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「集中するのが気持ちいい」から、私は書く。

なんのためにnoteで記事を書くのか。

理由は十人十色だと思うし、同じひとでもタイミングによっていろいろあると思う。

書くことが好きだから、という人が1番多いと思うのだけど、私は人生においてずっと文字を紡いでいたわけでもなく。
書くのが好きかと聞かれたら、好き。
でも、書くに対して純愛かと聞かれると、正直言葉に詰まる。

それはなぜか。

私は最近、「noteを書く」という行為自体に集中を求めていることに気がついた。

なにかひとつのことに集中しているとき、それはとてつもなく「生きている」を感じる。

試験中でもいいし、
スポーツの試合中とか、
音楽の演奏とか、
人前での発表とか、
締切直前とか。
負荷がかかればかかるほど、没入感は増す。

感覚が研ぎ澄まされる集中がもたらすあの快楽は、ほかのものでは補えない。

あの「生きている」感覚をくれ。
なにに集中するかは、正直なんでもいい。
集中する時間のない人生なんて、ただ生きながらえているだけだ。
とさえ、思う。

体調を崩してから、自分にストレスのかかるものをどんどん排除した。
ストレスは減ったが、「生きている」感覚も減った。

不幸は減ったが、なんだか味気ない。

集中しているとき、人の脳では快楽物質βエンドルフィンが出ている。
ドーパミンの分泌を手助けするような役割のようだ。

ストレスは全てが悪というわけではない。
ん〜何事もバランスなんだなあ(この着地しがち)。


集中する対象がなんでもいいんだとしたら、自分が集中しやすい環境で、手をつけやすい事柄に力を入れるのがいい。

私は静かでひとりの環境が一番集中できるため、家の中、可能なら自室がいい。残念ながら我が家に自室はないけれど。

そしてPCでタイピングすることは、私のできるなかで一番早いアウトプットの仕方だ。
スマホで書くのは、1番手軽ないつでもどこでもできるアウトプットの仕方だ。

それで、シンプルで使いやすさ抜群のnoteで書いているのだ。

この内容を書きたい、というのがなくても「今すぐnoteを書きたい」と強く感じることがあり、自分でも不思議だった。
つまりは「noteを書く」に集中して気持ちよくなりたい、ということだったのである。

私は、ランニングしたり、サウナに入ったり、瞑想したりして得るあのエンドルフィン由来の爽快感を、noteを書くという行為に見出しているらしい。

同じような仲間がいるだろうか。

noteを読むときも、難しい内容、考えさせられる内容のものを読むとき、周りからの刺激は遮断され没入して文字と向き合っていることがある。

私はそんなnoteの一面も、好きだったんだなあ。
note2年目、新たな発見。

それでは。
お読みいただきありがとうございました!

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