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【毎日習慣:皐月まとめ】

 第1週と、第4週は兵庫県に行っていた。そして、わたしの書評が載った雑誌が発売された。積年の夢だ、すこしわたしが誇らしい。

 最近は、いのちの使い方を考えている。
 19のときにお客様から言われた「あなたに会えて良かった。明日を生きる活力になったよ」という言葉に感動して、飲食人を志した。こんなわたしでも人の役に立てるんだと思った。新卒で採用された会社では敢闘賞やMVPをいただき、21のときには店舗責任者に抜擢されていた。日本外食新聞のゲンバニンゲンで特集を組んでいただいたのは22のときだったように思う。
 辞めようと決意したのは、東日本大震災があった年だ。家族が一丸とならなければ乗り越えられないような、困難が人生にはある。

 お声がけいただいて、二社目で働き始めた。いままでの居酒屋とは違う専門店と呼ばれるジャンルの飲食店だった。焼肉屋、イタリアンレストラン、異なる業種は覚えることが多く、たいへんだったが、「完璧な接客」というこれ以上ない賛辞をお客様からいただくことができた。
 辞めようと決意したのは、独立したいと思ったからだ。そうして、クラウドファンディングも利用して「宅飲み酒場アヤノヤ」は誕生した。28のときだ。そうして、3年間お店を経営することができた。

 新型コロナウイルスが流行った。
 ひとびとは4年間という貴重な時間を、抑え込まれた。

 35さい。1月から飲食店に復活している。4月に思いがけず、自分の半身のような存在を喪った。
 20代のときに、がむしゃらに自分のキャリアを育てることができたと思っている。だから、30代になって「家事手伝い」が主な役割になって、家庭的でない自分へのコンプレックスがだいぶ解消された。これから向こう10年は、より家庭的なことを極める期間にできたらいいなと考えるようになった。

 いのちの使い方だ。
 仕事はいつだって戻れる場所を用意してくれるかけがえのない飲食人たちに多く出会えた。家族に残された時間を考えると、わたしに与えられた役割はいただいた恩を返すときがきたのだろうなと思う。金銭的にではなく、献身的に貢献する。
 それは、自分を犠牲にしてなんておぞましい考えではなく、自然の流れに身を任せてみたという感覚に近い。
 いま、生きるのがとても楽になった。大切に1日1日を積み上げていく。その先の未来に、わたしは身を委ねようと思う。


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