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TOEFL48からコロンビア大学院卒へ:きっかけ

昨日の自己紹介の投稿にたくさんの🤍ありがとうございます。(読んでいない方はまずそちらからどうぞ💁🏻‍♀️)

今日1日何から書こうか、と考えておりました。みなさんが気になっているのは、どんなことでしょうか。またコメント欄で教えてください。

私がアメリカに来る前に気になっていたのは、

  • 授業料のこと

  • 語学学校は必要なのか

  • どうやったら有名大学に入れるのか

  • 入学するのに必要なもの

など、です。

これらは、今の情報社会においては10年前に比べて簡単なのではないかなと思います。

私が言えるのは、英語力がなかったとしても、強い意思があればどんなことも成し遂げ遂げられる(Anything is Possible)、ということ。これは、スポーツにおいても何においても通じていると思います。私が証明です。

自己紹介の投稿でも書きましたが、私の留学前の英語力は英検2級レベル、TOEFL48、TOEIC600点台。私の卒業したUniversity of California Riverside(UCR) はTOEFL80、コロンビア大学はTOEFL103必要です。

10年前の私は、大阪に住む単なる15歳。Ivyリーグであり世界ランクが東大よりも上のコロンビア大学に行くことなど夢にも見ませんでした。

私がアメリカに行きたいと思い立ったのは、約10年前、私が中学2年生の時。思春期真っ盛り。親との仲も良くない中、家から出たいがために思いついたのがアメリカ留学。両親が許してくれるわけもなく、毎日殴り合いの喧嘩をし、無連絡欠席で学校では学年一、生活指導を経験しました。私学の中学に無理やり通わされ(地元の中学校が悪すぎて)ていたこともあり、高校もそのままエスカレーター。漢検、英検は学校の1貫行事みたいな感じで中学生の時から取らされていました(漢検は3級止まりですが)。

初の海外は、高校の修学旅行で行った、オーストラリア。その2ヶ月後に、カナダの語学学校に1週間ちょい行きました。その時感じたのは、私のしたい「留学」は遊んで終わり、ではないもの。カナダの語学学校で同じクラスに数人、大阪関西外大から交換留学できていた学生達。日本の大学からの交換留学ってこの程度なんだ、って思ったのがその時です。語学学校って授業料が結構高いんですよね。でも、単に英語を学んでお終い。私が目指していたのは、英語を使ってコミュニケーションを取る、英語で学ぶ。

もちろん、その後も親には反対されました。担任にも反対されました。帰国子女でもないのに「お前にはむり」。何回この言葉を聞かされたか。

親には、「この家には海外の大学に行かすお金はありません。日本の大学を出て、それでも留学に行きたいのであれば自分のお金で行きなさい。」と言い続けられました。

なので、塾に通い、日本で公募、センター試験、一般受験もしました。ただ私、どうしても国語ができないんです。第一志望校は、一応、同志社大学のグローバルコミュニケーション学部(通称グロコミュ)でした。グロコミュの公募は英作文があり、英語科の唯一信頼していた先生が、放課後、英作文を特別に見てくれていました。その時から英作文に対する抵抗がなくなったと思います。

英検で英語が免除され、国語だけで受験をした公募試験、落ちました(私の学校からは私だけ)。それ以降、一般も20万円ぐらい注ぎ込んで全部落ちました。ここまで来ると、親も必死。最後は、母親が塾に相談に行って、三次試験をやっている大学を見つけてきました。

それが、大阪女学院大学。受験し、奨学金が出たので学校についてなんも知らないまま、入学しました。一応、women’s global leadership(WGL)という特別プログラムをとっていたこともあって、ほとんどの教科の先生はアメリカ人。今でも先生と連絡をとるぐらい「行ってよかった」、と思っています。

1年間の交換留学もそのプログラムの売りでもあり、含まれていましたが、その当時の私は、どうしてもアメリカの学位がとりたかった。親には学校辞めるといい、母も「もう20歳になるし、勝手にしい。」と。ただ、お金を出すとは一言も言いませんでした。父親も「アホか、辞めてどうするねん。」と。父親は一応高校の英語教師ですが、高校卒業して正規留学に行ったやつは見たことない、と。そして、大学一回生の夏に勝手に退学届を出しました。

そこからは、バイトの毎日。週7で学生当時からしていたユニセフのファンドレイザーと夜は塾講師として働きました。ユニセフでの活動は一緒に活動していた方々が面白い経験をもった人たちばかりだったので、18歳の私にとっては色々と視野が広がりました。その中の1人に3ヶ月後にアメリカ留学に行くという1つ年上のお兄さんがいたり(彼もたしか日本の大学を退学してからのアメリカ留学でした)。同年冬にはリゾートバイトで、岐阜県の雪山の旅館で年末年始働きました。結局、その生活を約半年、2018年の3月中ばまで続けました。

次回、学校の見つけ方、受験方法、エイジェントは通したのか、語学学校は必要か、などまとめたいと思います。質問等ありましたら、コメント欄にてお教えください!

では、また。


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