Annaの日記 妊娠するという奇跡、命を諦めるという選択④~出生前検査~
この確率を見て、41歳11か月で産んで「ふつうの子」が生まれるのは不可能に近いような感じに思える。しかも初産で。というか、出産まで迎えられることすら難しいような数値だ。
結論から言う。
私は41歳11ヶ月20日で「ふつうの子」を産んだ。
産むと決めたはいいが、お金より、母体より何より心配だったのがはやり生まれてくる赤ちゃんに何か病気や障害がないかだった。
もちろん生まれてから病気や障害のリクスはある。しかし、この数字を知って子供を産むということはわざわざハンディーキャップを背負わせて人生を歩ませてしまうのではないかと感じる。私のせいで。
私は人生の半分の間タバコを吸い、
酒も妊娠に気が付かず何度も飲み、薬まで服用していた。
片っ端から出産経験のある友達に羊水検査を受けたか聞いた。肌感覚的には聞いた人の約2割が受けていた。私よりもぐんと若い時の出産経験なのでまだ受ける必要がないとの判断の人も多かった。
35歳以上の人は絶対に受けるべき検査なのかと、受ける気満々で先生に相談した。検査のパンフレットをくれたが、医師の間でも賛否両論あり、この先生はどちらかというと否定的であり、自分の病院では出来ないと言った。
ほぼ無知の状態で聞いた私にはいくつもの疑問が沸いた。
まずこの検査で分かる事は「ダウン症」かどうか。これが最大の疑問だった。
この検査では脳や心臓の疾患は分からずあくまで、21トリソミーの染色体異常があるかどうかということ。しかも、陰性陽性と白黒はっきりしたものではなく%で出るとの事。
そして、その検査が受けられるのは妊娠15週以降。15週というともう
「おなかに赤ちゃんがいる」と自覚して、愛情や親としての準備が始まっている頃。エコーからみる赤ちゃんもぐんぐん大きくなり、人の形がはっきりとわかる時期。
こんな時期に「お腹の子はダウン症です。どうしますか?」と言われて「諦めます!」なんて軽々しく言える時期ではなくなっている。
その説明は重々先生から聞いた。夫婦で「結果の後」をよく話しあってから検査を受けたほうがいいと言われた。
確かに心配だった。しかし、障害の有無はダウン症だけではない。10万の検査代を払って、この結果だけわかって意味があるのか?
パンフレットには「パーフェクトコース」45万円ですべての染色体が調べられますと記載があった事も、何か胡散臭く金儲けに見えて仕方なかった。
コロナキットと同じである。結果は出すけど、後は他でやってね状態。
染色体異常を見つけても、結局そのクリニックでは「結果」を出すだけで治してくれるわけではない。辛い現実を突きつけられるだけだ。
先生の言葉が刺さった。
「結果の後・・・」
生まれてからダウン症とわかるのと、出生前からでは多少の心構えが違う。しかし、この検査を受ける人は全員
「どうかダウン症じゃありませんように」
と願っているはずだ。
なぜなら、ダウン症とわかっていても産む覚悟が最初からあれば、こんな中途半端な検査を受けないからだ。
この検査でダウン症とわかり、生まれてくるまでに治療で治せるなら話は全然変わってくる。しかし、ここで突きつけられるのは、
「障害があると分かって産む」か「命を諦めるか」
前回書いた通り、「堕胎手術は21週と6日まで」しか出来ない。
毎日泣いて、ネットであることないこと書いてあるダウン症の記事をなめるように読んでまた落ち込んで・・・を繰り返していたら、あっという間にタイムリミットがくる。そんな簡単に諦めがつくわけがない。そんな周りに簡単に相談出来る内容ではない。特に辛い不妊治療の末に出来た子なら尚更だ。
当初は夫婦一致で受ける気だったこの検査だったが、私の考えを夫に話を話した。
「産むと決めたんだから、どんな状況でも受け入れるべき」
驚いた。数週間前まで「あきらめよう」とか言ってた人が、一度決心するとここまで考えが変わるのかと・・・
しかし、後押しされたような感じで、私ももう答えはこの時には出ていた。
最初に書いた数値の通り、出産に至ることすら難しい状態にある私にとって、この子がこの世に生まれる事が出来たら、例え障害があっても、そこまで耐えた「命の力」を守らないといけない
・・・とかっこいい事を書いたが、ただ怖かっただけだ。
もしダウン症だったと分かったら、確実に自分を責めてしまうだろうし、「高齢出産だもんね」と無神経な事を周りに言われるのも想像が出来た。
だけど、あの妊娠がわかった時の思いの通り、「産みたい」ではなく「堕ろせない」という気持ちが強かった私が、より大きくなって育っているエコー画像をみて、「命を諦める」という選択が出来る勇気があるとは到底思えなかったのが受けなかった一番の理由だと思う。
ダメでもともと。。。
このくらいの気持ちを保つようにした。妊娠継続すら危うい私が命の選択をしている場合ではないのではないか。この命の力に任せるしかないと感じた。
そしてこの頃から、妊娠に関するネット記事を読まないようにした。
かなり気持ちが楽になった。
しかし、状況は何も変わっていない。ハイリクス妊婦の称号はついたままだ。胎動がわからないこの頃は検診が1か月に1回のため、明らかな出血を伴う流産とかでない限り、もしお腹の中で亡くなっていてもわからないため、毎日が不安だった。
性別がなんとなく分かった頃、夫が出張から帰ってきた時に紙を渡してきた。名前候補だった。
またも驚いた。「あきらめよう」と言ってた人が、まだどうなるかもわからないのに、もう名前を決めると・・・
あまりに嬉しそうに話すので、5つくらいある中から音のいいのをとりあえず選んだ。名前の由来を説明されたが、ほとんど覚えていない。
「あんな」と決まった。その日から夫は、何か将来的な話をするときにこの名前を使って話していた。
しかし、私は絶対に「赤ちゃん」という表現をしていた。
この手で抱き上げられる日がきたら「あんな」と言おうと決めていた。
もしダメだった場合に名前があると辛いと分かっていたからだ。
その日はこないかもしれない・・・
こないで当たり前かもしれない。
一度も「あんな」とよんであげらることが出来ないかもしれないと毎日寝る前に感じていた。生まれた後の未来は想像しないようにしていた。最悪の結果になった時の自分を守るために・・・
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?