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スカフェラレネー話①

 津軽弁の話を、というリクエストを頂いた気がするので、ずっと頭の片隅に置いて考えていたが、昔、別のブログで書いた好きな記事があるので、それを3回に分けて投稿してみようと思う。(4000字以上ありましたw)

2020年 3月17日(火)

 私は青森県の南部、八戸市に住んでいるが、本当は青森県の西側の津軽の人間である。南部と津軽、藩が違う。
 そのせいか、八戸市は、自分にとっては妙に距離が遠い場所で、教師として採用されるまで、八戸市のことをほとんど知らなかった。
 大学は地元の弘前大学に進学、同じ学年に八戸市からきた人がいて、なにか話をすると、語尾に「~してらったよ」とつくので、みんなから、彼の乗っていたバイクのCMソングと合わせて「ラッタッタ」とヒソカに呼ばれていた。
 その「ラッタッタ」は早い段階で学校に来なくなっていたので、八戸についての獲得知識はそこで終わり。

 教員採用試験を受けて、面接のとき、面接官が、
「青森県のどこへでも行きますか?」と聞き、私は、
「はい、どこへでも行きます!」と答えた。

 真っ赤な嘘。
 嫌だ、ほんとは弘前市にいたい。

 弘前市と八戸市は全く違う。
 弘前市が弘前公園や弘前大学を抱える文教都市なら、八戸市は多くの工場を抱える工業都市だ。
 石油のタンクや大きな船や工場のある港の風景。
 弘前市では全く目にしないモダンな風景。
 爽やかな風が吹き抜ける美しい海の風景をたくさん持っている。

 同じく海を抱える青森市から来た友人が
「弘前は空気が重くて、息苦しい。海がないから風が吹き抜けていかない」
と言っていたが、それは私も時々感じていた。
 特に冬の弘前市は、毎日が灰色で、重い雪が降り積もる。
 この重い雪が降りこめられた長い冬が去った後の桜はより一層、美しく感じられる。

 弘前公園の日本一の桜を見たくなるわけだ。

弘前公園で、近頃人気のハートスポット。姉の写真より。

 生まれ育った弘前市から八戸市で初めての一人暮らしが始まった。
 小中野にある5階建てのビルに住んでいた。1日しかアパートを廻る時間もなく、適当に決めた物件だったが、部屋は5階のつきあたりの6号室。

 私の部屋には用のある人間しか、全く来ないところ。
 その、安心感がいい。

 六畳二間で、小さな台所とバス・トイレ付。
 新しいアパートではなく、築何年だろう?という物件なので、換気扇すらついていない。一人暮らしが初めてで、そんなことすら、借りるときに気が付いていない。
 考えてみると、ひどい物件だったが、それなりの落ち着きと、部屋のある場所の高さは悪くない。港の花火大会が部屋に居ながらにして見える。窓をあけても、蚊とか虫が入ってくることもない。
 鉄筋コンクリートのビルだった。
 その後もそのビルは小中野に建っていて、アパートにはまだ人が住んでいるんだろうか?と通りかかるたびに懐かしく見上げていたが、最近は壊されて更地になっている。

 弘前市から海に向かうには車で1時間以上かかる。車を持たない家庭だった私には海水浴は五能線を使った大イベントだった。
 そして西側の海は夕日が沈む日本海。
 海はハワイの海のようにさわやかな水色ではなく、深い青緑色の、いかにも津軽海峡冬景色といった感じの海。

 反対に八戸市の海は、朝日が昇ってくる海で、太平洋だ。

 聖徳太子が日本にいる自分を「日出処の天子」といい、韓国の王様を「日没処の天子」としたためた書状を送ったと歴史で習ったが、まさに、「日没処の海」から、「日出処の海」へと自分は移動してきた。

高校生時代、大好きだった漫画。

 この八戸市の土地の明るさはいったい何だろう。

 いつも天気はカラッと晴れて、大きく青い海が広がっている。

 同じ青森県なのにほとんど雪は降らない。
 ここは青森県じゃないみたい。

 冬でもスニーカーが履ける日もある。この感覚、東京を旅した時みたい。
 ただ、晴れている日も、日陰に入ると風の冷たさにびっくりする。
 頬が風で切れそうな寒さである。弘前のように灰色の雲に包まれて雪が降っていると暖かく、八戸のように雲に覆われないで晴れていると裸でとても寒い、放射冷却現象というのを初めて知った。

 見た目は逆だけど、そういうものなんだ。

 八戸市の日の昇る海を抱えた明るいイメージ。

 アメリカにつながる太平洋の広い海。
 美しい海岸線。野菜やフルーツも豊富で、魚介類も沢山ある、モダンな工業都市。

 「詩がない八戸」と恩師の雨男氏に言われたけど、この明るくて活気のある爽やかな都市を、20代の私は、すぐ気に入った。(つづく)