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生命の躍動のままに「寝返る。立つ。歩く。走る。跳ねる。踊る。」

こんにちは!
(株)TENARI代表・ippon bladeボディーワーカーAyari✼です。
私のことはこちらに↓

昨日は、「イロトリドリ〜あなたの知らない浜松注染の世界〜」で日本舞踊・龍邑流と舞踊家の大前光市さんの舞台で、端唄「京の四季」を踊らせていただきました。

観に来て下さった皆様、本当にありがとうございます。
日本舞踊を始めたばかりにも関わらず、この度も貴重な機会をくださった師範の龍邑桃先生に心より感謝です。


私の人生に踊ること、表現することが入ってきて、また新たな気づきをたくさんいただいています。

一つは、踊ること自体も「生命の躍動」であり人間の本能であった。っということに気づかせていただけたこと!

これは、ものすご〜〜〜〜く大きな感動の気づきでした。
しばらくこれだけで、幸せな余韻のまま生きていける!笑

例えば、生物たちの求愛のダンスも母と子のじゃれ合いも、人間が大自然に祈り舞うことも、踊りのジャンルや形という以前に「本能」として生きとし生けるものすべてに例外なく組み込まれた機能だったのだ!と。

寝返る。立つ。歩く。走る。跳ねる。踊る。

その全てが、身体の欲求であり、何かが鬱積することなく巡られていることでバランスが保たれる。

(もっと細かく本能の動きを上げだすと、食べる、排泄する、などたくさんあるけれど動きに絞って例えます。)

「寝返る。立つ。歩く。走る。跳ねる。踊る。」っと言うと、何か一つずつ全てをタスク処理みたいに運動や体操や形にして、どれをどれだけこなすとか、どこまでできたら走れたこと、踊れたことになるとか、面倒な質問がきそうですが、私が感じていることは全く持ってそういう話ではありません 笑!

全てに境界線がなく、子供や野生動物たちのようにゴロゴロしたり、動きたくなったら立ち上がって歩いて、野原が広がっていたら走り出し、じゃれ合いふざけ合っていたら、その姿はまるで踊っているように見える。

そこは全てがシームレス。

私は、ただそのシンプルなことに気づくために、随分といろんな体験を踏んできたんだなぁと。

それらの動きが自然と循環し流動することで、自律神経のリズムが整い生命としてそれ以上でも、それ以下でもなく、持っている生命力を惜しみなく活かしただ生きている状態になるのだと。

これまでの時代は「自分に強みを持つ」ことが個性とされていた時代だったから、何か一つを特化することを求められてきました。

でも、そうすると「本当はこうしたい」という部分は消化されないままに鬱積し、長年抑圧されたままの本能の一部分は、どこかで腐って病気になったり、暴走したり、精神を壊したり、身体の凝りや癒着になったり、何かしら不具合が起きてサインを送る。

人間はその時、その症状にびっくりしてなんとかしようと焦って行動する。

問題を抱えている自分を見たくないから、浄化や解放や痛みや症状や醜いと思う見た目をすぐさま取り去ることに躍起になる。

でも、一時的に部分の現象が良くなったとしても、また形を変えて現れてくる。

この3年間は、私は、全ての方法論、自然療法、それまで得てきた成功体験(に見えるもの)を手放して、真っ裸になって大自然の中に自分を放り投げて走ってきました。

まるで、野生動物のように・・・

そこで目にしたのは、自然の中の生物たちは、木々も動物たちも皆、美しくも見えるし、汚くも見えるし、ずるくて、自分本位で、わがまま。

に見える。(人間の視点だと)

でもだからこその畏怖畏敬を感じるし、本当の意味での調和が保たれる。

人間は人間の価値観で、汚い部分、自分本位なわがままな部分、現象化された不具合に対して、蓋をして綺麗な自分のみを切り取って「これが私なんです。」っと、自分を作り込む。

私も、長年、ずっとそうやってきてしまって、でも、自分の中に超汚い自分が燻っているのを大自然の中で気づいた時に・・・

なんだ、この自然の中の生物たちと同類じゃん!っと・・・笑

日本舞踊に私がこんなにも魅力を感じているのは、そんな汚い部分も唄や踊りで表現してしまうという懐の深さと面白さ。

そもそも、それが汚いとか醜いとか、だからダメとか、いつから刷り込まれていったのか。

そして、「疲れない動けるからだになるTENARIオンラインスクール」でやっていることも、同じ。

みんな、確かにこのスクールに入って走れるようになったし、生命として輝いている。

でも、それはSNSで見られる一面。続いていく道の一場面を切り取っただけで、まだまだドロドロしている部分があって、まだまだ硬いところがあって、まだまだめんどくさい人になったりする 笑!だからこそ、人間らしくてみんなが可愛い。

それは、私も全く同じ。なるべくみんなに対しては、そんな自分を隠さずにいようと心がけているし、時に先生ぶってしまった時は、自分の弱さからくるものだと気づくようにしています 笑!

要は、自分の全ての要素を面白がれるようになったら、最強だなって。

かといって、これもバランスで大きく失敗したり、誰かを傷つけてしまったり、怪我したりしないように秩序を保ち、小さく揺らぎながら、あれこれ起きる物事をエッセンスと捉え人生を楽しんでいく。

そのためには、振り幅が大きすぎたらそれどころではない。

力を抜いて、小さく揺らぎながら「余白」をつくってあげる。

今、TENARIスクールのみんなが、私が新しいことを始めたりチャレンジしても、何も不思議がらずに舞台を観にきてくれたり、新たな世界を楽しんでくれるのは、走ることと踊ることが隔たれたものではなく、シームレスなものなのだと自然と感じてくれているからかもしれない。

そんな風に、価値観が広いみんなが人として付き合いやすいし、それぞれが自立し、自分の人生を楽しんでいるから、彼女たちは本当に面白い。

臭いものに蓋をせずパカっと空けて、しっかり見つめて、なんならそれらを面白がって、人生を楽しんでいきましょう〜!

大人だって、子供や野生動物みたいに、自然の中で無邪気に遊べばいいんです♪

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<募集期間>5月20日・朝7時〜5月27日・17時迄

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