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本音を隠すのも伝えるのも、自己防衛だったりする。

職場の人間関係が苦痛と話す私に、同僚が紹介してくれたYouTubeは、
人はみな仮面を被っているのだから、自分を女優と思って本音と違う自分で他人と接するべきとのアドバイスが詳細に繰り返される。
本人の目の前では角を立てず、不平不満は影で話す。
これまで出会った人に、表では優しいのに、裏では悪魔がいたが、このような自己防衛から生まれたのかと思った。それを知ると裏表がある人物は、悪意ある人間ではなく、生きる術かもしれない。

ただそれでも本音を言えない偽物の自分で生きていくことは、もっと苦痛になりはしないのだろうか。
………………
「だって、りりいちゃん、食べてくれないんだもん。」
そう言って元彼は料理を全くしなかった。確かに、元彼のご飯は美味しくない。そして私は、一所懸命作ってくれた料理を正直に、
「イマイチだねぇ。」
と言う。ただ、私の見様見真似で頑張って料理してくれる姿があまりにも可愛らしかったから、
「真似っ子、可愛いね。」
と言う。そうすると元彼は喜んで、
「そうなの。だから今度から料理は一緒にやろう。」
と話す。私はその可愛らしい様子を見ることができ、満足だと思った。

嘘でも美味しいということは、二人の関係に行き詰まりが生じてしまいそうで出来なかったのである。
………………
しかし、同僚によると、
「家族が、夫さんのご飯、美味しいと言っていたよ。」
と伝えるそうだ。たとえ美味しくなくとも、他の人が美味しいと言っていたと言うことがポイントで、それから夫が料理をしてくれる様になったと言う。

このように家庭でも仕事でも本音と違っても、相手が喜ぶことを伝えるそうだ。
きっと思いやりを見せることで居心地の良い環境を作る、生きていく術なのだろう。
……………
私はこれまで本音で生きてきたがため、裏表を見るとズルいとか、故意ある悪意のある人と思ってきた。
しかし、故意ある悪意ではなく、自分の心を保つ、円満な社会生活のためであったりもする。
もっとも私には、そのノウハウがなく、本音と違う感情表現は自分自身が辛くなってしまうから良い人で居続けるのは難しい。だから、私が女優としての生き方を真似るわけではない。

としても、表と裏の顔が違う人がいても、悪口で他人をコントロールする悪人と決めつけることは、もうないと思う。

裏表の顔を持って生きるのも、本音で生きるのも、同じく、安寧を保つためのもので、
他者を自分の思い通りにしようというコントロールのためではい場合もあることを知った。だからそうゆう生き方もあるのだと、理解していきたい。
そう思うと、今、私の周りにいる苦手な人も、実はズルい人格ではなく非難から身を守るための護身術を使っているように思う。そのことに気づくと、「護身術を使わなきゃやっていられないよね、分かる。」とも思う。
そうやって人を見るうちに、ズルい人と敬遠していた相手が、賢い人にも見えてくる。そして、そんな人のことも受け入れて、仲良くやっていけそうだと思う。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)