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夏と男と女

7月7日、昨夜は蟹座の新月。
夏至を過ぎて夏の大祓が終わり、七夕の節句。初夏は禊と祓いが立て続けだなと気づいたのは最近だ。まあ厄年だの節句だの祭りだの、年中祓うタイミング満載なので、昔から人間はよほど澱みやすい生き物なんだなと思う。

自分の身体・思考・感受性・流れなど、必ずどこかしらに澱みがあるものだ。そんなものは無いと言う人は、鈍感か躁状態かのどちらかでしかないと個人的には思う。私も稀に絶好調だ!と思ってしまう時があり、そういう時は100%躁状態で後にバランス調整するのにとても労力がかかる。「うーん、何だかなあ」くらいが人間は最もいい状態なのだ。不調時にしか人は思考しないし、視野を広げないし、自分を疑わない。だからとても逆説的ではあるけれども、調子がいいと思っている時ほど私は慎重になる。欠陥を見つけられない時は、視野が狭い証拠だ。

私は分析的に人や物事を見てしまうため、共感したり寄り添ったりすることがとても不得手だ。自分とは全く違う価値観や視点に触れて自分の欠如や穴に気づきたいのが、私が他者へ関心を持つ動機なので、「やっぱりそうだよね!」と自分の正当性を強めて”正義”にしてしまうことが最も愚かだと思ってしまう。


女児A「ねえねえ、Bちゃん一緒にトイレ行こうよ」
女児B「行く行くー」
私「なんで一緒にトイレ行きたいの?」
女児A「なんでって、なんとなく」
私「用をたすだけでしょ。逆にさ、音とか恥ずかしくない?」
女児B「あゆきさんは、友達とトイレいったことないの?」
私「あるよ。断ったら、誘われなくなった」
女児A「そうだろうね」
私「トイレ怖いからついてきてとか、理由あれば行くけど」
女児B「そういうことじゃないんだよー」

これは私がサバサバしているというアピールの話ではない。この「トイレに一緒に行く」というのは、言語化できない女子同士の密やかな情緒の共有なのだ。女性社会は共感によって横の繋がりが生まれる。男性は縦関係で社会を作るが、女性は横関係によってコミュニティを作る。きっとこれは危機感や価値観を共有することで、コミュニティつまり子供を守ろうとする保護本能だろう。

女性は思春期に近づくにつれ、共感できる仲間を探して「安心できるコミュニティ」を作る準備段階に入っていくのだと思う。女性にとって「安心できる巣」は不可欠で、子供を作る前提の本能欲求に近い。何かで読んで印象的だったのだが、男性は「安心」という感覚が希薄なのだそうだ。女性は内側から巣を守り、男性は外側から巣を守る。男性は外に意識を向けることでアドレナリンが出て、危険な外に出なければならない恐怖感を克服している。つまり「安心感を持つ」ことは男性にとって本能的には危険なのだ。その男性に女性は最も安心を求める。分かり合えない男女。だが、その分かり合えなさが子供の命を守る。

男性は「生み出せない」というコンプレックスが女性にあり、女性は「生まされる」という根源的な怒りを男性に持つ気がする。その怒りを消火するには安心感が必須で、女性の幸福感=安心感と言っても過言ではないように思うのだけれども、どうなんだろう。だから男性は幸福感には疎いのではないか。女性からは「幸せになりたい」という言葉は何度も聞いたことがあるが、男性からは聞いたことがない。男性の欲求は「自分の力を世界で確かめたい、力比べ、手応え」な気がするが、どうなんだろう。

まあ、現代は男女の前提が以前より弱いので、前述はあくまでも「男女の性質」という捉え方がいい。男性性が高い女性もいれば、女性性が高い男性もいる。それが表面化できる時代になったというのは、本当に自由だ。

梅雨の時、小さな隙間に張った蜘蛛の巣。「なんて美しいんだろうね〜」と子供らと話し合う。Tちゃんが「こんな素敵な絵を描きたいね、あゆきさん」

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