ぶらり、感覚地球人

見える世界と見えない世界. 感覚と物理.感性と思考. 2極を抱いて生きる ふたつでひと…

ぶらり、感覚地球人

見える世界と見えない世界. 感覚と物理.感性と思考. 2極を抱いて生きる ふたつでひとつのわたしが描く真ん中の景色🌎

最近の記事

反対側を育てる

人のイライラは怖い 大切な人の死も怖い また同じ過ちを繰り返すことも怖い ここに書く前までは 私には怖いことが沢山あった カウンセリングを受けて 自分の心が安心する考え方を 採用していっていいんだと知った 怖い気持ちはたしかにあるけれど それを誰しも超えていくことができる 人間にはその力がある 自身で傷を癒していくことも 自身で怖いを楽しみに変えていくことも 自身で抱えていたものを表現してみることも どれも可能なのだということ。 人はイライラもする それは決して私の

    • 夫婦のカタチ

      旦那と離れて暮らして1ヶ月半が 経とうとしている。 あっという間だ、、 ボロボロの心身で帰省した11月に 立て直しを図り助けてもらった12月、 振り返ると、初めは、 旦那を支えきった燃え尽きと 私をおざなりにした懺悔と 離れていたいけれど やっぱり温もりを感じたい そんな気持ちの狭間にいたような気がする。 今でも 離れていた方が心地よい関係なのかもしれない そんな感触と でも、やっぱり 傍で温もりを表情を時間を、 重ねる体験を共に感じたい そんな本音がこぼれ落ちる

      • ふわっと、幸せを集める

        約3年ビジネスの世界にいたわたしは SNSで魅せるわたし 働いているわたし 仕事が舞い込むわたし 認められるわたし 褒められるわたし BIGになって有名になっていくわたし に、食べられていった部分がある😌 慣れない世界で、よくやってきた🍀 今は、もっともっと深いところの土台を 育んでいる。 一体、 SNSで魅せるわたしは幸せ? 働いているわたしは幸せ? 仕事が舞い込むわたしは幸せ? 認められるわたしは幸せ? 褒められるわたしは幸せ BIGになって有名になっていくわたしは

        • もう明け渡さない

          私の特性として、相手を 力の強い人と設定して見て 力の弱い自分で居続けることがある。 その反対も然り。 力の弱い自分でいる時には 「耐える」ことを続け、怒り泣く。 感じたことがあってもまるでなかったかのように 相手に従えることができるのだ。 力の強い人に設定する相手の特徴は、 指図をする、世話焼き、否定的、口が上手い 痛いところを突くのが上手い、である。 人生の中で、幾度となく出逢う。 姿を変えて現れる。 私は基本的に、わがままで自分勝手で 甘えん坊の寂しがり屋だが、

          経験と祈り

          2024年がはじまり、早々に 震災が起こり、翌日にはまた大きな事故… 何も起こらない通常の 平和な明日を信頼して 大晦日を過ごした人は どれだけいただろうか。 1年を振り返り、また1年のスタートを切り、 また来ると思っていた明日がこなかった 普通にあると思っていた日常が途絶えた そういった人たちもいるだろう。 これを書いている私も、 明日が来る保証など何処にもなく しかし、来るだろう明日に少し期待しながら また目を閉じて布団に入るのである。 家族で笑い合えること 喧嘩

          2023🐰→2024🐉 備忘録

          2023年は 兎年:家内安全、景気が良くなる、飛躍 個人の振り返りとしては 「支える」をとことんやり切った1年だった。 ビジネスパートナーを支える 旦那を支える 体調を崩してからは自分を支える もはや、支えるを通り越して やり過ぎてしまったなぁとさえ反省する。 また、それらも わたしを構成するの一部となった年だった。 支えるに夢中で、 「支えられている」ことへの感謝は あるようでないようで( ^_^ ;) 湧き出るあたたかいような 感謝を感じることもあれば、 作業

          2023🐰→2024🐉 備忘録

          「喜び」の観測

          人間って奥が深いなぁって たのしくなる 「感情」が絡み合うから、 また「感情の定義」がそれぞれ異なるため 面白さが生まれるのだと思う 誰かにとっては、めんどくささにもなり 時には、邪魔と思うものになり だけど、たしかにソレは 私たち人間の「そばにあるもの」だと感じる。 今朝、わたしは予定していた楽しみなことが 達成できずに、ショックを受けていた。 ただ、このショックをそのままに垂れ流しながら 「自分が決めたことを正解にしていこう」と 少し胸を張ったのである。 その

          宇宙Amazonについて

          今年の8月頃に 「このままの生活が続くのは嫌だ(立て直したい)」 と心底思った結果、 10月に仕事も健康も夫婦生活も 強制終了となった(´°ω°)チーン 結果、今 こころ▶︎臨床心理士さんの元で積み上げ からだ▶︎受けたいと思った方にヨガ依頼パーソナル しこう▶︎ノートへの書き出し、話す 行動▶︎実家へ出戻り、食住世話になる 無茶しないながらもやってみる、 丁寧にゆっくり、休み休み 夫婦▶︎離れてみる、素直に言葉で伝えてみる この通

          宇宙Amazonについて

          クリスマスのひとりごと

          クリスマスイブにふと、想うことがあった こんな賑やかな日に、 ひとりぼっちの人はいないかなぁって 自分が幸せで満ちているとき、 裕福で困っていないとき、 私たちはつい、想うことや祈ることを 忘れがちになる もちろん、 自分が幸せで満ちていることは この上なく素晴らしい、 周りも明るくするだろう。 だけど、 わたしは、こころのすみっコに ひとりぼっちのあのこやあのこを 忘れたくないなと思う。 1度目は、自分自身の小さい頃だ。 もちろん、今から記載すること全てが 我が家

          クリスマスのひとりごと

          役立てる喜びと怖さ

          人の役に立てるとき 得意なことをいかせているとき 喜んでくれたとき 得意げでうれしい。 けれど、 また必要とされる自分を やり始めるのではないかと 疑いが湧く。 必要とされる自分の何がいけないのか。 その人や対象物にゾッコンに なってしまう自分がいることが怖い。 歯止めが効かなくなる感じ。 これらがあるから安心。 この人がいるから安心。 外堀を埋めて落ち着かせようとすることへの 危機感なのかもしれない。 正常なからだとこころの反応なのかもしれない。 そして、突然、こちらの

          役立てる喜びと怖さ

          再び巡る家族時間

          不安が私の幻想を解いてくれた。 不安も幻想であるが、 1種の身体反応でもあると捉えている。 これまで心の学びに触れ 幼少期のノイズやしこりは 触ってきたように思っていた。 ただ、やはりそれも脳内の記憶変換だったのだと それに過ぎなかったのだと、 旦那と離れ、実家に帰り、体感している。 決して、学びは無駄ではなく、悪でもない。 学び、そして、肉体の伴う生きるを 全うできる互いがあることで 交わし合えている今に また、これまでの軌跡を 深く感じることができている感覚がある

          再び巡る家族時間

          描くことの許し

          9月にクリエイティブカードの ご依頼を受けていたが 心身の反応が現れたため 長らく待っていただいていた🍀 クリエイティブカードは イマジネーションを介して 本人をうつすものである。 自分と繋がり真ん中に戻る作用が あるのかもしれないが、 受け取り感覚に関しては本人に託している。 クリエイティブにおいて、 「私」を表現する際は自由だ その自由が反対に難しく ノイズをクリアにしながら潜っていく喜びがある 段々とシンプルに繋がっていくものであると 捉えている 「誰か」を表現

          ご自愛時間

          不安障害の診断を受けて3年が経つが 不安感が酷くなってから それまで問題にしていなかったのに 突然自分に不安障害のラベルをべったり貼った わたしの一部に不安ちゃんがある 一部なのだという受けとめを。 これは、父から 「お前はおかしくなんかないんだよ、 普通だ、大丈夫だ」と言ってもらって 自分の中の、これ以上悪化したら… おかしくなったらどうしよう…という 不安がとろけた瞬間でもあった ありがたい言葉だった。 わたしは、わたしであって 一部に不安ちゃんがある それはイラ

          崩壊の先には何があるのか

          旦那と離れ離れの生活をしてみて。 思った以上に家事と仕事をこなす旦那に 苛立ってしまう自分を責めた。 元気になってほしかったはずなのに、 元気になればなったで何かが不満であった。 私を必要として?私は要らないんだね、 という寂しさが不満と横並びで 泣いていたのかもしれない。 困っていたら助ける 元気がなかったら元気づける 可哀想だから声をかける 私のやってきたことは何だったんだろうか、と ふと虚無感に襲われ、この先に意識が向いた途端 不安感に身体が反応してくれる。 段々

          崩壊の先には何があるのか

          自分を生きる②

          仕事をなんとか軌道にのせようと一生懸命走ってきた 旦那はうつ、適応障害、発達グレー、私は心のどこかで足を引っ張るお荷物だと思っていたのかもしれない でも、旦那に対して出てくる言葉は、あなたは1人でも生きていけるし私がお荷物なんじゃないか、という私の存在確認だった 目の前の人ものは本当にクリアに私を映す 自分の中の不安を直視せず、仕事とお金に明け暮れてみた結果、誰かや結果にすがる気持ちがいつからか強くなっていたように思う 辿ってきた足跡は当時の自分に対して失礼だから否定し

          自分の人生を生きる①

          ふとした何かがきっかけで 自分との繋がりが簡単に途切れてしまう。 それは、大抵、違和感の無視と 感情の蓋によって増強していく。 気が付いたら 誰のための人生かが分からなくなっている。 大切に思う気持ち故に 自身の弱さを相手になだめてもらおうとする。 どんどん醜い自分になっていく。 だけど、弱さの隣りには強さが並び 醜さの隣りには美しさが いつも並んでくれていた。 捉え方を変えたら楽に生きられる 感情を解放したら楽に生きられる そんな謳い文句が溢れた世の中 楽に生きる

          自分の人生を生きる①