これはきっと、つくり続ける人でありたい私にとって、忘れちゃいけない大切な日になるんだろう。
それは自分が初めて、ディレクションとして携わらせてもらったプロジェクトが、世に公開された日だ。
公開当日、いつも通りの朝。
社会人も少しずつ板についてきて、いつものようにパソコンを開き、一日の仕事をはじめる。
業務に集中していて、気付けば例のプロジェクトが公開され始めていた。何か反応が上がってるかなと気になり、Twitterをのぞいてみることに。
すると、そこには私が携わったプロジェクトを楽しんでくださっている方々がたくさんいた。SNS越しではあるが、公開を喜んでいるユーザーさんたちがいることは確かだった。
その様子を見ていると、次は段々と自分の鼓動が速くなり、明らかに気持ちが高揚していることに気が付いた。
いやいや、待て待て。
このプロジェクトに自分は何も大したことはできていない。なのに喜ぶなんておこがましいのでは。
今回の業務もディレクションとはいっても、新卒4ヶ月目のペーペーな自分が関わった範囲はほんの少し。大きなことはしていない。むしろ周りにサポートいただくことばかりだった。
たくさんの人がこのコンテンツに触れてくださったのも、元々の素材やサービスが素晴らしかったからであって、そこに自分は何も影響を与えていない。
映画のエンドロールの隅っこに、名前が小さく載るか、いや載らないかな、ぐらいの仕事しかできていないだろう。
それは分かっているのに。
どうして、こんなにも感情が高ぶっているんだろうか。
実際にユーザーの方々の反応をみて、率直に私は嬉しかった。業務中だからこそ耐えたが、涙腺はゆるゆるだった。
本当にちょっとな事しか関わっていないけど、自分が少しでも触れたお仕事が、何処かの誰かの手に渡って、楽しんでもらえてる。
その事実だけで、きっと十分なんだろう。
どんなに小さくても、それは立派な仕事。
たとえ関わった仕事量がプロジェクト全体の数パーセントだったとしても、実際に届くべき相手に、正しくそれが渡り、ポジティブな反応をもらえた。
それは誰から見ても、とても喜ばしく、素敵なことであるということは、間違いないはず。
別の言い方をすれば、どんなに小さな仕事やタスクでも、一歩関わった以上は軽い気持ちでのぞんではいけないということ。とはいえ、言葉にするのは簡単でも、それを実行し続けることは容易ではないだろう。
でも、これから先もこの気持ち、忘れたくはない。
その姿勢で、ものをつくり続けたい。
そんな風に思えた日だった。
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