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【毎日習慣:卯月まとめ】

 あっという間に、死んでしまった。
 3月29日(土)は、茨城県に行っていた。姉は立っているのも辛そうだった。しゃがみ込み、大きなため息を吐く。累積したため息がどんどん酸素を奪っていくようで、息苦しかった。わたしは前日の夜に遅くまで麻雀を楽しんでいたので、すこし昼寝させてもらうことにした。
 目覚めたら、姉は義理母と電話しているようだった。
 その日の夜は、常陸牛のすき焼きで夕飯の準備をするのだけれど、心ここにあらずといった様子で、目に見えてポンコツを極めていた。何をしていいか分からなくなる。わたしもうつ病でずっと療養していたから、その気持ちは痛いくらい分かった。
 4月5日(金)、夕方からバイトだったわたしは惰民を貪っていた。朝ご飯を食べて、また二度寝する。
 スマートフォンに通知がきたのは、二度寝から目覚めた頃だった。姉が家に向かっているとある。
 まもなくお昼どきだ。お昼ご飯はいっしょに食べることになるかもしれない。食欲不振みたいだけど、素麺だって買ってある。わたしは布団から離れがたいと思っていたことも忘れて、米を炊くために起き上がった。
 姉へのメッセージに既読はつかなかった。
 何度かけても、電話は繋がらなかった。

 そわそわと落ち着かなかった。もしかしたら駅で動けなくなっているかもしれないと思って、駅まで探しに行った。電車移動だけで1時間半くらいかかるから、そんな距離を移動したら疲れちゃうだろうなと思った。
 駅に姉の姿は無かった。すれ違っていたらまずいから、来た道を戻りながら、お義兄さんとメッセージのやりとりをする。状況は思っていたよりも緊迫していたようだった。そういう大事なことはもっと早く言えよと心のなかで喚きながら、母の職場に電話したのは家に着いてからだった。

 バイトの支度をしなくちゃと髪を乾かしているときに、玄関先が騒がしくなった。母が帰って来るにはまだずいぶんと早い。
 姉の手荷物が見つかったと聞いたのは、その時だ。
 わたしたちは東京で暮らしているなかで、全時間を姉に費やす勢いで姉を心配していた。茨城県に行くのだって往復で3時間くらいかかるけど、それだって自分の約束をキャンセルしてまで時間を捻出していた。
 それなのに、両の手から流砂が零れ落ちるみたいに死んでしまった。いまも苦しいくらいの後悔がずっと息巻いている。
 どんな状態でもいい。ただ、生きていてほしかった。

 4月の第一週にそんなことがあって、第二週はまるまる自宅待機だった。週末に茨城県で葬儀があって、第三週からバイトに復帰した。週末には遺品整理で、また茨城県に行った。
 わたしはひと足先にすでにゴールデンウィークの前半に突入している。けれど、今月はもう茨城県には行かないつもりだ。まだ、やることは残っているけれど、ちょっと疲れてしまった。
 希死念慮って厄介で、「お金持ちになりたい」とか「宝くじに当たりたい」くらい軽い感覚で頭に過る。なにせ、「死にたい」という願望なんだ。
 症状がもっと重いときは、そこに悲壮感が加わって具体的にどうやって死のうかしか考えられなかったけれど、わたしは実行に移すことは早々に諦めて寝腐っていたので、毎日浮かぶ希死念慮を奥歯で噛み潰してやり過ごした。頭のなかでずっとアンコールされているみたいに、自殺願望が頭に浮かんでいた時期もある。いまは症状は軽いけど、やっぱり頭にかすめる瞬間があるから、ちょっぴり悪化しているのだと思う。まぁ、わたしのことはいいんだけどさ。
 こういうこと書いて、異常に心配されるのも意図していることじゃないし、そっとしていてくれるほうがありがたい。日記に書きたいことを書けなくなるのは困るので。
「うつは心の風邪」だとか、「うつは甘え」だとか誰かの言葉を鵜呑みにしているひともいるし、自分でおかしいと気付きながらも世間体や認めたら負けと病院に行くのを躊躇うひとがいる。しかし、命を失ってしまってからじゃ遅いので、自分の命を守ってほしい。
 生きることは辛いが、あなたに生きていてほしいと思っているひとが思いのほか多くいることを、どうか知っていてほしい。
 4月は、あっという間だった。桜の開花が宣言されてから、満開を観測する暇もないくらいあっという間に散っていた。冬が明けて暖かい陽射しに包まれるこの季節が、心底嫌いになりそうだ。

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