11月の短歌✧♡
今日は月に一度の短歌の会の日だった。(2023.11.22)
今日も、皆の得票数の多かった歌と、個人的に私が選んだ歌について書いてみよう。
今日は始まりに、
「先生から選ばれるということはうれしいので、先生だけ、5首選ぶと言うのはどうですか?それと、皆さんも3首から4首選ぶとしたら、もっと選ばれる歌があって、皆さん、励みになるのでは?」
という提案があった。
一瞬、それはいい!と思ったのだが、ある人が、
「でも、選ぶ数が増えたのに、それでも選ばれないとなると、さらに落ち込んじゃうよ~」
と言われたので、みんな、大笑い。
たしかにそのとおりだ。
結果、先生だけ、5首を選び、みんなは3首のままとなった。
私も選んでいた。短歌の中ではいろいろな年齢になれるのが面白いと感じていた。まさに、壮年が少年になっている光景を面白く詠んだ句。
「壮年が少年に」「たまは飛ばねど野次だけは飛ぶ」と対句的な表現が面白い、と先生。だんだん、作者がわかってきた。
先ほど「落ち込んじゃうよ~」と言った面白い男の方である。
そんな寒い夜に何をしてるかというと推理小説をはらはらして読んでいる。誰でも秋の夜長に経験があるのではないか。
結句を工夫すればもっと面白くなるのでは?と先生。「モルグの街の犯人はだれ?」とか、小説の中に飛んでも面白いとのこと。
この句を読んだ方は80を過ぎたご高齢ということで、まだお姿を一度も見たことは無いのだが、いつも、お!という短歌を詠まれる方である。
プリントの裏に、北奥羽短歌大会に三首入選された歌が印刷してあった。
「許せない遠い記憶に然様(さよう)なら海馬のおくの書棚をあけて」
「泥ふせぐ馬具が由来の「泥障作(あおづくり)」四軒のためのバス停のあり」
「金魚草どんな色にもなれますと雨をふふみて庭にぷくぷく」
通りかかるたびに、他市町村の人は絶対読めないだろうといつも思う「泥障作(あおづくり)」という地名。地名が入って、その風景が立ちあがると先生がよく言うが、このことか、と思う。
三首とも、表現が素敵である。
朝、温泉に行くとき、いつも信号待ちで見える家の窓が必ず開いていて、そこに干し柿が干してある。いつもダンナが「だんだん色が黒くなってきた」とか言う。
作者は「干し柿はどこまでやったら何パーセント終わったっていいますか?」とみんなに聞きたいようだ。
「皮を剝いているところで、何パーセント?串を指すのも大変だし」との言葉に、「縄にへたをひっかければいいよ」とアドバイスが飛ぶ。
「へたとか気にしないで柿をとっちゃうからなあ」
「来年から気をつけて収穫すればいいのでは」と、干し柿談義に入れない私も隣の人と顔を見合わせる。あれあれ、この会も大分、和やかになってきたなと感じた。
秋の10月の小春日和と、作者の気持ちと動作が感じられる句と先生。
いにしえ、舞い、白拍子、しづやしづや、都(みや)、使っている言葉と、舞いが運んでくる、いにしえの都にトリップする感じが素敵だなと、私も選ぶ。「し」という文字の語感も、重なってリズムを作っている。
舞いものに弱い♡自分を発見。
この歌には元の歌があって、義経が都落ちするときに、行動を共にしていた静御前が捕らえられ、頼朝に舞を所望されても断り続けていたが、ある時、ついに舞ったのだという。その時の歌。
短歌を創るとは、いろいろなことを歌に込めれると思った一首である。
蝶が生まれた姿に未来が感じられると好評な歌。
一つ一つの言葉が文句なくすんなりと受け止められると先生。
ラーメンを想像し、ラオウがよくわからなかった私。
北斗の拳に出てくるいかついキャラのこと。葉が散ってみると、むき出しで筋骨隆々の男のように、そこに木の形があった、と作者。ラオウに結び付いた発想が善きとのこと。
ビルが更地になった後、地面まで掘り起こして整備をするそうだ。そんな地面に花が咲いている。ビルが建つ前はそこは古い商家だったかもしれない、土地に残る古い歴史を想像する。先生の歌。
この歌のそこはかとない可笑しさが好き。作者は何か作業をしながら有線を聴いていたが、なぜか夏の歌が3曲立て続けにかかる。おいおい、今はもう夏じゃないぞと突っ込みたくなった時に、ふと、部屋にあるサンタの置物も手を上げていることに気付く。ぷぷぷ( ^ω^)・・・
さて、私の今月の歌。
「初霜や秋の彩り終わらせん色を落として冬は来たりぬ」
11月のある朝、車のフロントガラスがかちんこちんに凍っていた。
ついに初霜キタ~っ!っていう衝撃。
その時はまだ紅葉が盛んで美しい季節だったが、この霜が、紅葉を終わらせて、景色をモノクロームにしていくのだと思った。
秋を詠みたい歌はいろいろあるが、いちばん、言葉が落ち着いた歌。
先生曰く、「初霜や」という切れ字がよくないのだそうだ。
俳句は短さの中で、きっぱりと言い切る必要があるが、短歌はどちらかというと、言葉を下につなげていく感覚が大事だという。
たしかにそうなのだろう。
しかし、自分の中では初霜への驚きと共に、この表現が一番ふさわしい。短歌に切れ字を使ってしまった未熟さをそのまま残すことに。
みなさんの感想で「初霜を待って、冬景色を楽しんでいる」「色を落として冬は来たりぬ」という描写がリアルと、言葉を頂いたのが嬉しかった。
自分の意図しない風に、句を解釈してもらえるのは嬉しい。
選ばれた時の楽しさである。
12月の句の締め切りは1週間もない。
感性を鋭くして、出来事をキャッチし、しっかり詠みたい。