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父の詫び状

向田邦子さんの小説やシナリオはもちろん、
様々な人生の選択や家族に残した手紙、
言葉や洋服のセンスまで、
すべてが好きです。
特に好きな、
いちばんくりかえし読んでいるのが エッセイ「父の詫び状」です。

昭和の最後の夏、私は就職活動をしていました。記念就活にと受けた第一志望の書類選考を通過し、2次面接の朝、亡き父が出勤前に言った。「もし、その会社に就職が決まったら、俺はお前に”詫び状”を書く」と。

向田さんのお父さんが向田さんに書いた詫び状は、お父さんの会社の同僚が冬の寒い日に自宅宴会で飲み過ぎ嘔吐。翌朝、長女である向田さんが玄関の敷居に詰まってしまった凍った吐瀉物を爪楊枝で掘っていたが、見ていた父からねぎらいの言葉はなかった・・・が後日、届いた手紙には用件の最後に「此の度は格別の御働き」と書いてあり、それが父の詫び状であったという厳格な父と娘の関係が数ページに凝縮されていて、10代で初めて読んだ時に受けたインパクトそのままを私は自分の厳しい父に向けて問いかけていたのだった。それを知っている父が詫び状を書く!?とはっきり言った!!

2次面接は父より少し若いくらいの部長、課長が面接官で最初の質問が「今朝、両親と何を話してここに来ましたか?」で、心の中でラッキーと叫び驚きながら、父の詫び状の話をした。おもしろいと思ってくれた面接官が次へ通過の切符をくれた。3次面接は社長面接で今度は「親から月にお小遣いをいくらもらっていますか?」と聞かれた。「わたくしは父から○万円ほどいただいております」と次々に答える学生の後に「2年前、18歳になってバイトをはじめてからはもらっていません。それがバイトを承諾してもらう条件でした」と私は答えた。

その年、募集要項に学歴不問を掲げていたその会社に内定することができた。父のおかげで。厳しい父に対して、反抗、反論し続けた箱入りひとり娘の箱は、箱は箱でもびっくり箱だったけど。父は他のお父さんにくらべて、自分が厳しいすぎることをわかっていたんだと、私の父の詫び状をもらってやっと気づくことができた。昭和が平成になった最初の春、詫び状にはずっとほしかったけどバイト代だけでは高くて買えない当時、CMで話題だった内定した会社の親会社のステレオの切り抜きが貼ってあった。

#人生を変えた一冊  #向田邦子 #父の詫び状 #就活 #就職活動 #エッセイ #ステレオ #リバティ


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