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親愛なるフェティ一家

パリに行くたびに訪れていた家がある。

チュニジア人のお父さんのフェティと、フランス人のお母さんフレデリック、それに、ふたりの姉弟の子どもたち(ジアンヌとエリエス)が暮らす家だ。

もともとは両親の友人で、わたしも5歳の頃からの付き合いだから、パリの親戚のような感じだ。

サンドニというパリの郊外の町にあるフェティの家には、わたしたち家族は本当によくお世話になった。とくに、わたしと父は、渡仏するたびに下宿させてもらっていたし、留学時代は風邪を引いたときや、ホームシックになったときには、いつも拠り所にしていた。日本から遊びに来た友人を、何度か連れて行ったこともある。

いつだって家族のように温かく迎えてくれる家があることが、色々あっても、変わらずにずっと、フランスという国に愛着をもっている大きな理由のひとつかもしれない。

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フェティの家は、アパートの玄関を入って、建物を裏口にくぐり抜けた先にある、緑がきれいな秘密の中庭のような場所にひっそりある一軒家だった。

地下室のある3階建てで、1階は地中海を思わせるミントグリーンのタイルが印象的なキッチン(普段はここにある小さなテーブルでささっと食事をする)と、ふかふかのソファーのあるリビング(グランドピアノや古いレコードプレイヤーがあって、庭に向かって開けている窓が心地いい)と、もう一部屋(人を招くときに食事をする大きなテーブルがあるけど、普段は家族がそれぞれに使っていた)。

2階に夫婦の寝室と、フェティの書斎があって、フェティは精神分析のお医者さんなので、カウンセリングのお客さんがこの部屋に来るときは、静かにするように言われていたっけ。

3階には子ども部屋がふたつあって、わたしが大学生の頃には、娘のジアンヌはもう独立していたので、それ以降は彼女の部屋によく寝泊まりしていた。緑の古い木造の階段で、一段登るごとにキシキシと音を鳴らしながら、3階まで登っていたのがなつかしい。地下室はパントリーだった。

フレデリックは画家で、ふだんは高校の美術の先生として忙しく働いていたのだけど、庭には彼女の小さなアトリエもあった。

そして、猫のいる家だった。

あまり治安のいい町ではないし、サンドニ駅のある13番線のメトロはいつも混んでるし、パリ市内のアクセスがいいホテルに滞在した方がずっと便利だと思う。

それでも、サンドニのフェティ家で過ごす時間ーーーフレデリックとワインを飲みながらお喋りしたり、エリエスやフェティと食事をしたり、ひとりでのんびり朝ごはんを食べたり、フレデリックが焼いたおいしいタルトを味わったり、旅日記を綴ったりするひとときは、ちょっと疲れたわたしの心をほぐしてくれる、何よりのビタミンだった。

数年前、フェティの定年をきっかけに、夫婦はノルマンディーの田舎の広々とした土地に移り住み、サンドニの家は売り払われた。

あの家にもう行くことはないのかと思うと、とても淋しかった。最後にもう一度行きたかったけど、コロナ禍で叶わなかった。

ノルマンディーの家にはまだ行けていない。

もともとパリの郊外はあまり治安がよくないので、人気の少ない時間帯はひとりで歩かない方がいいといわれる。

とくにサンドニは、数年前に悲惨なテロが起きたこともあって、危ない町というイメージをもつ人が多いかもしれない。わたしも一度だけ、怖い思いをしたことがある。

それでも、サンドニから大学に通っていた友人もいるし、フェティ一家のようにサンドニに住む人たちのふつうの暮らしも見てきた。

息子のエリエスはとても優しい男の子だけれど、「パリは都会すぎて落ち着かないから、サンドニが居心地がいい」と言っていたこともある。ときどきあの居心地のよかったフェティの家を思い出すとき、サンドニも、だれかにとっては大切な町であることを忘れずにいたいと思うのだ。


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