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みんなと違うと、その場に居ないことにしないでほしい

発達障害がわりと周知されてきている世の中になりましたが、だからといって生き辛さというものは変わっていないと感じています。

私は自営業で仕事をしているので、仕事の時間は自由が効きますが、学校や会社などの集団で時間を過ごす人にとっては、「普通(=周りと同じペースで)」ということがいかに難しいか考えさせられる出来事がありました。

先日、小学生の娘の授業参観で、立ち歩く子がちらほら目につきました。(「やんちゃ」とか「落ち着きのない子」というのはどのクラスにもいるので、そういった子がみんな発達障害を持っているわけではないことは理解してます!)

補助の先生が付きっきりな子、机の周りがヨドバシカメラで爆買いした中国の方みたいになってる子、周りの音がうるさく聞こえるのかイヤーマフを常につけて授業中もウロウロと廊下に出たりする子など、同じクラスの中でも割と賑やかな娘のクラスなのですが、先生はそういった目立つ子を、まるでその場に居ないかのように振る舞って授業を進めていました。

でも周りの子はいつもはたしなめられている子たちが、うろうろ立ち歩く姿に落ちつ泣かない様子。結局授業はあまり進まず、バタバタとなんとなく終わってしまいました。

コロナの影響でしばらく授業参観がなかったのもあって、この学年になって初めての授業参観ということもあり、見ていた保護者は唖然としたり、自分の子どもがちゃんと授業を受けられていなかったことに憤慨したりしている様子が見られました。

きっと先生も、「今日は参観日」という気持ちがあったんだと思います。娘に聞くと、普段は立ち歩く子に怒鳴るそう。いわゆる授業参観では「よそゆきの授業」が行われていたはず。

先生は、保護者の前で怒鳴ったりする姿を見せたくないという思いが、「無視する」ことで回避している様に思いました。

みんなと違うことをする子は、いない事にされる。その保護者にとってはとても辛いことだと思います。そういったお子さんの保護者が参観に来ていたかどうかはわかりません。(初めての参観だったので

これは小学生に限った話ではなく、大人でも往々にあるシーンだと思っています。

みんなと違った感覚をもつと「変わった人」と思われて敬遠される。社会生活において、右向け右の考えが正しいということが今だに当たり前の様にありますよね。

こういった事実が、発達障害を持つ人間が成長する過程で精神不安定になっていく一つの原因であると思います。

「人間関係がうまくいかない」「会社で馴染めない」「子供の頃からいろんな人に何かと怒られて育ってきたので、規律から逸れることが怖い」など、「発達障害=自分とは感覚が違うからやりにくい」という印象で、自分の物差しで人を値踏みしてないでしょうか。

思ってる以上に、私を含め、その様な悩みをもつ方が、みんなと違うことに悩み、傷つき、改善しようとして失敗する→焦る・・・を繰り返している印象です。特に子供の頃、煙たがられて育つ子は、人に愛されたい欲がとても枯渇していると感じます。私がそうだから。

自分に自信がいつまで経ってももてない大人になってしまうんです。だから、余計に極端な思考に行き着いてしまったりします。

今は発達障害の疑いがある子は幼稚園や保育園、小学校から保護者に市町村で行われる検査に行くことを勧められます。親として認めたくない人もいるかと思いますが、将来その子が生きにくい世の中にしてしまうか、特性を認めつつ上手く付き合っていけるかは、大人の手にかかってると思うんです。

検査に行って、悪いことは何もないと思います。むしろ、その子の脳にどういった思考や行動の特性があるかを知ることは、周りへの理解をつなげる一つのきっかけになるのでは。と。

偏見をなくすのはとても時間がかかることでしょう。理解するのもそうでしょう。でも、大人が子どもの未来を奪っていいわけないです。せめて、学校や幼稚園保育園などの集団生活が始まったお子さんたちを、大人の物差しで「居ない子」にしないであげてほしいなと思いました。


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