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特別展「日本美術をひも解くー皇室、美の玉手箱」

特別展「日本美術をひも解くー皇室、美の玉手箱」
東京藝術大学大学美術館

先日、やっとついに初めて若冲の\国宝/『動植綵絵』、30幅中の10幅を見てきた…。う、う、う、嬉しい…。


今まで数々の若冲作品を見てきたはずなんやけど、めちゃくちゃうまいのも見てきてるはずなんやけど、『動植綵絵』、これは別物やった。
命が磨り減るレベルで凄まじい気迫で対峙されたのが見て取れて、10幅見終わる頃にはわたしは出家していた。南無仏。(落ち着け)


「生きとし生けるもの全ての尊さ美しさを若冲が皆に伝えるのじゃ」

という神や仏からの重要な任務を一身に引き受けたような、これこそまさに神々しい作品としか言いようがない。
描き込みえぐい。あと、水面を描いてるのかと思いきや、水中も一緒に描かれていたりと、天と地が混じり合うような視点で描かれてて、「神の目線じゃん…」と奮えました…。


同じく若冲の他の作品『樹花鳥獣図屏風』の楽園には、此の世のものではない生き物や南国の生き物や草花も描かれててご機嫌やったけど、『動植綵絵』には鶏、魚、虫などの生き物や移り変わる四季、そして朝焼けから静けさ漂う夜といった時間など、そこには日本特有の美しさが存分に描かれていたように思う。


今我々が住んでる地球、そして\ここ/こそがユートピアなんや。楽園とか極楽浄土とか、彼方に求めがちな幽玄の世界は、なんと\ここ/にあるんだぞってことに気づかせてくれたようで、地球、そして日本美しいありがとうらぶ2022って気持ちになった。
帰り道、雨が降ってたんやけど、グレーに染まった空も水溜まりだらけの地面もロダンの『考える人』の哀愁漂う後ろ姿も何もかもが美しく尊く思えて、生まれて良かった~と思った(極端)


それから、品種改良された美しい鶏という『人の手が入った生き物』を若冲が好んで描いていることから、どういうことが言えるのかも考えてみたいと思った。
純正でないものに対して偽物とまではいかないけど、なぜかわたしたちは純正信仰がある。
『楽園を表現するなら、別の品種同士を交配していない鶏を描けばいいのでは?』とふと自分が一瞬そう感じてしまったのだけど、すぐに、『はっ…!この価値観はあまりにも物事を端的に見すぎている…。』と反省した経緯があったので。


と、そんなわけで憧れの『動植綵絵』、10幅だけでも超超超圧巻でした。残りの20幅もいつか見れる日が楽しみ過ぎる。少し年を重ねたわたしが次に見る『動植綵絵』からは何を思うのかな。

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