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退職の練習⑱ときめきの片付け祭りⅡ~思い出が立ちはだかる

 さて、ときめきの片付け祭り実行中である。

 しかし、今、自分の目の前に、ときめかないけど、懐かしいと言った思い出の品が立ちはだかった。
 ときめかない。しかし、懐かしい。
 卒業アルバムとか文集とか。この文集を捨てたら、私は彼らのことを思い出せないじゃないか?と考えている自分を発見する。
 確かに、その時、その空気の中にあった懐かしくて、暖かいもの。
 それを忘れてしまっていいんだろうか。
 こうしてみると、その懐かしくて暖かいものの何倍も、嫌でうんざりするものもあった気がするが、どうも思い出は美化されて、そこにモノとして残ってしまうのである。
 でも、よくよく考えてみよう。

 今、たまたま片付けるから思い出しただけで、彼らと関係しない月日を何十年も送ってきたではないか。
 それは、今の自分に必要なのだろうか。

 本当は必要ではない。
 しかし、その時感じた面白さ、空気の優しさが閉じ込められた楽しさが、文章を読むと蘇ってきて、なんだか面白いぞ!と思ってしまっている。

 そうやって、いろんなものを残した結果、結局、ときめかないもので、部屋の中が一杯になっていたら、このときめき祭りをやっている意味が無い。

 絵や文って、その時感じた感動や、永遠が、瞬間凍結されてそこにありありと残っている。それをただ、ポイと捨てるには勇気がいる。

 自分の書いた文章が好きなのかもしれないけど、その文集を一緒に編んだ子供達との関係もその1冊に閉じ込められていて、そのことをポイと捨てる気にならない。

 20代に捨てられなかったものを、どしどし捨てれるようになっている60代。もしかしたら、これは70代の自分が、捨てるものなのだろうか?笑

 片付け祭りを未来の自分に宿題として残していくのは、ちょっと・・・いや、かなり嫌だ。

 こんまりさんが、片付けの順番を
「衣類→本類→書類→小物類→思い出の品」
としているのは最も、正しいかもしれないと今更ながらに思っている。

 自分の片付け方が
「仕事の物→書類&思い出の品→本類→小物類→思い出の品→衣類」
とやっているものだから、すでに2番目で、立ち止まってしまった。

 ってか、自分の部屋の中の床を埋め尽くしているものを、手あたり次第、分類しているから、ある時は、本を分類し、あるときは文房具を分類し、ある時は別な部屋に行ってダンナの洋服をたたんでしまい・・・というような、ちょっと、ぐだぐだな整理の仕方になってしまっているのかもしれない。もう一度、基本に戻って、片付けやすいひと項目ずつ、やっつけたほうが、達成感とか成功感が湧き上がってくるのかもしれない。

 こんまりさんの本を再読しているのも、なんとなくだけど、その次に手に取った本にも、自分の部屋を自分の好きなものだけで埋め尽くして、自分にとっての神社みたいなエネルギーの高い空間にすることが大事、と書いてあった。その空間は自分と言う宇宙船を操縦するコックピットのようなものになるらしいのである。

 凄いな。
 自分の部屋が、そんな凄い場所になったら、とても嬉しい。

「ときめくか、ときめかないか」

 この基準がブレない様に自分のココロを見つめながら、やり通す。

 これ、修業ですな大笑
 
 noteの記事にでもして気晴らししないとやってられんわいwww