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ネゴシエーター〜学内トラブル交渉人 第1話 犯罪者にされた少年

【あらすじ】300文字
警視庁所属のネゴシエーターだった輝咲勇作は、立て籠もり事件という凶悪犯罪の犯人にさせられた少年の手から銃を手離させた。この仕事を最後に、事件を未然に防ぐ為の交渉人という新たな道を拓き歩み始める。犯罪がないから、複雑多様な出来事のどこに焦点をあて誰に交渉すべきか分からない。それでも諦めず一人一人の人生を切り拓いていく。別れても愛して欲しい元彼氏から離れ少女が夢に邁進できるように。理不尽な要求を突き付ける義務教育から少年を開放し伸び伸びと才能を発揮できるように。金でも、権力でも、暴力でもない。言葉で人を救えるか?子供達が活躍する場を提供するため、先見の明と話術で難題を解決する輝咲の挑戦が始まった。

【本編】

「おい、ネゴシエーターはまだか?」
山中里志(やまなか さとし)警視監が怒声を浴びせる。

 同級生3名を人質に立て籠もりをしているのは、佐倉中学3年5組の真中駆(まなか かける)、15歳だ。駆は3Dプリンターで作成した銃を発砲した。それが壁を貫通し、弾が壁下に転がった。

 子供が加害者で被害者。安易に突撃は出来ず、策が見つからない。未成年者の犯罪ということで、報道関係者を払うことにも手が焼ける。だから急いで開放したいが、駆を刺激すると人質の命が危ないから急げない。彼の手から銃を離すにはどうしたら良いか。大人よりも繊細で、傷つきやすく、突発的に動く子供への交渉は経験とノウハウが必要だが、多くの者が未経験。特殊事件捜査係はネゴシエーター、交渉人の到着を待っていた。
……………
 「おい、勇作はまだか?誰か、縛って連れてこい!!」

 山中警視監同様、そこにいる一同が輝咲勇作(きざきゆうさく)の到着を待つしかなかった。

 「嫌です。僕は働きたくありません。」
 男性2人に抱えられながら連行された勇作は、「働きたくない」と言いつつ駆についての捜査資料を読んでいた。勇作は椅子に置かれた。

 「これ、酷いよね。駆君じゃなく人質の大曲令太(おおまがり れいた)、小林茂雄(こばやし しげお)、山本薫(やまもと かおる)の3人が危険人物だよね。」

 誰にという訳では無いが、勇作は捜査資料の内容への感想を口にした。山中警視監は、そこを見落とさない。勇作が「帰る」というと面倒なので、何とか円満に捜査に引きずり込みたいのだ。だから、
 「勇作、疑問点はどこだ?」
と、即座に聞く。

 「うーん。加害者3人よりの資料なんですよ。時系列を組み換えている気がするなぁ。」
 腕を組んで上を見ながら一度目を閉じ書面に顔を戻す。
 「例えばね、ここ。大曲令太が駆に挨拶を無視されたから、『挨拶を無視するなんて人間じゃない。耳なしゴキブリ。』と言った。ってあるでしょ?」   
 勇作は、山中の顔を見る。山中は、直ぐに書面を覗く。
 「きっと、逆だな。大曲令太が日頃から駆の悪口を言うから、駆は逃げていたんだよ。それでも追いかけて挨拶をしてきたから怖くて無視したら、大曲が駆をゴキブリって言った。って思うんだよね。」

 勇作は当該箇所を指で追う。山中は「何故か?」ということを問いたかったが、なんせ今は切羽詰まっている。だからその言葉の代りに、
 「駆本人に聞いたらどうだ?」
 と言った。

 「嫌だよ。もう仕事辞めるの。」
 勇作の回答後、山中は直ちにマイクをオンにした。勇作が交渉の席に就いてくれなければ、4名を解放するには強制突撃とならざるを得ない。否が応でも勇作の力が必要なのだ。

 「駆君、少しだけ話をさせてくれ。今、新しいおじさんに代わるから。」
 と言って山中はマイクを勇作に回す。駆の返事も勇作の返事も聞かない。それでも2人の会話が始まる。
 「これで本当に辞めてあげるんだ。」そう思いつつ勇作は、マイクを握った。
 
 「僕は輝咲勇作です。おじさんではなくお兄さんです。駆君、これは辛かったよね。大曲令太達からのいじめはいつから始まったの?」

 辺りは静まり返る。親が我が子を心配して話す、家庭での会話のような包容力のある穏やかな雰囲気が漂う。そこへたまに聞こえるプロペラの音が、家族での会話ではなく、立て籠もり事件がリアルであると知らせる。
駆の回答はない。

 「僕に届いた捜査資料ね、酷いの。酷いというのは、真実を正確に反映していないという意味でね。きっと時系列が組み換えられている。さらに、どうでもいい小さい出来事を過大評価することで、被害者を加害者にすり替えようとしたんじゃないかなぁ?僕は、大曲君、小林君、山本さんを侮辱罪と傷害罪で告発したい。だから駆君と話したい。未成年だから処罰がどうなるかは分からないけど。駆君から本当の出来事を聞きたい。少しだけ話をしてよ。」

 山中を始め、現場で指示を待っている周囲の者たちは両手を組み祈っていた。誰もが真中駆も人質3人も助けたいのだ。

 「輝咲さん?何で酷いと思うの?」
 駆が口を開いた。駆が勇作に歩み寄りを始めたのだ。
 駆と同じ疑問は山中にもあった。「是非聞きたい。」と思った。

 「駆君の主張は出来事についてだけで誰の性格も悪く言っていない。でもね、3人の主張は、違うんだよ。駆君の人格非難の悪口なの。何故かと言うと、駆君が彼らに対して何もしていないから、3人は駆君が悪いことをやったとの主張できない。だから駆君の人格非難の主張しか出来なかったんだろうね。」

 山中は捜査資料をパラパラめくった。確かに駆は一切の行為をしていない。駆の行為は助けを求めること、逃げることに一貫し3名に何の行為もしていない。
 何も言わないと、何を考えているか分からない人と思われる。だから何を考えているかを知りたくて、何も言わない人間に興味を持った人が嫌がらせをする。
 嫌がらせをされた人間は、嫌がらせを我慢すれば何を考えているかわからない人として危険人物扱いされ、相手にされない。また被害を訴えると訴えた人がいじめられて良い人格の者として扱われる。
 結局、いじめの加害者が増えていくだけで、一度始まったいじめは収集がつきにくい。

 3人は駆に興味を持ったが、駆に興味を持ってもらえなかった。それを「面白くない」と思い、駆がやり返さないのをいいことに居場所がなくなるまで悪口や嫌がらせで追い詰められたのではないだろうか。と山中は思った。

 沈黙。これまで大人たちから言われていた「思い込み」「大したことない」「妄想」との言葉が、駆が口を開くことを躊躇わせた。

 スピーカからは駆の息だけが聞こえる。だから、勇作は言葉に出来ない思いを感じた。
 「駆君、僕は駆君の言葉を信じたい。そして3人を逮捕したい。駆君の言葉で伝えてみてよ。僕は何度でも聞くよ。」
……………
 ネゴシエーター、交渉人は犯人の要求を聞く。しかし、勇作の手法は逆で自分の要求を犯人に話す。今回であれば「3人を逮捕したい」と。画期的で斬新なこの手法が巧みかつ、秀逸であり、これまで感動のフィナーレを迎えること数多。

 だから、事件を初めて解決した時から山中は、勇作の物事に対する理解力の深さが、要求を伝える技術力になっていて、要求する能力を故意に操っていたと考えていた。

 しかし、勇作の手法は技術力ではなく、ターゲットと本音で向き合っていることから導かれただけのことだったのだ。技術力で働くならば与えられた仕事に合わせて使うことが出来る。しかし、本音で向き合ってしまうと、「技術力を使おう」ではなく「人とより本音で向き合える場所に行こう」となる。
 つまり、ネゴシエーターとしての技術力を磨いていこうというのではなく、「本音で人と向き合い望む現実が得られる場所で生きていこう」となり、そこが事件解決の場面でなくなれば、飛び立つことになるのだ。
 より自分に適した場所を求めて。

 本音で犯人と話し、自分の心と向き合い続けてきた勇作は、自分が求める現実に行き着くことの出来る他の場所を求めてしまったのだろう。

 山中は事件に集中すればするほど、「これが最後」どの言葉が浮かぶ。
……………
 「駆君はどうしたい?」
勇作はようやくターゲットの要求を聞いた。

 「消したい。」

 駆は間を置かずに告げた後、立ち上がろうとした山本に銃口を向けた。そして1つの銃声が響いた。「ひゃー」との悲鳴とともに当たるはずもないワゴン車内の山中達は伏せた。山本を狙った弾丸は逸れたが、人質3人は声が出なくなった。

 「僕も3人を消したいよ。だけど駆君は消したくない。」
 勇作は普段通り、声に抑揚なく、銃声にも怯えずに話した。

 「嘘だ。」
 駆は、短く応える。「本当に?」との思いを認めたくなかったのだ。「助けたい」と言って助けてくれた大人は未だかつていなかったから、駆は、信じる力を持てなかった。

 犯罪にまで行き着いた駆を思うと勇作は、駆が自分の言葉をすぐには信じられないことは、当たり前だと思った。だから、なんとなく、自分のことを話す。
 「本当だよ。僕ね、駆君と会ったらこの仕事、辞めようと思うの。ほら見て、新しい会社作るための登記と退職届。」 
 勇作はカバンから取り出した2枚の紙を両手で1枚ずつ持ち、ひらひらさせた。
 山中は、最後だと確信した。

 「見えない。」
 駆は対話を辞めることを選ばなかった。駆は、普通に生きていきたかったのだ。戻りたい気持ちが無意識に対話を継続させた。

 「じゃあ、テレ電する?LINE交換して写メ送る?ちゃんとあるよ。」
 日常会話と変わらない口調で、勇作は駆に提案した。

 駆は迷ったが、スマートフォンはポケットにある。銃を離したくないからテレビ電話もLINE交換も出来ない。だから時を稼ぐために次の質問をした。

 「何で辞めるの?会社。」
 駆が勇作に問う。
……………
 勇作は警視庁所属のネゴシエーター。安定している公務員であるにもかかわらず、仕事の裁量が大きい。求めされる交渉は個の能力によるところが大きく、縦割りの圧力からストレスレスである。辞める必要はないと考えるのが一般的だろう。

 警視庁にネゴシエーターが入って7年。10年程前から物価高騰に伴い人質を取って政治的要求をする犯罪が増加し続けた。その誰もが犯罪者になりたかったわけではない。生きていくために犯罪者にさせられた人たちだった。そんな彼らは人の命を奪う意思も勇気もない。ただ食に困っていただけなのだ。

 だから誰も傷つけずに要求を政府に伝えることのできる立て籠もり犯罪に手を染める。なんとか犠牲者を生まずに解決したい警視庁には、2025年にネゴシエーターの設置が義務付けられ、7年が経過した。

 輝咲勇作は生え抜きの一期生だが、この一年何度も何度も「引退」「退職」の言葉を出すようになっていた。
……………
 「僕ね、犯罪をしなければならないところまで詰められた人が、社会で生きていけるように話しをするのがネゴシエーターだって思っていたの。それが、人生を詰められた人を悪人として扱って、言葉巧みに言いくるめて、刑務所に送るのがネゴシエーターの現実だったの。誰もが犯罪に至らず社会で生きていけるために交渉する人がいたらいいよね。」

 駆に伝わることは難しいかもしれない。しかし、届いて欲しい。犯罪を未然防止できる交渉人になりたいというのが勇作の本音だろう。

 そして、勇作の本音を山中は気づいていた。山中もリアルを見ては、何も出来ないまま片付けてしまい、事がなかったことにしてきた。そう、どれほど多くの人が犯罪をさせられてきただろうか。
 虐待から逃れるための暴行。
 いじめから逃れるためのいじめ。
 罵倒と脅迫から逃げるためのネットへの書き込み。

 きっと、勇作の言うように犯罪を犯す前の段階で交渉できるネゴシエーターがこの国には必要なのだろう。
 山中は分かっていながらも、抑えられない、消すことができない虚無感で、無表情でいることがやっとだった。
……………
 駆からの返答はない。難しい説明だったのかも知れないし、駆は何かを考えているのかもしれないと勇作は思った。ただ対話を止めたくなかったから、  
 「駆君、この話はイヤホン?スピーカーホン?」 
 と、駆が簡単に回答できる質問をした。

 「前者。」
 駆は会話が3人に漏れないように伝えた。勇作はそこを見落とさない。
 「そっかぁ。じゃあ2人だけの話しをしよう。僕は駆君に学校で遭ったことを知りたい。今ね、資料があるの。読むから間違えを教えてもらえないかな?」
 と「ハイ」又は「イイエ」の二択で回答出来る質問をした。

 「ヤダ、もう聞きたくない。」
 駆は、拒否する。

 「そうだよね。そうだよね。」

 勇作はそれ以上、何も言わなかった。しかし、今度は駆が沈黙を嫌った。

 「言ってどうすんの?」
 駆が聞いた。

 「次は小林茂雄のことを聞きたいから、読みたいんだ。僕はこの人を名誉毀損罪又は侮辱罪で駆君に告訴してもらいたい。そのための真実を知りたい。」

 さっきの発言と矛盾しない勇作の回答に駆は少しだけ勇作を信じることができた。「この人は僕に揺さぶりをかけない」と思ったのだ。だから、話を聞くことにした。そして、

 「分かった、少しだけ。」
 と応えた。
……………
 勇作は一部を抜粋し読み上げる。

 「2031年12月17日水曜日。去年のことだね。読むよ。」
 駆はその日のことを脳裏に浮かべた。勇作は続ける。
 「小林茂雄が学校内のポスターを広げてみんなに見せた。そのポスターに在った山本の顔写真に落書きがされていた。証拠はないが、このような落書きをするのは真中駆しかいないとし、小林茂雄がクラスの全員を呼び集め、真中駆を囲い、殴る蹴るの暴行を加えた。その後、高見先生が暴行を止める。真中駆にけがはなし。真中本人は、『反省している』と言う。喧嘩両成敗で事なきを得た。」

 勇作が話した後、駆は直ちに、
 「違う。僕は何もしていない。ポスターを見たこともない。存在も知らない。ポスターが何のポスターかも知らない。一方的に殴られて、肋骨にひびが入ったんだ。」
 と否定した。

 「肋骨にひびが入ったのはいつどうやって分かったの?」
 勇作が聞く。

 「お風呂に入ったとき、痛すぎてすぐに上がって、病院に行った。」
 駆は即答する。

 「病院の先生は何か言った?」
 勇作がさらに問う。

「学校に手紙を書いてくれたけど、学校から返事はなかったって言っていた。」
 駆は、直ちに応える。

 「主犯格が小林と大曲で違いない?病院の名前は?」
 勇作は必要事項をてきぱきと聞いていく。
 「うん、でも、他にも沢山いる。芦田整形外科に行った。」

 駆はひとつ残らず答えていく。その間に仕上がったのだろう。山中警視監が勇作の前に一枚の紙を置いた。

 「駆君、告訴しますか?告訴は口頭でできます。僕が来る前に話した山中おじさんがここに告訴の内容を記した紙を書いてくれました。」

 日頃から、勇作と山中は何かを話すわけではない。しかし、山中は無骨の賢者というにふさわしく、勇作の思いを直ちに把握する。さすがずっと勇作を側に置き、勇作を守りながら、警視監にまで上り詰めただけのことはあった。

 「嘘だ。」

 駆の声が震える。信じてよいものか、分からないが信じたい。しかしそれが出来ない。

 勇作が静かに話し始める。

 「駆君、僕ね、今日でこの仕事を辞めるでしょ。そしたらね、学校で起こった悪いことを悪の芽が小さいうちに解決する交渉人になろうと思うんだ。もう被害者に犯罪を犯させないように直ぐに解決する。そのために道玄坂のオフィス借りたんだよ。遊びに来てよ。僕と会うために交渉してよ。」

 勇作は、駆が信じたくても信じられない思いがよく分かる。

 「交渉?」
 駆が問う。

 「大曲、小林、山本の3人を必ず告訴する。だから、駆君は、警察の人に何をされてきたかを話すんだ。話して苦しい思いを乗り越えて欲しい。山中おじさんが味方になってくれる。どうだろう?」

 駆は声が出ない。小さく、「う」っと涙を飲んだ音声が聞えた。山中はそこを逃さない。しかし、大曲と小林も逃さなかった。
……………
 「犯人の命を最優先に守れ、突撃。」
 という山中のマイクに向かった声と同時に、大曲と小林も駆に突撃した。

 汗でぬれた手から滑り易くなった銃を大曲が奪い取ろうとして、銃が床に転がった。床に転がった銃を駆が蹴り飛ばし、大曲が追いかける。その間に小林が駆に馬乗りになり、

 「こっちだ、撃て!」

 と大曲に声をかけた。機動隊が階段を駆け上がる足音がする。銃を拾った大曲が一発、撃ったが大きく反れて尻もちを付いた。

 「何だこれ?」

 大曲は一瞬銃を見た。逸れた弾丸は山本に当たり、彼女の右腕を貫通した。しかし、大曲は山本の怪我に興味はなく、心配もしない。

 「うまく撃てないよ。茂雄、真中を壁にして立って隠れてよ。」

小林と密着している駆だけを狙えるか分からなかったから、立ち上がるように提案した。

 「無理だから、至近距離にきてよ。俺にあたらないようにしてくれよ。こんな奴は早く死んで当然だけど。」

 小林の陽気な声で、居場所を特定した機動隊が教室に入った。
 構わず銃口を駆に向けた大曲の右腕に機動隊が体当たりし、銃は机に当たって落下した。

「怖かったです。助けてくれてありがとう。」

 跪いた大曲が突撃隊を見上げて伝えた。彼は怪我をした山本に振り向きもしない。人を刺すような冷徹な目と裏腹に、口から恐怖を伝えることのできる大曲の人格が恐怖だった。

 「大曲令太、傷害の罪で現行犯逮捕する。」

 「小林茂雄、暴行の罪で現行犯逮捕する。」

 「真中駆、銃刀法違反で現行犯逮捕する。」

 「は?」と言う大曲と小林の反応を余所に、2人には手錠がかけられ、駆と山本の2人は救急車に乗せられた。
……………
 今日に至るまで3年間、駆へのいじめはエスカレートしていった。
 駆がトイレで用を足していたところ、小林茂雄とクラスメイトの菅原に催涙スプレーをかけられたことがあった。それまでも暴行や付き纏い、誹謗中傷があったが、高見先生に相談しても相談した駆が怒られることばかりだった。
だからこの日から護身用に銃を持ち出すことにした。

 そして、今日の放課後、使う場面が起こったのだった。

 駆の机の上に班紹介のポスターが置かれ、駆の名前に画びょうをいくつも刺された。

 「駆ってさぁ、何やってもやり返さないよね。精神障がい者なの?うけるわ。次は手に刺してみてよ。」

 山本が机の上に腰を掛け、両足をぶらぶらさせながら大曲に言った。2,3歩後退りした駆が、机にぶつかった。小林が首を掴んで引っ張った。駆は「辞めて」と言って、小林の手を振りほどこうとしたが、上手くいかない。腹ばいになった駆のズボンを脱がせた大曲が駆の太ももの間にタバコ何本か挟んで火をつけた。

 「ホタルじゃん。歌えよ!」

 大曲の声の数秒後、火の粉が落ち、悲鳴を上げた駆が立ち上がった。それと同時に火災探知機が作動し、校舎にサイレンが鳴り響いた。放課後ではあったが何人かは校内に居た。その者たちは校庭に逃げた。駆は3人が一瞬戸惑った隙にカバンから銃を取り出した。「来ないで。」と言ったにもかかわらず近寄ってきた3人には向けず、壁に向けて1発撃った。

 「やばっ。こわっ。」

 「ほっほっほーたるこい。」と歌う山本の声に混じり、大曲が言った。その後、3人は目を合わせるなり、今度は3人が後退りした。駆は、銃口を小林に向けて威嚇し、教室を密閉させ、結果、立て籠もる事になったのだった。
……………
 病院に運ばれた山本は重傷だが命に別状はなかった。小林に馬乗りになられた駆は、打撲と火傷で全治1週間の怪我だった。

誰も死ななかった。

……………
 ワゴン車内の全員が汗だくで腰を落とした。それと同時に顔を上げ勇作に振り向き、再度立ち上がって拍手を送った。
 喝采の中、勇作は、開放的な笑みで退職届を差し出す。

 「お世話になりました。」

 山中に渡した。

 山中は、分かっていた。勇作はここにいる器の人間ではなかった。警視庁という狭い世界では勇作の能力は使いきれなかった。もっと大きな世界、とりわけ犯罪の未然防止という未知の領域に行ってしかるべきだろう。自分は他に行くところがない。組織に執着し留まるしかなかった。

 「名刺くれよ。」

 山中は他の言葉が思い浮かばず勇作に頼んだ。勇作は新しい名刺を1枚置いた。

 「道玄坂か。」

 何を言っていいか分からなかったから、場所を読み上げてみた。

 喪失感とはこの空虚な感情をいうのだろう。勇作の思考を想像し、準備し、行動する。思いがけない言葉で犯人に交渉をする勇作の傍にいるのが楽しかった。もっとも犯罪を喜んでいるのではない。丁寧で美しい仕事をする勇作に惚れていたのだ。だから7年も手放さず、離されることもないように側にいた。勇作がいたから仕事が楽しみだった。

 「いなくなるのかぁ。」

 山中は、満面の笑みで勇作を見て、肩を叩いた。幻のごとく過ぎ去る勇作に涙を見せないよう、速足でワゴン車を降りた。本当にいなくなるのか。心の中に言葉は浮かばず、代わりに涙で一杯になった。生きている次元が違う。だけど一緒に居たかった。

 夕闇が山中の表情を掻き消し、皆に挨拶したのち、勇作は静かにワゴン車を降りて歩みを進めた。

……………
翌日。

 渋谷、道玄坂。太陽光が眩しく目をそばめていたから、気づかなかった。目の前に、17、8歳くらいと思われる少女が立っていた。

 交渉人、輝咲勇作の新たな仕事が始まる。これからは、犯罪に手を染めなければいけないところまで追い込まれる人をなくすために交渉する。

(ネゴシエーター~学内トラブル交渉人
       第1話 犯罪者にされた少年 了)
第2話

第3話


第4話


第5話

第6話

第7話

エピローグ



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