おじさんはバゲットが買えるのかな、などとのんきに想像していた。

わたしたちだけじゃなくて、パリの町の人たちは、ホームレスのおじさんにお金をあげたり、時にはパンとか、りんごとか、食べものをあげている人もいた。

そして、わたしの母もそうだったのだけど、ホームレスのおじさんとふつうにおしゃべりをしている人がたくさんいた。市場のおじさんや、パン屋のおばさんと世間話をするような感じで、ホームレスの人たちとも会話をする。

それは、あのおじさんだけでなく、その後のフランスのあちらこちらで目にする、日常の町の風景でもあった。

家族でパリを離れる最後の日には、母のお財布に入ってたすべてのフランをおじさんにあげて、さよならを言って帰ってきた。

パリのメトロに乗ると、色々な人たちが一芸をしてお金をもらいにくるのも、よく見かける光景だ。BGMを流して踊りはじめる人、ラップを歌いだす人、手品のようなことをはじめる人、演説をはじめる人、ただただ物乞いにくる人…。

なかには楽器を演奏する人もけっこういて、すてきな音楽が聞こえてくると、家族で目くばせして、そんなときもお金をあげていた。

メトロに乗ってる人たちの反応もさまざまで、言葉をかけてお金をあげる人もいれば、今日はお金を持ってないというジェスチャーをしたり、まったく知らん顔の人もいる。

よく姉とまわりをキョロキョロ観察しながら「あのおばさん、お金あげそうだね」と当てっこをして遊んだりしていた。

そんな小さな頃からの思い出もあってか、今でもメトロで音楽が聴こえてくると、あぁ、パリに来たんだなと実感が湧いてくる。


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