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夫婦のカタチ

旦那と離れて暮らして1ヶ月半が
経とうとしている。

あっという間だ、、

ボロボロの心身で帰省した11月に
立て直しを図り助けてもらった12月、

振り返ると、初めは、
旦那を支えきった燃え尽きと
私をおざなりにした懺悔と
離れていたいけれど
やっぱり温もりを感じたい
そんな気持ちの狭間にいたような気がする。

今でも
離れていた方が心地よい関係なのかもしれない
そんな感触と

でも、やっぱり
傍で温もりを表情を時間を、
重ねる体験を共に感じたい

そんな本音がこぼれ落ちる😊

2024年を迎え、
旦那との関係に少し変化があった。

我が家は、察してなんでも先取りし
やってあげる家庭であり
これを思いやりと呼んで良いのか…
過剰なほどの介入がある

旦那の家は、自己責任主義で
感情のシェアが少ない。
自分でどうにかする、ことが基本だ。
相手を想う気持ちは物質的なやりとりとして
存在するが(お中元など)情緒的に少ないと感じる。

離れてから、度々電話を重ね
きっとこれまで溜め込んでいた想いを
少しづつ私は伝えてみていた。

「今俺は、俺の機嫌をとることで精一杯なんだ」

そんな言葉をもらい、

「私も、同じだ」と思った。

ただ、夫婦だから、家族なのだから、

「もう少し、互いに興味を持ち
労ったり、思いやったり、それを
言葉や態度に示していくことも望んでいる」

そのようなことを明かした。

今は、互いに
「自分の心の隣にいる期間」なんだな
とも思いながら…🍀


その数日後、夕食のメニューが被った。

旦那が「離れていても心は繋がってるね」
と柄にもないことを伝えてくれた。

私はとても嬉しくて、
「嬉しい」と伝えた。

すると、「嬉しいもんだな」と返ってきた。

伝えた側も嬉しいというのだ😊

こんなことはこれまであったかな?と思うほど
あったかもしれないけれど忘れていた
「素直さ」「真っ直ぐに伝え、受け取る豊かさ」
そんなことを思い出していた😌

嬉しいね、俺も嬉しいよ、

たったそれだけのやりとりが
たったそれだけに思えないほど嬉しくて嬉しくて
泣いて舞い上がった夜だった🌙


私たちの夫婦のカタチは
まだまだ未熟ながらも

自分という者を
パートナーという姿見を通して

再構築、再確認している。


大切に育てられ過ぎて、
他者との境界がなくなっていた私

自己責任主義過ぎて、
他者との間に厚い壁を作り上げてきた彼

このふたりの今のカタチは

①自分の機嫌は自分でとるよう努める
②感じたことを分かち合う

自己責任を主軸に
互いを想い、思いやり、労う

である。


この家庭に育ったことにも意味をもたせるならば
私たちの出逢いが必然であり
そこには学びがあったことを知り
感謝が残る。

きっと、これからも揺らぐ。

カタチは幾度となく変わる。

優先順位も変わる。

その変化に、すぐ適応できなかったとしても
また時薬とともに、自分を感じ
相手を感じ、考えて、伝え合えばいい。

その不完全なままの、
少し弱気なままの、
未熟なままだからこその、
楽しみがきっと道中には溢れているだろう。

その道中を彼も
まだ共にしてくれると言うのなら、
また、私が共にしたいと望む限り
ひとりで過ごす人生よりも
幸せが腹の底から湧き上がるだろう。

そう思える人に出逢えたことが
とても幸せだ。

まだまだな私が
今日の私を認める今も

未熟な私たちが
今日の頑張りにお疲れ様を伝え合う今も

手元に残ったものは
「ありがとう」ばかりであった。


体験できる全てに、
時に苦しくなりながらも
隣合わせの愛らしい本音に手を合わせ
感謝する。

全ては、生きていればこそ

なのかもしれない🌸


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