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木のいのち木のこころ(地)③

 2冊目は西岡常一棟梁の弟子の小川三夫さんの本だ。
 小川(以下敬称略)が弟子になりたいと言った時、西岡には断られている。西岡棟梁の本から見てみよう。

私は小川が弟子入りしたいというてきたときも三回追い返しましたで。法隆寺の大修理が終わって、仕事がありませんでしたのや。(中略)
 これはそこらの木で練習していたんではわかりません。ですから、本番のの仕事がずっとなかったら弟子を取れませんがな。育てる場所がないんですからな。大工の仕事は教わったことが現場でできな、いけませんのや。学校みたいに「そんなん、聞いておらへん」というて逃れられませんわな。知らん事でも解決せなならんのです。解決せな、建物が建たんのですからな。このためにも現場が必要なんです。考えてもいなかったこと、予想もしなかったことが必ず出てくるもんです。それを避けては通れんのです。それが世の中ですわ。

木のいのち木のこころ(天)西岡常一より

 現場が今は無いからという理由で、西岡は3度、断っているのである。

 俺が西岡棟梁のところへ「弟子にしてほしい」って行ったのは、昭和四十一年の二月なんだ。高校を卒業する直前や。前の年に修学旅行で法隆寺に行って、これが千三百年も前に建ったのか、と驚いたんや。自分は栃木の生まれだから、それまでにあれほどの塔は見たことがないんだ。よくこんなもの建てたもんだと思ったよ。すでにロケットが月に行く時代だよ。ロケットを月に打ち込むにはよっぽどデータを積み重ねて準備にかかるんやろうけど、この法隆寺を建てた時代やったらそんなことも決してなかっただろうし、木を運ぶんだって大変だったろうと思ったんだ。
 同級生はみんな進学だ、受験勉強しなくちゃなんねって騒いでたよ。みんなが進学するような学校だったからな。そういうのに対しての反発もあったんだろうな。俺は大学に行くよりも千三百年前に塔を建てた職人の血と汗を学んだ方がいいって思ったんだ。

木のいのち木のこころ(地)小川三夫より

 毎年、法隆寺を、何万人の高校生が見ることだろう。私も、法隆寺を修学旅行で見た1人だ。でも、そこで法隆寺を建てた職人に心が反応したのが、小川だったのだ。どうやったらそんな大工になれるのかわからなかった小川は、リュックをしょって奈良の県庁に行き、文化財保護課で法隆寺に聞いて、西岡という宮大工を紹介された。

 人の出会いっていうのは本当に運だな。
 県庁で紹介されたのは西岡棟梁の西岡楢光なんだ。このとき西岡という大工が法隆寺に三人いた。一人はいまいった楢光、それと棟梁の弟の楢二郎、それと俺の師匠となった常一や。でもそんなこと知らんかったわな。それで法隆寺を訪ねたら、たまたま棟梁がいたんや。
「西岡さんいらっしゃいますか」
と聞いたら、
「西岡は三人おるが、誰や」
と聞かれた。だけど名前までは覚えてないのよ。しかたがないから、
「忘れました」っていったんだ。そうしたら、
「西岡は俺だ」っていうんで、弟子入りの話を頼んだんや。

 それでもそのとき棟梁は、仕事がないからだめだっていうんだな。それに大工の弟子にするには、おまえは年を取りすぎているともいわれたな。この仕事がいかに大変かということもいっていたな。仕事がないから家庭も持てんし、女房ももらいんよ、って。でもそのときはただこの仕事をしたいだけだったから、そんなことはいいと思っていたんや。とにかく自分は法隆寺のような美しい建物を造った人の技術を学びたいって頑張ったんだ。

 そこで、西岡は小川に紹介状を書いてくれた。

自分のところでは無理だけど、こういう古い建物は全国にあるんやから、文部省に言って見ろといって紹介状を書いてくれたんだ。初めて会った人間にだぜ。それも突然訪ねて行った高校生や。本当のことをいったら、人違いして訪ねた人間だ。そんな俺のためにわざわざ紹介状を書いてくれたんだ。(中略)差出人は「大和法隆寺大工 西岡常一」や。白い封筒に墨で書いてくれたよ。

 その後、紹介状はあったものの、東京の霞が関の文部省では、腕に技術も無いし、建築のことも何も知らないのだから、せめて一年でもいいから鑿、鉋を使えるようにして来てくれ、そうしたら現場を紹介します、と言われ、栃木に帰った。その後、東京の家具屋に就職するも、すべてが機械が板を裁断し、貼り付けていく作業の点検のみ、20日ほどでやめて、次は仏壇屋に就職し、初めての徒弟制度を体験する。

 文部省からだめだっていわれて帰って、西岡棟梁にお礼の手紙を出したし、家具屋に勤めて辞めようと思っているというようなことも手紙で出しておいたんだ。そのたんびに棟梁は丁寧な手紙をくれた。年を取って大工になりたいという俺のために、励ましてくれたり、こうしたらどうかという忠告だったり、それは丁寧な手紙だった。一度会いにいっただけなのに、ほんといい手紙をもらったな。そのときもらった棟梁からの手紙は大切に取ってあるよ。

 この三冊を通して読んで、一番印象に残っていたのが西岡棟梁の達筆の手紙のことだった。
 しかも、その手紙は弟子になる前の、いったい何者だかわからない、高校生の時に一度会っただけの青年に向けられたものだ。(すでにその達筆の手紙のところで涙腺が決壊( ^ω^)・・・)

 今、ここに引用した(地)の本は15Pまでで、19Pから50Pまで、写真と文字起こしされた西岡棟梁の手紙の文章が綴られている。

 この本を続けて読む面白さは、西岡側からの小川の印象と、小川側からの西岡棟梁の印象が読めることにもある。

 小川がついに西岡に弟子入りした時、すでに22歳になっていた。
(もはやあらすじですw。皆さん、ホンモノの本を読んでください💛
 つづく・・・)

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