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脳は「許せない」が気持ちいい!?【人は、なぜ他人を許せないのか?/中野信子】

私が過去に許せなかった思い出としてあるのは、小学2年生のときの友人Sとのこと。

「昼休み、一緒に鉄棒をやろうね」と約束したのに、Sはチャボのエサやりに行ってしまったのだ。

私はどうしても許せず、Sに相当怒り、家に帰ってからも家族に文句を言い続けたそうだ。

今でもそのときのことを家族からからかわれる。笑

私の「許せない」はずっと続き、小学6年生のときにやっとSと仲直りした。(そこまで引きずった自分が怖いし、本当にSごめん。)

今ではSとは、お互いの結婚式に招待し合うような仲だ。


そんな「許せない前科あり」の私にとって、「許す」は昔から大きな課題だった。


さて今回私が読んだのは、中野信子著「人は、なぜ他人を許せないのか?」

なんで人って、他人を許せないんでしょうかね?

今日もダメだと思いつつお菓子を食べてしまうほど自分には甘いのに……。


脳は「許せない」が気持ちいい

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これにはびっくり。

脳は「他人に正義の制裁を加えると、脳が刺激されてドーパミンが出て気持ちよくなっちゃう」のだそう。

「芸能人の投稿がSNSで炎上した」とか聞くことあるけれど、あれってみんな気持ちよくなってしまっていたのか。

誰が不倫しようと、悪ふざけの動画を投稿しようと、自分と直接繋がりがなければ本来どうでもいいことのはずだ。


これは私の考えだけれど、「許せない」をして表向きは誰かを非難しながら、裏では「そんなことやるはずのない自分」に酔っているところもあるんじゃないのかな。

あとは「いや〜ね〜あそこの奥さん!」みたいに近所のおばさん的な感じで、自分と周りの繋がりを確認する効果も「許せない」にはあるのかも。

SNSやご近所、場所は違えど自分以外の他者と一緒になって「許せない」をする。

そして「許せないのは私だけじゃない、しかもこんなこと私はやらないし」と思いながらみんな快楽を得ているのだなあ。


みんなと違うは「許せない」日本人

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日本では昔から集団内での争いを最小化していくために、個人よりも集団の目的が優先されてきたと書かれていた。

その理由は日本には地震などの災害が多く、日頃から協力し合っていかないといざというときにみんな生き延びていけなかったからだ。

たしかに普段から争いなんかしていたら、突然災害が起こったときに互いに助け合うなんてできない。

だからみんなと違うことをするのは「許せない」のだ。


中野さんはこの集団重視のあり方は「長期間かけて練られてきた戦略として遺伝的に根付いているから、長期的には最適」と言っていた。

遺伝的に生き方を根付かせるなんて、脳って本当に賢い。


一方で「異質なものを冷遇して排除するという負の側面がある」ということも書かれていた。

たとえば本書内にもあった、特に若い女性たちの同じような服装については私も気になる。

「なんでみんな同じようなもの着てるんだ?」と。

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しかし思い返せば自分もそうだった。

人気のブランドの服やショッパー(買い物したらもらえる袋)を持っているかが、女子グループ内のヒエラルキーに関わっていたような気がする。

それらを身につけていることが、同じ集団であることを示すパスポート代わりになっていたのだ。

集団の一員であることそのものが、生物としての安全性を高め、生活の効率を高めるための武器になるため、集団への所属と、所属した集団の持続そのものが最優先の目的となります

きっと似たような服を着ているように見える女の子たちも、所属の安全性みたいなものがあるのでしょうね……。

生活の効率につながるわけではないだろうけど。


脳はコスパが良いのがお好き!?

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「あの人たちはああだから放っておけ」とひと括りにしてしまうことで、余計な思考や時間のリソースを使わずに簡単に処理することができる

おおおおお……!

コレ、ヨクヤッテイル、ワタシ。

ついつい旦那さんに対して「関西人さすが!よくしゃべるね!」とか言ってしまう。

(そんなに嫌そうではないから旦那さんには大丈夫だと思う表現)

でも静かな関西の方だっているだろうし、笑いを積極的に取りにいかない関西の方だっているはずだ。

一人ずつ違うってわかっているはずなのに、目の前の相手について考えずに「こうだから」とひと括りで判断してしまう。

考えることをしなければ、脳がかける労力のコストパフォーマンスが高いからこうしたくなるのだそうだ。

すごく納得。

そしてまた脳の賢さを、痛感。


「許す」ための脳を鍛えよう

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「許せない」を続けるのってエネルギーが必要だ。

実際私も、冒頭にあったSとのことを「許せない」ことがだんだん苦しくなっていったことを覚えている。

Sと私は当時、同じ地区に住んでいた。

地区にはSと共通の仲良しの友達もいて、その友達に遊びに誘われても「Sがいたら一緒に遊べないや」と断ったこともあった。

今となっては笑い話だが、そんなのどう考えても苦しいし、生きづらい。


誰だってもっと穏やかに気持ちよく生きていけた方がいい。

そのためには「許せない」ことを意識的に探さないのはもちろんだが、「許す」力をつけていくことも大切だ。


ところが。

「許す」ことを考える前頭前野は加齢によって小さくなってしまうらしい!

だから前頭前野を鍛えて、年を重ねてもあらゆることに柔軟に「許す」ができる人になっていこう。


本書内ではそのトレーニングの例として、以下のことなどが挙げられていた。

・新しいことを経験する
・安易なカテゴライズをして考えることから逃げない
・心に余裕を持つ

やっぱり脳を刺激して働かせるってことが必要なんだなあ。

そして心に余裕がなかったら「許す」力も低下するのは、なんとなくわかる。

余裕がなければ自分のことに必死で、周りなんて見えないもんね。



私はこれから、「許す」ための心の広さをもって他人にも自分にも優しくしたいと思いました。

日々学びです。


ぜひ読んでみてください。




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