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【毎日習慣:49日】

 わたしは無宗教ですが、浄土真宗のため49日における「最後の審判」という思想はない。
 そちらの暮らしはいかがでしょうか?
 本日、49日を迎えます。

「エイトジャム」という日曜深夜のテレビ番組で、宇多田ヒカルの特集をしていた。
 そのなかで、「マイクロキメリズム」の話がでてきた。
“子は母体と細胞を交換するため、母のなかには子の細胞が残る”という現象のことだ。
 ならば、年子の姉妹であるわたしには、姉の細胞が組み込まれているだろう。
 もともと霊感があるため、わたしに憑いたのだと考えていたが、どうにも五感を共有している感覚がある。味覚に関しては、ピザに大量のタバスコをかけてから、ケーブルを断線する「ブチッ」という音が身体の裡(うち)から聞こえて、切断された気がしている。
 しかし、観たいテレビ番組の視聴や行きたい場所への観光など、どうにも姉の魂に振り回されている。

 魂に肉体が宿るのか、肉体に魂が宿るのか。
 肉体が滅びても、魂が現世に残るなら、姉の細胞の一部が体内で育まれている母とわたしは姉の魂と、肉体を共有することができるんじゃないだろうか。
 世の中には根拠のない不思議が存在していて、これを暴論と一蹴してしまうのは難しいのではないだろうか。
 ものには残留思念があって、わたしは霊と対話はできないけれど、残留思念から持ち主の意思を感じることがある。
 遺品整理して、多くの姉の私物がわたしの所有物となった。だいたい使っていいと言われるけれど、頑なに仕舞う場所を指定されたり、使用を許可されないものが存在する。真珠は母の嫁入り道具である箪笥に仕舞ってくれ、今日はこのハンカチにする、などわがままである。
 洗い物や掃除といった苦手な家事が異様に気になったり、雨の日どうしても体調が優れなかったり、放置された包丁に恐怖心を抱くようになったり、日々の生活に多少の支障がでている。
 そう。そんな奇妙な共同生活が、続いている。

 ご先祖のみなさま方、無事に姉をお迎えくださったでしょうか?
 どうやら、まだまだ現世にも遊びに来ているようです。
 わたしの意思としましては、これからもわたしの肉体には姉がいるものとして、自分の暮らしを一層大切にすることで、姉を慈しみ共に生きていこうと思います。

2024年5月24日 


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