アヤノヤ
文章力向上のための「毎日習慣」日々の気付き、決意表明、ニュースやスポーツなど頭の整理と備忘録です。
電車を待つ時間、お酒を待つ時間 「待つ」を楽しむライトエンタメ You Tubeのネタに困っていて朗読したい方、漫画のネタに困っていて作画したい方、気軽に声掛けてください。わたしも宣伝するのでいっしょにファン増やしましょ〜。
第1週と、第4週は兵庫県に行っていた。そして、わたしの書評が載った雑誌が発売された。積年の夢だ、すこしわたしが誇らしい。 最近は、いのちの使い方を考えている。 19のときにお客様から言われた「あなたに会えて良かった。明日を生きる活力になったよ」という言葉に感動して、飲食人を志した。こんなわたしでも人の役に立てるんだと思った。新卒で採用された会社では敢闘賞やMVPをいただき、21のときには店舗責任者に抜擢されていた。日本外食新聞のゲンバニンゲンで特集を組んでいただいたの
わたしは無宗教ですが、浄土真宗のため49日における「最後の審判」という思想はない。 そちらの暮らしはいかがでしょうか? 本日、49日を迎えます。 「エイトジャム」という日曜深夜のテレビ番組で、宇多田ヒカルの特集をしていた。 そのなかで、「マイクロキメリズム」の話がでてきた。 “子は母体と細胞を交換するため、母のなかには子の細胞が残る”という現象のことだ。 ならば、年子の姉妹であるわたしには、姉の細胞が組み込まれているだろう。 もともと霊感があるため、わたしに憑い
あっという間に、死んでしまった。 3月29日(土)は、茨城県に行っていた。姉は立っているのも辛そうだった。しゃがみ込み、大きなため息を吐く。累積したため息がどんどん酸素を奪っていくようで、息苦しかった。わたしは前日の夜に遅くまで麻雀を楽しんでいたので、すこし昼寝させてもらうことにした。 目覚めたら、姉は義理母と電話しているようだった。 その日の夜は、常陸牛のすき焼きで夕飯の準備をするのだけれど、心ここにあらずといった様子で、目に見えてポンコツを極めていた。何をしていい
「結婚しなくても幸せになれるこの時代にーー」 覚えているだろうか。 有名なゼクシィのキャッチコピーだ。あとは、「私は、あなたと結婚したいのです」と続く。 男女雇用機会均等法なんてものができたのは、わたしが生まれる少し前。1985年のことだ。「男は経済力」という時代から、「女も稼ぐ時代」に変わってきた。 それから、39年のときが過ぎ、わたしは母に養われている。 母が「一家の大黒柱になる」と覚悟を決めて正規雇用されてから、20年以上の時が経っている。わたしが子どもの頃
Twitterには、脳内で語彙の限りを尽くした罵詈雑言が止まらないなんて投稿していたが、そんなぬるい感情ではなかった。 腹部に灼熱のマグマを抱えていた。噴火しそうな噴火口を理性でなんとか引き結び、わたしは弁が立つから必死に我慢したんだ。 燻った火種が臓物を燃やし尽くし、怒りとして体内で暴れていた。それをなんとか宥めすかして耐えていた。弥生のわたしは、我慢の限界を迎えていた。 まぁ、プチ爆発を起こして、いまようやく鎮静に向かっているところだ。これから、復興がはじまる。
人間関係の悩みは尽きない。 4年間。閉じた世界で生きていたから、アルバイトを始めて増えた登場人物に困惑している。それはまるで連れてこられた動物のよう。 自分の匂いのついた縄張りに突然現れた超新星。もちろん警戒する。 警戒して過ごす時間は、同じことをするでも妙に疲れる。そうすると人間は、「どうしてこんなに疲れるのだろう」と考える。と、同時に「こいつのせいだ」と敵を作る。 そんなわけないのにね。仲間意識を持たなきゃと思えば思うほど、苦手意識に変換されるみたいだ。 そ
我々は、しばしばお客様との出会いを「奇跡」と呼びます。 今日はそういう覚悟のお話。 昔話です。その頃、わたしは東京都品川区にある荏原中延という土地で「宅飲み酒場アヤノヤ」というお店を経営しておりました。 ドリンク1杯300円、料理持ち込み自由という薄利多売も裸足で逃げるような業態でした。 口開けの午後3時。お客様がご来店されます。半年ぶりのご来店でした。ファーストドリンクはビールをご注文なさいました。 「わたしね、この夏。病気でずっと入院していたの。同じ病気で入
飲食店ホールサービスに復帰しました! アルバイトだけど。 まずはリハビリということで、週3でお世話になっています。 慣れないモバイルオーダーやウーバーイーツなど、未経験な要素も加わりつつ、ぶん回し営業の心地よい疲労感に「うわ〜、働けてるよ〜」という感動を覚えています。 頭は問題なく順応しているのに、肉体的な衰えは顕著で、腰が痛くなったり膝が痛くなったり、はやく基礎体力が戻るといいな。 「注文の承り」という業務が減り、とにかく注文内容の把握が難しい。ファーストドリ
【毎日習慣】師走まとめ 12月が終わりを迎える。 35年というそれなりに積み重ねてきた人生のなかで、12月の思い出は子どものときの「サンタからのプレゼント」や「母のクリスマスメニュー」よりも「クリスマス商戦」に乗っかった労働のほうが強くなった。新入社員で入った居酒屋業界は忘年会シーズンは毎日のように激動だったし、辞めて働き始めたコスプレ会社ではハロクリの驚異的な売上に驚かされた。そして、丸の内のイタリアンでは仲通りのイルミネーションを眺めながらのクリスマスディナーという
落ち葉掃除の道具といえば、何を思い浮かべるだろう。昭和最後の生まれの私にとって、落ち葉掃除といえば竹箒と熊手のイメージがある。 それをこの間、散歩していたらブオンと機械音がするのだ。 目を向ければ、吸い込む掃除機ではなく吐き出す掃除機みたいなものから風が吹き、落ち葉を一箇所に集めていた。たしかに効率は良いのだろう。だがしかし、情緒に欠けると思ってしまうのはおかしいのだろうか。 施設を管理しているのだろう壮年の男性は、ただ無言で機械を動かして落ち葉を集めていた。いっしょ
月めくりカレンダーは最後の1枚となり、ポスターみたいに薄っぺらい。厚みがある頃はぶつかることもあり、マグネットを起点に振り子のように揺れていた。いまは、壁に張り付くようで、ああ12月になったのだなと気付かされる。 今年のわたしは劇的に変わった。 きっかけはお年玉だった。兵庫に帰省していた母が祖父から預かったお年玉を渡してくれた。そして、わたしはそのお金で1冊の本を買った。 『AI 愛なんて大っ嫌い』という冨永愛の自伝だ。高校生の頃からモデルとして働き、コレクションデビ
11月が終わりを迎える。 今月を振り返るなら、まずは阪神タイガースの38年ぶりの優勝があげられるだろう。わたしは兵庫県生まれの35歳だが、小学生のとき男子が好きなプロスポーツは「阪神タイガース」「オリックス」「ガンバ大阪」に三分されていた。 夕飯時には野球中継が流れ、当たり前に阪神の試合が流れている。阪神が勝ったらお菓子を買ってくれるという口約束に喜んで、大五郎のウーロン茶割りを飲んでいる父の横に座っていた。 ずっと優勝していなかったのか、というくらいにはニワカだが、
小説を書くとき、主人公の心情が大きく変化するターニングポイントをいくつも用意する。書き手の脳内には、主人公を育てたい育成プロジェクトのプロットがあり、最初の状態と最後の状態が不自然にならないように文章で馴染ませる。 リアルを追求するけれど、フィクションの世界だ。そこには、書き手の理想がある。 自分を描く随筆やエッセイ、私小説といわれるもの。日記はその派生にちかいと考えている。わたしの脳内にはわたしという生き物への、過剰な期待がある。 理想の自分に近づくために、今日と
啓蟄《けいちつ》。冬籠もりしていた虫が土中から這い出てくる、それに合わせて花は咲く。生存戦略だ。 椿という花は、香りが少ない。他の花が甘い香りで虫を誘うのと違って、鮮やかな色で鳥を誘う。冬は鳥の餌となる木の実が落ちるから、空から見つけやすいように色鮮やかに咲くのだ。椿を見て、美しいと思うのは椿の思う壺なのだろう。でも、八重に重なる花弁《はなびら》は、本当に美しい。(この写真の乙女椿のことです) 散り際に萎むのではなく、蕾のまま落ちるところも最後まで美しいなと感じる。
「もう、マスクしなくていいよ」 お国がそう言ってしまえば、前倣えでコロナ禍は終わりを告げるらしい。 世田谷の道中を歩きながら、ながく苦しんだ伝染病の終わりを思う。1年めはコロナ鬱になった。ニュースを見ることでも精神不安定に繋がった。自死のニュースが相次いだのも、コロナで入院した死亡した、出歩いた芸能人が炎上した。ジャニーズを辞めた。激動のニュース報道が、押し寄せるように心の余白を奪って、恐怖した。 外出規制という人生初の施策だった。心が不安定になればなるほど、病状は悪
子の成長を祝う日に、この話題について触れる必要のない時代の到来を、こころから願っております。 2022年の小中高生の自殺が過去最高を更新して、把握されているだけで512人らしい。 毎朝、朝のあいさつのように希死念慮に襲われて軽率に「死にたい」と考えるうつ病の人間にとっては、他人事ではない話だ。 症状がずいぶんと緩和して、冷静になったから死ぬことを諦めただけで、一線を越える判断を、わたしもした可能性はある。二度と治ることはなく、欠けた生命力をだましだまし引き伸ばして