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致死量の悔恨 第2話 結婚式の前に(上)

一、

真っ白な空を映したかのような花びらが、一斉に開花する。春を待てずに粉雪の中、満開となった。
寵愛を望み、手に入れたために、箱の中に沈んでいった。底なし沼の中に居座ったのが桜子(さくらこ)自身の意思であるのに、空を自由に駆ける桜景色はここから出たいとの希望を掻き立てる。

届いたメッセージが結婚の連絡だったから、桜子は、驚いたとともに、安堵した。こんなに喜ばしい連絡が人から来るのは久しぶりだった。3ヶ月前に会った時には、「37歳彼氏なし」と言っていた芽衣(めい)が、ようやく春を迎えたのだから。
聞きたいことが次々に浮かぶ。15歳の頃からの友が選び抜いた夫は、どこの誰か。桜子は立て続けに、
「芽衣のお目に叶った御曹司はどこぞのお方?ドレス姿、楽しみだわ。慶んで参列します。近いうちにランチしようー。」
と返信し、スマートフォンを閉じた。

仕事を辞めて半年。10年以上も勤め上げた営業職から離れて着いた先は、家族の家政婦の様な場所だった。泣こうとも喚こうとも、我が子は可愛い。試しに目に入れてみたが、痛くなかった。しかし、1日中、檻の中にいると、感覚が鈍ってくる。
5歳の息子、良太郎(りょうたろう)にマナーがなっていないと、怒鳴りつける夫、有太(ゆうた)に始めこそ「子供に大切なのはまずは食べることで、マナーじゃないよ。」とは言ってはいた。しかし、今や良太郎を守る考えが間違えているのではないかと思う。自分の理想通りの生き物にしようと、朝から夜まで良太郎の行動を支配し、スケジュール表を作る。そんな有太の傲慢さの壁となり、「今、何を学びたいか」を良太郎自身に判断させ、その意思を尊重するために仕事を辞めたのに、守ることから諦めた。貝になれば、心が削られることがなくなり、楽になった。
「今日は英語の勉強やりたくない。」と言う良太郎を後ろから抱えて机に向かわせる有太に、「良太郎の気持ちを聞いて。」と言うことを辞めた。そうすると、意思を伝えていた自分がおかしかったのではないかと思うようになってしまった。

そんな生活は、楽ではあったが違和感を持たずにはいられない。本音とリアルの違いのしわ寄せを解消するために殺した心が、窮屈だと吠える。吠えた感情がニキビや湿疹となり、体重は6キロも減った。
しかし、芽衣のおかげで暫しここを離れることが出来る。そう思うと、今日1日だけは、子供を夫から守ろうという意欲が湧いてくる。

「参列します。」
という桜子の返事に、芽衣は、「きっともう会えない。」と感じた。だから参列するとのメッセージとともにきた、ランチの誘いに乗ることを躊躇った。ランチをしてしまえば、本当に桜子とは最後な気がしたのだ。
挙式まで、残りわずか2ヶ月。芽衣は、桜子との関係が結婚式まであるように、「間に合って。」と、その後も何度かあった桜子からのランチの誘いをスルーすることで挙式当日に会えることに願掛けした。

東京は桜が満開になった。しかし、満開の日は長くは続かず、強風に煽られ、夢のひと時のようにあっという間に散ってしまった。白い空の下、白みがかった花びらたちが、一斉に舞っていく姿は、大木から解放された自由に見えた。

日曜の挙式まで後3日。札幌から来る親族を迎えに行く途中で、それは起った。
「挙式、欠席します。直近で会えないし、3万円払うから住所教えて。」
メッセージアプリに届いた言葉に、芽衣は、「あー、そうか。」と思った。だから、心の中でいつの間にか準備していた思いで返信した。
「ドタキャンは流石に迷惑です。こちらから代わりの人を呼ぶ時間がないので、信頼できる大切な方を代役にして下さい。」
と。
メッセージを読んだ桜子は、「面白くない。」と思った。「じゃあ、芽衣が良太郎のお世話か有太のお守りをしてくれよ。」と湧き上がる苛立を隠せない。
「私の祖母が亡くなったので札幌にいます。土曜にお通夜、挙式の日曜はお葬式です。旦那であれば代わりに出席します。」
と送ってメッセージアプリを閉じた。
「誰も自分の気持ちを分かってくれない。」そう思うと、涙が止まらなかった。

辻褄が合わない。
札幌では一般に「お悔やみ情報」が新聞に載るが、桜子の祖母の名前がない。
広告しないことは滅多にないが、仮に家族葬で広告しないのなら、家族の都合に合わせて葬儀を実施するから、芽衣の結婚式がある日曜は外すだろう。
そして、何より日曜は友引だから、火葬できないのが通常のはずだ。

芽衣は沢山湧いた疑問を封じて、
「同年代の女性を代わりにお願いします。」
と送り、スマートフォンを閉じた。そうしなければ、怒りをぶつけ、2人の関係が修復できないところまでいくと思い、怖かったのだ。

「晴れ女だから、写真撮影は外でお願いします。」
と言っていたほど、晴天に恵まれることの多い芽衣だったが、晴れの舞台の頭上には重い雲がのしかかっていた。「降らないで。」と思いながら、挙式前の写真撮影に及ぶ。真っ白なウェディングドレスが、雲と一体になり、白い空の下、コロコロ表情を変えながら走り回る芽衣の姿は、まるで天使の様であった。

あの後、
「業者を呼ぶ。」
と言い出した桜子に、
「人生で一番大事な日を潰す気?」
と芽衣が電話口で激昂し、2人の関係は収拾がつかなくなった。ただ、怒りの渦に飲まれても、芽衣は桜子の「葬儀」と言う発言を信じている体は崩さなかった。桜子の嘘を信じるというのが、芽衣が取れる精一杯の優しさだったのだ。

笑ったり、すましたり、俯いたり、様々な表情を作ってはいるものの、これから始まる披露宴に桜子が来てくれるかということで、芽衣の心はいっぱいいっぱいだった。だから、
「写真撮影終わります!」
とのカメラマンの一声に、ドッキリした。始まってしまう。桜子の席はどうなっているのだろうか。曇り空に後ろ髪を引かれながらも、大きくドレスを持ち上げて、前進した。

「ゴーン」という大きな鐘の音がなり、結婚行進曲で入場した、入口の一番近いところに、頬が痩けて、虚ろな表情を浮かべる桜子がいた。その姿を見ると芽衣は涙が止まらなくなった。止まらぬ涙は披露宴でも続いた。芽衣には、桜子が「おめでとう」ではなく、「サヨナラ」を伝えに来たのだと感じたのだった。
桜子が視界に入らないよう気を配っていたせいで、芽衣は自分の参列者の方を見ることが出来なかった。「桜子のせいで楽しめなかった。」と思った。

「芽衣のせいだ。」と思った。
数々の祝辞を聞きながら、今頃、可愛い息子、良太郎は有太の下にいると思うと、怒りがこみ上げた。正座を強要し、使用後のおもちゃを直ちに片さなければ、投げつけ、「拾いに行け。」と恫喝する有太といる良太郎の泣き声が聞こえる様であった。30分でも1時間でも、箸の持ち方を指導し、食事にありつけない、そんなことになっていないだろうか。
怒りを飲み込むために、ご馳走を飲み込んだ。桜子は、固形物を座って口にしたのが久しぶりだと感じた。座って、食事をすることは、いつぶりだろう。「美味しい。」アーティチョークのブルーテ ロブスターフレンチトースト添えという、見た目も華やかなロブスターが、ほっぺが溶けるほどに美味しかった。

隣の席に座っている同年代の女性が、
「桜子さん、お綺麗ですね。」
と話しかけてくれた。その時、久しぶりに自分が自分に戻った。働いていた時は当たり前に周りの人に配慮し、人当たり良く出来ていた。心の中のモヤモヤを見ないで、人を見ていた。今の自分はそれが出来ていない。しかし、周りは春の空気のように、刺々しい桜子の心を包んでくれた。
「人はなんて優しいのだろう。」と感じた。

だが、芽衣を許すことは出来ない。

あっという間に時が過ぎた。桜子は、花びらで埋まった道を歩く。
桜子は久しぶりに同年代の女性と話をした。話しかけてくれた隣の席の子にはじめこそ、
「芽衣とは、最近会ってない。」
と冷たく返したが、その言葉に柔らかく微笑んで、
「昔からそんなにしっかりされていたんですか?」
と言う優しさに心が丸くなった。桜子は、楽しかった。

存在を忘れていたスマートフォンを見ると、そこには母親からのメッセージがあった。
「おばあちゃんが亡くなったから、直ぐに帰って来て。」
と。

「おばあちゃんが亡くなった?先月、元気だったじゃん!」
母親に思わず電話をした。
「そうね。きっと桜子が、『祖母が亡くなった』って芽衣ちゃんに嘘を吐いたから、亡くなったのよ。」
と返す。母親には、全てお見通しだったのだ。桜子は頭が真っ白になった。人の命の灯火を消すなんてそんなつもりじゃなかった。「だって、葬儀なんてよくある嘘じゃん!」
嘘をつかなきゃ、守れないじゃない。そう思えば思うほどに、花びらの中に、埋もれた足が、前進を止めていた。

致死量の悔恨 第二話 結婚式の前に(上)了

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