読んでいくうちに表紙の印象がガラッと変わる②【三浦しをん「ののはな通信」】
昨日に引き続いて一章分だけ読み進めたので、二章を読んだ感想です。
一章の終わり、高校2年生で互いに別れを告げた「のの」と「はな」は二章のはじまりで大学生になっていた。
はなは2年間続けてののに年賀状を書くが、返事はない。
久しぶりに手紙が来たと思えば、ののは実家を出て大学近くの叔母悦子さんの家に下宿していたということをはなは手紙で知る。
そこから手紙のやりとりが再開し、はなはサークルで出会った安田くんという彼氏についてののに相談する。
私も安田くんと、「悪いひとじゃないし見た目も吐き気がするほどきらいではないし私のことを好きだと言ってくれたから」つきあうことにしただけ。
そういえばこんな発言、私も友人から聞いたことがある。
総合的に悪くないから付き合ってみるか、という感じ。
運命を感じる!みたいな出会いをみんな求めがちだけれど、これくらいライトな感じから始まるお付き合いって意外と多いように思う。
どうやら今の婚活市場でよく求められるのは、「普通の人」なのだとか。
しかしその普通には、「仕事を普通にしている」「見た目が普通」などの意味も込められているそうだ。
安田くんと付き合いながらもお兄ちゃん的存在として慕っていた幼馴染と再会をして、幼馴染に心を惹かれ始めるはなは自分の感情に迷いをもつ。
そして本当ははなはののを心から愛している。でもそれが叶わないから、もがいて苦しんでいる。
なにが正しいのか、自分が「ふつう」なのかどうか、よくわからない。ちょっとのことで混乱して、どんどん自信がなくなっていってしまう。
ほんとにわかんない。正解の選択肢を選んだら、ピンポーンって音がするといいのに。クイズ番組みたいに。
こんなはなの気持ちに共感する人って多いのではないかと思う。
周りが言っていることが正解のように感じて、自分の本当の気持ちに蓋をして周りに合わせていく。
そしてそのうち自分が求めていることがなんだったのか、ぼやけていってしまう。
悩んでも悩んでもわからないから、誰かに答えを教えてほしい。
ののへの気持ちは隠しながらも、二人への思いに揺れ動くはなの相談に対し、ののは厳しさを交えた返信をしていく。
ののも本当は、はなを愛しているから。
愛し合っているのに結ばれないなんて、悲しい。
そしてはなは安田くんとは別れ、だんだんと幼馴染と結婚する展開に進んでいく。
しかしそんな中ののの下宿先の悦子さんが、実は叔母ではなく恋人であったことをののから打ち明けられてはなは動揺する。
悦子さんも女性を愛する女性だったのだ。
ののからの手紙に悦子さんのこんな言葉がある。
「私も、恋人も、お互いに男にも女にも嫉妬しなきゃいけなくなるでしょ。これまでつきあってきた女のひとに、『好きな男ができた』って何回も言われて、一種の悟りが拓けたのかしらねえ。だから私自身は、相手に同じ思いをさせないようにしよう、恋愛は女とだけしようって決めたの」
一章を読んで思い出した、私のバイト仲間だったレズビアンの友人と同じことを言っている。
嫉妬の対象が広がるって、どんなに苦しいんだろう。
そして愛する対象が自分でなく、女性でもなく、男性になったと知ったとき、悦子さんはどんな気持ちになったのだろう。
これから出会う相手に同じ気持ちはさせまいと心を決める悦子さんは強い女性だ。
二章の終わり、はなは幼馴染を結婚するため出さないと決めた手紙をののに書く。
手紙の中ではなが書くこの文章には考えさせられた。
どうして言葉なんてあるんだろう。友情とか恋愛とか、男とか女とか、言葉はなにかを区別し、分断するためにあるとしか思えない。言葉がなければ、私たちはただ一緒にいられたのかもしれないのに。この苦しい気持ちも、うまく言葉にならなくてモヤモヤする思いもなくなって、日なたで二人して昼寝できたかもしれないのに。丸めた体を猫みたいにくっつけあって、ぬくぬくと幸せに。
本当にその通りだと思う。
気持ちを伝えられたり、危険を知らせることができたり、人間が言葉から得られる恩恵は大きい。
でもその反面、何にでも名前をつけなくてはいけなくなったのかもしれない。
みんなが共通してわかるように、あらゆるものを言葉で区別した。
性別がなかったとしたら、ののとはなはもっと軽やかに愛し合っていたかもしれない。
もしかしたら私たち人間はどんなことも言葉で区別しすぎてしまったから、なんだか複雑に考えることが増えたのかもしれない。
ジェンダーとか多様性とかダイバーシティとか。
さて三章がチラリと見えてしまった。
あ……!
時代が進んで、ののはな通信が手紙じゃなくなっている!
明日も読み進めるのが楽しみ。
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