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自分を生きる②

仕事をなんとか軌道にのせようと一生懸命走ってきた
旦那はうつ、適応障害、発達グレー、私は心のどこかで足を引っ張るお荷物だと思っていたのかもしれない
でも、旦那に対して出てくる言葉は、あなたは1人でも生きていけるし私がお荷物なんじゃないか、という私の存在確認だった

目の前の人ものは本当にクリアに私を映す

自分の中の不安を直視せず、仕事とお金に明け暮れてみた結果、誰かや結果にすがる気持ちがいつからか強くなっていたように思う

辿ってきた足跡は当時の自分に対して失礼だから否定しないし、間違ってなかったと思う

だけど、
旦那のお弁当を作る時
お昼の連絡を交わす時
好きだよと伝える時
美味しいねをかわす時
お風呂で笑い声を響かせ合う時
ほんのちょっとの幸せを
少し後回しにしていたのかもしれない

私は本来、これらのほんのちょっとが
すごくすごく嬉しくて幸せで
幼い頃から家族に求めていたもの
与えてもらったものの1部はそれらだった

大きな成功も活躍も賞賛も
感じるほどに嬉しさはそれらに及ばず
小さく感動したり微笑みあったり
何もしていないようで見つめ合う
心の通う一瞬は
見えない粒子がにこにこ振動しているように
喜びに連続性を生む

そして、
こうした営みも自然に包まれた中に在ると
体感すればするほど
恐れや不安、焦りという大きく襲いかかる塊が
細かい粒子になってじんわりと解き放たれては
静かに弾けていく

何かを成し遂げるためには
何かを生み出すためには
と頭を使うことは悪くない

けれど、
成されて生まれるが
自然な流れだということを忘れてはならない

私が私であることを
誰かのための私ではないことを留め
私を生き続けることを精進する日々が
成されて生まれる流れの中にあり
既に成して生んでいるのだろう。

何かを生み出すことは
ないものを無理やり創り出すことではなく
あるものを思い出し喜びで溢れる
それ自体なのだと思う。

ありがとう、
幸せだね、と

他者と思いやり

生きていることに
手を合わせて

今日までの歩みも
これからの歩みも
今も

大自然の中で

味わおう。

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