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「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」

「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」
三菱一号館美術館



みんな、リラックスしてる?(急)なんか寒暖差毎日意味不明やし、遠藤は体調も気分もてんやわんやなので全てを諦めています(諦めないで)

コロナ始まったばっかりの時期にも強く感じたのですが、自分の意思ではどうにもできないことに疲れてしまっている時に見る印象派の絵の力って凄い。めちゃくちゃありがたいなぁと感じています。

最近、もうなんもむりあかんいややってなった時に、推しのいっぬやねこにゃんの絵を見るのは定期なのでまぁそれはそれでええ感じに頬緩むのですが、今回、「印象派っていってもそれに付随する画家でまだ知らない画家もいっぱいいるなぁ」ということにネット徘徊してて気づいたのでそれを調べていくうちに、すっかり脳みそが歯医者さんでかかってるディズニーのオルゴールバージョンみたいになりました(例えへたくそすぎるやろ)。
とにかく思ってた以上に癒されました。



さてみなさん、「印象派」ってどの期間のどの画家のことを指すのかご存知ですか?モネの「印象・日の出」という作品が出展された「第一回・印象派展」っていうのを皮切りに遠からず近からずな理念を持った画家たちが集まったグループ展が1874~1886年の間に計8回開催されたのですが、めっちゃ短かくないですか?12年間やん。短っ。しかも最初の展示の参加者30人やって。7回目なんて9人。少なっ。パリで活躍してた印象派って少なっ。

最後の8回目なんてモネもルノワールも出展してないです。点描画という新しい手法をひっ提げてきたニューカマーのスーラとシニャックや、あんた絶対印象派じゃないやろなルドンまで印象派展に参加しててもうめちゃくちゃ。人間12年間で考え方も変わるし時代も変わるよな。わかる。

ってことで、『絵画といえば印象派しか知らんわうち』のみなさん、印象派ってこんなに小さな規模の話やのに、うちらの心を永遠に掴んで離さへんパワー凄まじいと思いませんか?!?!!なんも考えんでも私たちに安らぎや美しさに心震える機会を与えてくれている印象派ですが、もちろんこの印象派の登場なくしては、その後の歴史は全然違うことになっていたと思います。
ゴッホも最初はくっら〜い茶色とかグレーで辛気臭い絵描いてましたが(ひどい)、パリに行って印象派の絵を見たからこそあの黄色と青の眩しい色彩に辿り着けました。
そして印象派はパリに限った話ではなく、その影響力は凄まじく、ヨーロッパはもちろん、アメリカにも印象派の画家が誕生しました。
(ちなみに遠藤は最近アメリカ印象派にハマっています。ホイッスラー、サージェント、メアリーカサットの有名どころ以外にもとてもいい画家がいっぱいいることに気づいた…!♡)


ということで、本展はその「印象派」を挟んで、「ブーダンやコローなど印象派の先駆け」→「印象派」→「ポスト印象派や新印象派」→「ナビ派(親密派)」みたいな感じで19世期末から20世期初頭にかけて画家たちが影響を受け合ってどうスタイルが変わっていったのか、そして時代が彼らをどう変えていったのかの一連の流れがわかるようになってます。

わたしは脳みそをフルリセットして、なんにも考えへん全力で癒されるモードでお伺いしたので、その印象派の系譜を感じつつも、眩しい光や時間がゆっくり流れていく絵をたくさん見れて大満足でした。セラピ〜。

そんな中でアルマン・ギヨマンが貧乏でめっちゃ昼間働いて夜に絵を描くっていうハードモードな日々を過ごしてたんやけど、高額の宝くじが当たって制作活動に没頭できるようになったということを初めて知ったので、よかったなぁ〜と思いました♡



さて、本展、開館早々からめちゃくちゃ話題になってる1人の画家がいるのご存知ですか?その名もレッサー・ユリィ。私も全然知らなくて、どんな絵なんやろうなぁ〜と思って実物を見た途端、目が離せなくなってしまいました。す、すごい。凄かったです。事前にSNSやHPで作品の写真を見たところ、よくパリのお土産やさんにあるような風景画って感じであまり良さがわからなかったのですが、本物を見て驚きました。この魅力は写真や印刷物では全然!伝わらないです。ミュージアムショップで売られているポストカードや印刷物とも全くと言っていいほど違う印象を受けました。

絵具の濃厚な厚み、擦れやぼけなどのタッチの緩急、白と黒による激しいコントラストや繊細な色彩感覚。という技術的な面も同時代の画家と比べるとかなり独自性があって見応えがあります。技法的にはピーター・ドイグに似たようなところを感じましたが、そんなことより、もうめちゃくちゃに悲しい。悲しみや諦めが根底にある人が描いてる絵、何か不安や絶望を経験しているからこそ見える光の色だと思いました。
日中の光の表現も秀逸ですが、雨降る夜の闇の中でキラキラと灯る街灯や車のライトの表現よ。こんなに悲しくて切ない光ある?!闇に消えていきそうな人たちと街と光と雨が境界線を無くして溶け合っている…。こんなにも目の前で呼吸しているかのような美しい風景画、今まで見たことあったかなぁ。


ユリィはドイツ印象派のユダヤ人画家です。今回見た「夜のポツダム広場」は1920年代半ばに描かれた絵ですが、1920年代のベルリンといえば「黄金の20年代(Goldene Zwanziger)」と呼ばれています。
工業化によって起こった労働者の貧困やインフレからドラッグや売春が横行し、それによってキャバレーやナイトクラブなどの大衆文化が花開きました。また自由を求めた芸術家たちがベルリンに集まったことで退廃的なムードの中で音楽・芸術・文学、映画などの文化が黄金期を迎えたんです。
この時代の様子を、ドイツの政治思想家クルト・ゾントハイマーは「ドイツ史の中で、これほど豊かであると同時に乏しく、大胆であると同時に意気消沈し、創造的であると同時に単純で、開放的であると同時に反動的であった時代は決して存在しなかった」と言ってるそうですが、もうまさにこの時代特有の所在不明さと華々しさの裏にある虚無感がユリィの絵から激しく感じられたように思います。
わたしも含めて、多分そういうところに無意識に共感してる人たちが今回ユリィの作品に惹かれたのかな。

モネのただただ美しいっていう絵ももちろん人を幸せにすることはできるけど、こういう美しさに隠された不安や混沌や得られることのない満足感や幸福みたいなものも同時に人の心を引きつけるのだなぁと思いました。



ユリィの絵は印象派と世紀末の風潮が合わさった感じなのかな。
調べてみたら雨の路地やカフェなどロシアやデンマークにも似たようなモチーフを得意としてる同年代の画家を見つけましたが、ユリィの多くを語らない豊かなタッチによる曖昧さは他の画家とか比べ物にならないくらい美しいです。
wikiで調べると「孤独だった」って書いてありますが、孤独かどうかは本人が決めることなので知らんけど、ドイツで高い評価を受けつつも当時のドイツ全体が貧しかったゆえ購入者がなかなかおらず、最後は無一文で亡くなったらしいです…。社会問題すぎる…。

本展ではユリィの作品は4つありましたが、全てびっくりするくらい素晴らしかったです。ちなみにユリィ、遠藤が数々のドヤシーンの中で最も好きな海割ってるモーゼのオタクだそうで、宗教画もたくさん描いてるみたいなのでもっと他の作品も実際に見てみたいです。
そしてなによりこの頃のベルリンについて、ワイマール文化についてもっと勉強したいなと思いました。
(なんも考えたくなくて癒しだけ求めにいったはずやのに、しっかり疑問と課題をみつけてしまう自分よ…。)

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